グサイ・グフ

グサイって愚妻です。愚妻って言葉はあるけど愚夫なんて言葉はないですね。それどころか愚妻はなどと男の人が使おうものなら、威張らせてもらっているんだねと羨望の眼で見られるかも。そして自分の家族を謙遜して言っているのねなどとさらにポイントが高いかもしれない。一方愚夫などと女性が使おうものなら、家族のことを謙虚に言っている控えめなどととられるどころか、怖いもの知らず、常識のかけたる人ととられるのが落ちである。言葉は出自もあって、人と人との関係性が非常に重要で、それだからこそ言葉に膨らみも出るし、人との円滑な関係も生まれるというもの。

自分の伴侶を人にどう言うかは非常に微妙な問題がある。年代もあるし、そこの家のてんでの関係性も透けてみえそうで、中々微妙。夫、つれあい、主人、旦那、などなど。私はそこそこきちんとの内容の時は、主人である。普通は旦那じゃなく、ダンナ。カタカナにするところに漢字の旦那とはちと差をつけているつもり。旦那はサンスクリット語のダーナからできた言葉と聞いている。寺、坊さんに十分な援助をする人であるという言葉から出てきているという。すると旦那という言葉には、ある種の尊敬、敬うという気持ちがこめられていると思う。すると幾分かの拒絶の気持ちも働くのです。そこでダンナ、平等な人間関係性をあらわしているつもり。決して軽んじる気持ちはないけど、ことさら敬うなんて気恥ずかしいという感じかな。

主人なんて言葉もそうであるけど、ここは目をつむって、話する相手のかたへの気遣いかも。相手が主人で私が僕なんて思ってもいないけど、話している相手に対しての礼儀になっているか。

愚妻、豚児なんて言葉主人は使うこともないだろうけど、ことさらにへりくだっているのは、かえって慇懃無礼にしか聞こえず、かえって傲慢にみえてしまう危惧もある。同様に手紙での、ご令室様とかご令閨様などは落ちつかないことおびただしい。まあ滅多に言われることはないのだけれど、言われたら襟を正すどころか、笑い転げることは必定である。何者でもありませんと言いにいきたくなる。

あちこちで伴侶をなんと言っているかなと興味覚えることもあるが、関西の人って自分の女房のことを嫁と言い習わしていることが多く、慣用の使い方と思っていて、あ~そうだったのねと思う。私たちの周りでは嫁といえば、つれあいではなく、文字通り嫁である。家の女、忍従なんて意味しみついていそうで、連れ合いをあらわす言葉としては使うことはない。女房、家内、などが一般的かな。

主人、あるいは旦那がどうも呼び方がしっくりこないと思っている人もいると思うが、連れ合いのことをあいかたという呼び方をしている人がいる。どうも気になってしかたない。あいかたは相方というよりも、むしろ江戸時代の遊女のその日のあいかた、一夜かぎりの性を仲介にした相手であるという意識があって、どうも馴染めない。あいかたの相方は伴侶ではなく、仕事の片棒の相手という意味でなら使えるかもしれないけれど、おかしいと感じてしまう。人が使っていない言い方として、その関係性を相方として使っているのかもしれないけど、おかしいと思う。ほかでこんな言い方をしている人は見当たらない。おかしいのではと言いたいけれど、言葉というのはすごく流動するもの。つれあいとの関係性をどう表記するか考えてのことかもしれずと思い言い出せないでいる。

つまらないことかもしれないけど、言葉って実に微妙である。

| | コメント (0)

秋も深まると

秋、芸術・文化の秋なんてことで、あちこちの美術館秋季特別展が満載、それを見て歩くのも楽しい。読書の秋なんてのも大好きだったけれど、急に目がめっきり悪くなって今年中に手術の運びとなった。本を読むのは難儀になってしまった。軽い本ばかり読んでいて、たまに重い本を読んだりすると、さっぱり中味が頭に入らず、新しい知識が増えるのは望み薄。

こうなりゃ深まる秋を一番感じるのは食欲といこう。少し秋が深まってきたので、今日はゆずを買いゆず味噌を作ってみた。味噌は好きで色々作ってそのままに、また何かの和え物にも使うことが多い。夏の間人気あったのはなんば味噌、甘辛い味は食欲を刺激してくれるのにぴったりだったけれど、秋が深まるとどうも辛い味はなんだか時期はずれみたいになってしまった。冬の到来、ゆず味噌を作り、サトイモの田楽なんかつけてはふはふ食べればおいしいかも。

さらに今冬初めての酢和えを作る、大根とニンジンをよく塩もみ、油揚げを煮て、それで酢和え、ゆずをこまかく刻んで混ぜ合わせる。そして冬となればおでん、さらに本日はめじまぐろの刺身。

なんだかいかにもの冬の到来を感じさせる献立である。冬の到来は鍋物の出番を思わせるけれど、鍋物は一人では少しもおいしくない。我が家大分まえは舅、姑、子供二人、我ら夫婦とそれなりの人数が揃っていたときは、鍋物はまことに重宝するだけでなく、いかにも食卓を囲んでの家族の食事風景として、湯気を囲んでの楽しい風景であった。

今や舅姑は他界して娘は嫁ぎ、息子は県外での生活。主人は仕事の関係で家で食事をすることはあまりない。大抵の夜の食事は一人である。食事の支度は簡単であるけれど、味気ないものである。ただこういう生活はいずれ誰にでもどこにでも起きることであって馴れるしかないかも。

冬の到来、張り切っておでんを作れば、明日よりは頑張ってたべなきゃならないかも。最近は作ったものを少しずつ友達に裾分けすることもある。

季節の到来を感じさせる食事は、どっちかというと何人も揃って食べるということが前提になっている。ひとりの食事のレシピなんて私にはなかった。あまりに気のぬけた食事は体に悪いだろうし、またあまりに味気ないから、それなりに食事の支度はする。夜用の食事とか朝用の食事とかの区別はあまりしなくなった。今朝なんかばい貝を煮たもんね。冬の貝でおいしかった。

昔からの常識なんかでこれは夜に食べるもの、朝にらに食べるもの、とぬぐいがたく思っていたけど、朝の食事だけは夫婦で一緒に食べるもの、こうなりゃ朝用、夜用なんていってられない。

酢和えなんてのは昔からの料理、主人は好きだから、そして日持ちするから朝にあるいはちょっとビール飲んだりする相手にはいいかも。季節の到来は文化でもなければスポーツでもなく、冬物食事の献立から知るなんていささか気恥ずかしいけど、現実はこんなもの。

刺身、冬になってさまざまあるけれど、一人で食べるというだけでなく、どうも年のせい?さらに今の刺身たいしておいしくない?あまりに食べたいとも思わなくなってしまった。

健やかな食欲に支えられておいしくいただいて食事、今ではすっかりなれてしまったのだけれど、一人っきりの食事、料理が上手でないこともあろうけどおいしいとも思えない。年をとるとみんなそうなるんだよねと思いつつ、冬の到来を思わせる食事を作って小さい季節の移ろいを感じている。

| | コメント (0)

電話代が下がってきた理由

私今となれば自慢なのですが携帯電話持っていません。携帯電話みんなさかんに持ち始めた頃、持ちそびれたというか、なんでもかんでも私の方に話を持ってきて、伝えたからもう私の責任は終わったのねというような周りの人の反応に業を煮やし、自分が受けた話の責任は自分でとるべきと携帯は断固拒否したのでした。よそからの話って、受けたものがきちんと判断して返事すればあとから大事にならないことが多いのに、ただたんに話を受けただけだと、相手は良いほうに良いほうにと解釈してしまうことが多い。ですので話を聞いてあとから相手の気持ちに添えない状況ですと、相手が非常に不満に思うことが多い。話を聞いて、これは相手の望むことには答えられないということは十分にわかっているにも拘らず、責任逃れというか、とりあえずは私にまわせばよい、これではならじと、携帯は拒否。
自分で判断して返事せよ、それを私に伝えてくれればよい、それで修正しなきゃならないときは当然あとから話をつけるからと。
従業員はようやく自分で話をつけることができるようになりました。

さて其の跡、無くても別にになってしまったのでした。

今やものすごい機能がさまざまついていて、なくてはならぬものになってしまっています。様々な機能、うまく利用している人は多いと思う。

携帯を持たなかった理由は上記の通りですが、それにつけても携帯の便利さのかわりに失うものが大きいような気がしてためらっているという事情もあります。

携帯やメールでの連絡は非常に便利ですが、PCのメールにしてもこれは勿論手紙ではないわけで、息子に言わせると、相手にメールを出しても返事は期待するべきではないと申します。私の年ぐらいですと相手からの働きかけには、どうあれ早く返事するべきだという思いにとらわれていて、返事がないのは無礼まではいかないけど、釈然としないわけです。さらにそれが手紙の場面にまで侵食して、手紙を出しても返事もかえってこない、勝手に出した手紙かもしれないけど、どうも釈然としないわけです。常識がぐらつくわけですね。

待ち合わせなんかにはさらに便利という話、たしかにそうでありましょう、でも会えるかな、時間はいいよね、場所はここだったよねのあのどきどきのときめき感はないと思う。一度約束したことは必ずや守るべき、あの律儀感もなんだか薄らいでいって、それが原因とはいえなけど、守るべき約束や倫理観なんて携帯一本でかんたんに替えられるような気持ちになって、拘りたいものが非常に軽くなっていきそうでちょっとねと思っている。

どうせと年をとればGPS機能付きの携帯を持ったほうが迷惑かからないということにはなるだろう。でもGPSの携帯子供に持たせて我が子を手にかけてしまった母親もいたよね、携帯ではなく、互いの信頼感を結ぶことができなかったためであったろう、携帯は道具でしかないのに。

主人携帯の電話料金安くなってきたという。理由はなんとか割りではなく、さまざまな会の役員をみんなおりてしまったことで通信費は安くなってしまったもの。会の世話なんて順番に引き受けるべきボランテア、お願いしますの無責任な言葉で自分はいつまでも必要とされているなんていう勘違いはすまい、どうあっても頑張らなきゃならないのは仕事、ボランテアなんてどうでもしなきゃならないけど、連綿と続けるべきではない。そんなわけで一気におりてしまった、あんまり続けたくないというよりももう結構ですと言われたかな。団体のお世話っていっつも大体似たひとばかりでまわしていることが田舎では多い。止めるのは無責任とかいいながら、ただたんにそこに座っているのが心地いいだけで、本人は好きなだけということも多い。人はもう害ですと言っていることもあったりするわけ。

さらに孫にしょっちゅう電話していたら、もう相手にしてもらえなくなったもの。毎回何して遊んだ、何を食べたでは孫もいい加減にしたかったろう、電話したいばかりに何やかや小包を作っては送っていても、ありがとう、それ以外には言う言葉もないだろう。

さて携帯の電話の相手はまったくの個人的な生活の中では、通信費が安くなるほどの用事しかないみたい。もちろん仕事はまだいくつかの会社をやっていて、仕事の中味が全然違うので、仕事上の話は勿論あるのだろうけど、大抵は携帯なんかでは済む話ではなく、会ってからの話になるわけでそうなると携帯って必要でした?になってくる。

私は仕事と個人的な生活はわけて考えたい、仕事の上での話はそこに話してもらえば必ず責任持っての話はできるようにはしている。個人的な時間は自由に楽しみたい。人の個人的な生活の中にお邪魔するのもあんまりいただけないと考えている。

さていつまでこの強情は持つだろうか?

| | コメント (0)

法隆寺展

石川県立美術館が半年ほどかけてリニューアル、美しくなったところでの「法隆寺の名宝と聖徳太子の文化財展」が開かれている。遠いところを旅してきたわけだから大物というわけにはいかない。目玉は「玉虫厨子」である。何度か法隆寺にはでかけていて、そのつど玉虫を見たいと思っているけど、なにせ目が悪い、あそこにあるのかもで終わってしまう。出かけた日は体育の日、たくさんの人出である、子供連れの人も多い、まったく面白くはなかろうと思う。古文書はまったく読めず、法隆寺の地券安堵のものとか、所領、財産目録など、法隆寺の研究資料とすれば一級だろうし、お経は大般若経、法隆寺一切経、など。星曼荼羅なんてのも面白かったし、美しい孔雀明王の絵もみられて私とすれば満足。

子供なんかまったく面白くはなかろうと思うが、ルーブル美術館の学芸員のかたの言葉を思い出す。「子供がわかろうがわかるまいが、わが国の文化という本物に触れさせて、それを感じさせる。それをずっと続けていれば、自分の国の文化を誇りに思う日がくるのです」なるほどね、ただふれていることが大事なのね、でも今度の展示品はあまりに渋かった。

仏像はそう大きくないものが多かったけど、私も知識あるわけではない。じっと見ていると時代で随分仏像が違うなと感じる。室町時代くらいまでくると、整っているように見えながらなんだか間延びしたふうに見える。さらに太子の絵図さまざまで、太子の小さいときの像さまざまであるが、時代が若くなってくると、そして田舎にくればくるほど、仏像が田舎くさいというかのっぺりした姿になっていると感じた。私もわかるというほどではないので、こうなりゃ自分の好きな位置、好きな立場で見ることである。一級の資料かもしれないけど、そんなのはわからないから。

法隆寺といえば、かって娘の息災を祈って納経したことがある。フエノロサが白布をとりのぞいたという救世観音のおさめどころの勧進でなかったかしら、そのための納経であった。そのおさめどころが建立されて落慶法要が行われ、その法要の招待状をいただいたことがある。喜び勇んで出かけたが、昔の絵巻物そのまんま。弁慶の格好した人とか、水干の格好の人とか、上人は輿にかつがれていらしたとか、まったく絵巻物の世界に入り込んだ感じ。たくさんのお坊さんの読経の唱和する声とか、本当に源氏物語の世界にある法華八講の世界もかくやあらんと法要って厳粛であるべきなのだろうけど、ただきれいで美しく、有難かったことばっかりである。

お寺のことって読経、法要って大事なことであろうし、それは実に美しいものであった。今回の展示はそんな華やかさは想像もできない。どうも展示ってかび臭い、クラっぽい、湿っぽいばっかりで、どっちかというと生きて動いている世界ではなく、死んでしまった動かない世界しか見ることができないように思う。

でも法隆寺で百済観音を見たときに、ほっそりした仏像の指先が、私を招いている感じがして涙が止まらなくなったことがある。急に心が咳き上げてきたのである。仏像は昔も今も生きてある人間にそっと語りかけてくるのであるものであることを感じたものである。語られるには何かを自分が其のときに持っていたのかもしれない。仏像はいつだっていき続けているいものである、見るものではなく、感じるものであると思った。だけどそれがどうしてか、どんな状態でならばとかはまったくわからない。あんな気持ちをいつまでも持ち続けたいと思うけど、どうしてかわからないので、またあんな気持ちが落ちてくるかどうかはわからない。是非、どうしてもと思っているのだけれど。

遠くまで運ばれてきた今回の宝物、生きてある風に心に働きかけてくるものではなかったけれど、また法隆寺にでかけて、仏にあってこようとは思っている。

| | コメント (0)

虎の威をかりる

娘の所の下の孫、2歳、おむつもしっかりしていて喋るのも本人は一生懸命なれど何を言っているのか離れているものには聞き取ること不能。意にそまぬことあれば大声で泣き、まわりを威嚇するなれど、娘は泰然自若、いつものことどうにもならないとわかると泣き止むからほっといてという有様、ワーワー泣けば上の子に嘘泣きよ、みて涙でてないでしょうと、おろおろするじいさんばあさんに言いつけられて、わがままは通るということもない。

この孫、お姉ちゃんの友達が遊びにくる、大好きな面倒見のいいおねえちゃんがいるからか、怖いものなし、なんでもできると勘違い。お姉ちゃんが絵本を読んでいれば、大声でわけのわからない言葉で本を読んでいる。おねえちゃんのやることは全部真似、なんでもできると思っているので、怖いものなし、飛び降りたりは平気危なくてしようがない。

こういうの虎の威を借りている状態だろうと思う。こどもの自分の実力がまるいでわかっていなくて、そこにいるものとおんなじことができるとの勘違いは、まことにほほえましく笑えるだけである。怪我しないように見てはいなきゃならないけど、自分で失敗を重ねながら少しは痛いめにあいながら自分のほどを少しずつわかっていくに違いない。そしてそこから工夫を覚えていき、実力を少しずつ蓄えていくに違いないと、大変たのしくみていられる。

子供の自分というものがまったくわからず、なんでもできる気になっているのなんかおかしいだけど、大人になって自分のほどをわかっていないのは情けない。というよりも自分のほどをわかっているからか、自分のことでなくて、まわりでのことで自分をカモフラジューしているのぐらいはまだしもそれを自分の実力と勘違いしているのはいただけない。

そんな人にはなりたくないなと思いつつ、自分の実力?そんなものは少しもないことも明らか。幸いなるかな、我が亭主にもこっちが勘違いするような力もなく、また勘違いするような家でもなし。お互い気楽なものでした。

ただ子供の虎の威を借りている風を見ていると、自分を振り返る気持ちになったりするのでした。

| | コメント (0)

コミュニケーション

下の孫、二歳を迎えたばかり、男の子ということもあるでしょう、一日中何かをぶつぶつ言っているのだけれど、はっきりした言葉になかなかならず、まわりも言葉を教えたくてうずうずしているのだけれど、なかなかうまくコミュニケーションがとれない。最近電話に出たがり、電話の向こうでは一生懸命なにかを言っているのだけれど、言葉のやりとりにはなかなかならない。でも電話の相手が私、ばあさんと話ししているのは一番ご機嫌がよく、電話が一番長いのだという。長く話しをするこつは、ひたすら私が「ほうちゃん、上手に言えるね~。よかったね~。楽しいね~」とひたすら本人を受け止め、ほめまくるのが、はっきり何かはわからないけど、本人はとても嬉しくいつまでも話、あれで話なのか?を続けるのです。「バイバイ」なのか「バーバ」なのかわからないけど、とにかく理屈ではなく、褒められている、受け止められているというのが声のイントネーション、調子でわかるのでしょう、とても嬉しいらしい。

コミュニケーションというのは、言葉のやりとりに負うとことが大きいけれど、言葉の意味がわからなくても声質、イントネーション、言葉の調子を通してできるというか、気持ちだけは交換できそうである。わずか二歳であるけど、自分が褒められているとか、聞いてもらっている、受け止めてもらっているというのはすごくよくわかるらしい。もっともこっちは大変である。言う言葉がなく、ごちゃごちゃ言っていることの意味を推察して、それにさかんに賛同してやらなきゃならないので電話終わったあかつきにゃぐったり。でも孫が喜んでいるとあればなんとしても頑張りましょうである。上の孫はもうじき6歳、いっぱしのものである。主人孫の声聞きたくて、さかんに電話する、喜ぶと思ってなにやかやしょっちゅう送っている。すると孫から「ありがとう」の電話あり、またしても声聞きたくて、娘に孫を電話口にだすよう督促すると「またかよ」などの声が聞こえながら、電話口にでると愛想がよくなって「おじいちゃんありがとう、今度は」の話。もういっぱしの大人の対応である。

子供の言語獲得能力と、大人への対応のしかたの学ぶことのすばやさには目を見張るものがある。

ただどんな小さい子でも、言葉の中味までいかなくても、言語の中を理解して感情を表現するのはとっても上手である。騙すなんてことはすぐ見透かされるに違いない。子供には正直であるべきであると思う。言葉の後ろを読むなんてことなんて知らないのだから。ただコミュニケーションて案外簡単なのだが、それは感情でのやり取りが主、本当に正直であるだけである。かえって疲れそうか、

どんなに言葉が通じなくても、受け入れてくれる、承認してくれることって嬉しいのですね。子供をみていると素でいることって、案外簡単なのに、またすっかり忘れていることなどを気がつくのである。

小さい子供がいるからまた気がつく世界がある。
明日また電話してみようかな。

| | コメント (0)

プレゼント

さりげなくテーブルの上においてあるもの、針とおしであった。23年前に眼病わずらいそのための入院5回、以後目医者にかからぬ年はない。そのつど治しているのだが、いずれも対症療法。23年もたってこれだから病気とすればおとなしいと医者はいうけど、少しずつ目の力が弱まってきたのは仕方ないかも。でも趣味というよりも習慣みたいになっている読書はやめられない、さすがに疲れるので最近ではもっぱら軽いものにばかり、頭もそれにつれて軽くなってきた感がある。秋の空、澄み渡って真っ青なんてこともあるだろうけど、私は晴れた空といえども、曇りガラスをこえたような空しか見たことがない、何十年もそうだからこんなものであるけど、硝子体混濁のあとはもうとれようもない。いっつもゴミがうかんでいる、そしてそれが降っている。さらに年とともに老化という難物も。日常の生活は難なくこなしているし、まわりの人誰も気づいてはいないけど故障した目も身の内である。

針仕事はもっぱら外注ですますのだけれど、少し針仕事をしなきゃならないことはしょっちゅうである。ボタンがとれた、襦袢の半襟を付け替えたい、綻びた、大事ではないけど針仕事である。いっつも針を通すのは一苦労である。針の太さを大きくすれば、針は通りやすいけれど縫いにくい。主人はもともとは近眼であった。老眼になればめがねいらなくなる人もいる。両目とも手術した人ではあるけど、近くは私よりもまだましかもと、針とおしを頼むことがある。向こうも心頭滅却したような真剣な顔でようやく成功するといった有様。

そこで針通しを買ってきてくれたのであろう。プレゼントが針通しかいってなもんだけど、過ごしてきた年月の深さを思うのです。若いときは似合いもしないのに、宝石なんて言ったこともあり、ちっこいオパールのペンダントを買ってくれたこともあったけど、そんなちっこいのは気にいらず、以後取引先で宝石取り扱っていたこともあり、似合いもしない、いりもしないのに、宝石にのめりこんでいたこともあった。今夢のあとの指輪、サイズもあわず、箱の中で眠っている。今となれば、針とおし、なによりのプレゼントであります。なんだかしみじみとしてしまう。

目は大事と十分に承知しているけれど、使わないから大丈夫なんてのじゃないから、今までどおり普通に扱うしかない。幸い私のまわりには、まだ手伝ってくれる人もいるのでどうにかなるのだけれど、全部一人なんてことになると大変かも。

こうしながらも目はじゃかじゃかする。でもパソコンを通じてほんのちょっぴりの世界と繋がっている感じは悪くなく、もちろん続けていくつもり。

針とおしのプレゼントが一番になるなんて、若い時には思いもよらなかった。欲しい物を言えといわれれば、思いつくものがないわけではいけど、どうあってでもいうひりつくような感覚のものではない。あれば楽しいかなというほどの要求でしかない。

知足安分という世界なんていうおこがましさはないけど、どっちでもよし、といういい加減の世界であることは事実。
其の中で針とおしなんてじつにささやかでどうでもみたいに見えるものの中に、我ら夫婦の歴史が詰まってきたなと柄にもなくしみじみとしてしまうのです。

| | コメント (4)

珍しい客

香港に住んでいる叔父が来た。日本での住まいは横浜であるけど、出身はこっち。おじいちゃん、つまりは叔父の父がなくなって18年ぶりでの来富である。10年前に香港に尋ねたことのある私は10年ぶりだけれど、母、叔父の姉にあたるは18年ぶり。感激一入で、これで今生の別れかと「元気で」という言葉も涙声である。

香港に住んで16年とのこと。香港に一人で乗り込み、現地で会社を立ち上げ、今では日本の親会社には海外に6っつ会社があるそうだが、その会社の稼ぎ頭に育てあげ、初めは日本の会社は出資20%であったそうだが、儲かる会社になって100%出資しているそうな。そこの社長をしている。定年は過ぎたのだけれど、嘱託という身分なれど、給料は現役と一緒だけ払ってもらっているよし、意気軒昂である。叔父なのだけれど、私よりも二歳だけ上、現役で働くのが好き、じつに若々しい。香港に単身赴任して16年、仕事は大変だろうけど、単身のまま充実している。

16年の単身での仕事、まったく苦にはなっていないようである。根をあげるどころか、ますます業績をあげよう、真面目に仕事すればしただけのことありと、本当に若々しい。弟は叔父よりも5歳下だけれど、昨年大病したこともあるだろうけど、もっと老けてみえる。思うに弟の勤めていた会社は業種が不景気ということもあり、リストラを何度もやった。弟はその波をかぶることなく、定年まで勤め上げたのだけれど、仲間がやめさせられていった。ボーナスは減額、配置転換などさまざまあったのではなかろうか、詳しいことはわからないけれど、とにかく定年を待ち遠しがっていたもの。その会社に勤めていた人は、本当に元気が無い人が多かった。仕事の量、責任ということになると、叔父のほうが激務ではなかろうか。しかも言葉は基本的に英語、広東語のこともあるらしい。仕事は激務だったら、ストレスで過労なんていわれるけれど、充実感というものとの合算で考えれば、激務というのはそれそのものがストレスではないらしい。中国、台湾、東南アジアをまたにかけた運送の仕事である。陸送もあり海送もある。商習慣の違い、国振りの違い、運送上での事故、トラブル、保険を何重にもかけての仕事、じつに大変だろうけど、売り上げあげていく、新しいビジネスの成功と、とても日本では味わえないスリルと充実感らしい。

仕事人間の叔父は16年の間に私用で帰国したのは今度で二回目だとのこと。一度目は娘の結婚式であったとのこと。これじゃ18年ぶりの来富になるわ。まったく仕事の鬼か。でも充実感でいっぱいらしい。そんな仕事の鬼みたいな話、年もあるだろうけど、自己営業の家に育った我らは深く納得するのです。そんな生き方って男らしいなんて、いまでは絶対はやらないような考え方、ひさびさに同感できて多いに盛り上がったのでした。

叔父の話でなるほどと思ったこと
日本はアジア各国の人からみると高い賃金をはらってもらっている。さらに年金あり、健康保険もある。いってみるなら将来のことはアジアの人々からみると非常に恵まれている。にもかかわらず、将来を悲観して自衛と称して貯金にばかり励んでお金を使わない。だからお金が回らなくて不景気になってしまう。香港、中国の人は、不動産とか消費を非常にする、そんなに貯金ばかりとは考えない。子供が親の年をとったのを見るのは当たり前という感覚があり、自分の老後をそう悲観していない。ようやく就職した其の月から、親に仕送りする人は珍しくないとのこと。親を大事にするあの感覚もっと日本人は見習ってもいいのではないのか。楽しくお金を使うとおいうことで経済は活性化する。悲観的なことばかり煽るマスコミはいかがなものか、そしてそれが当たり前ととる国民性っていかがなものか、

ないもかも公に要求すれば税金は高くなるばかりである。親孝行って時代おくれと考えるのではなく、それができないなら、同世代同士のボランテアをもっと推し進める、人助けってたのしいものであろうに。

こんな話は本当に納得できるものであった。
香港に単身で乗り込み、ホテル住まいから始まって会社を立ち上げ、今日まできたのはひとえに人のつながり、助けがあったればこそ。現役しりぞいたらボランテアを組織して生きたい、
こんな考え方をグローバルというのじゃないのかな。若々しく仕事に没頭、色々な国の人との付き合い、商売相手、こんな話聞いていると、私も考え方がすごく縮こまっているなと感じる。

叔父と一緒に随分久しぶりに祖父母の墓参りもできた。母、叔母、母の実家の叔父にもみんな会えて、一族と言う感じがして一気に昔の思い出の話にもどり楽しかった。いとこたちもみな一線で活躍している様子も話しきけたし、久しぶりに楽しい一日であった。

18年ぶりで来富のことを考えると、この次は縁起でもないけど誰かの葬儀にならなきゃいいけどとも思うのである。母の涙はわかる気がする。

叔父さん、香港でさらに活躍して下さい。お元気で。

| | コメント (0)

季節は変わる

冬過ぎて春のきたるにあらずと雪間の草の春、などと繊細な季節の移り変わりを古人はよく読んでいる。夏から秋の移り変わりは、日中と夜との季節の違いということに一番でてくる。日中はとうとう日本も亜熱帯地方になったか、温暖化の影響かと騒ぐほどの残暑がいつまでも続き、あげくに今年は雨という言葉も気恥ずかしいほどのスコールかといった雨が多かった。

夜の闇に包まれると、虫のすだく声のすさまじいこと。「枕草子」に「ちちよ、ちちよとあわれに鳴く」という虫の話も出てくるし、「堤中納言物語」には「虫めずる姫君」なんていう話も出てくる。虫は情緒的にとらえられているし、その本から見えるのは、音楽的にもすばらしい、やさしげな虫たちである。時代のせいなのか、我が家の庭が悪いのか、情緒纏綿といった虫ではなく、一斉になく虫の合唱はむしろ命のかぎりと言った感じで、必死さが漂い、またたけだけしいと感じる。日中の夏の名残はふきとんで秋なんだね~と実感する。
さらに「月々に月みる月おおけれど、今日見る月はこの月の月」と一年中月はかわらず出ているけど、秋の月は特別なもの。もの思うには月と秋の夜は特別である。

秋は日中と夜の差が大きい。夜になって「あ~季節は移り変ってるのね」と実感する。日中では残暑が残っていたりして、うかうかと季節の移り変わりには鈍感であるけど、夜の闇に季節の移り変わりを如実に感じることとなる。

昔の人は、自然の移り変わりには今の人よりももっと敏感であった、それは文芸的な意味の中ばかりではなく、ほとんどは自然に合わせて生きていたのだから、農耕民族であるからには当然であった、
とはいえ、やはり自然にまかせてというだけではなく、さまざまな節目という行事を設定することでより季節を実感していたもの。

昨日は彼岸の中日であった。暑さ寒さも彼岸までという自然の移り変わりだけでなく、お彼岸には墓参りをする、さらにおはぎを作って仏壇に供える、そんな行事を通して季節のうつりかわりを感じていたのであろう。我が家でも毎年おはぎを作って仏壇に供えるのは当たり前の行事であった。小豆を煮て、黄な粉、ゴマと三色のおはぎ、毎年作って供えるのは当たり前であったけれど、今年はやってない。帯状疱疹になってまだ鈍痛を抱えている。気だるさがぬけない、気力わかないである。若い時は家族多く、店の人にも、親戚にも裾分けして張り切ったものであるけど、今やひっそりした我が家では気力わかないだけでなく、似つかわしくなくなってしまった感がある。長年やってきた行事であるし、家族もおはぎが大好きだから、帯状疱疹よくなってから作ろうとは思う。なんとなく諦められない行事なのである。忘れた時間、後ろめたい感じかな。それともあの賑わいの過去の時間を懐かしむ気持ちかも。

昔の人もただ季節が移ろうのを見ていても、そんなにわかるものではなく、季節を行事におきかえて楽しむ、あるいは季節の移ろいを行事で知る、という工夫があったものと思われる。

いま伝えられてきた行事は我が家にかぎらず形骸化してきたように思う。生活の仕方、家族の有様が違ってきたので、行事がそのままでは生活にそぐわないということもあるだろう。

四季のめりはりが効いている日本、でも漫然としていれば季節の移ろいはわからないまんま。あれ~秋だわ、冬だわ~にしかならない。そんな漫然さを防ぐ手立てが季節にまつわる行事、楽しかったり、おいしかったり、さまざまな行事は本当に生活に厚みを加えてくれるスパイスのようなもの。
それらの行事は必ずしも現代の生活にはぴったりではないかもしれないけど、大事にしたいと思う。なんといっても季節を愛でる感性のうちの国だものと思う。

| | コメント (2)

言葉 その中味

言葉は事物を表したり、心を表したりとまったく意識もしないままに使っていることが多い。大人になると言葉の膨らみに気を配り、ぶしつけ、そのまんまが言葉の中味とはいえないことは十分承知している。

さはいえども、お茶にまつわる世界の言葉ほど、内容との乖離があるのではと思うことはそうはないかも。お茶とは無縁に過ごしている人が、お茶に携わっている人を煙たく思ったり、近づきにくいと感じるのは、主として言葉がそのまんまではなさそうだ、どこらに真実があるのかわからないということを感じてしまって、近寄らないでおこう、あるいは胡散臭いと感じてしまうと言われたものである。

実際何気なく言っているのだろうが、何十年もお茶をやっていながらひよこですと謙遜したふうに見えながら、その実は全然そんなこと思っていなくて、とりあえずそう言っておけば問題はなかろうという一種傲慢な思いの表現であることが多い。またそう聞いているほうも、まっすぐひよこなんて全然受けとっていず、ベテランですねなんて思いながら、そういう言い方をするのは当たり前ととっていることが多い。それは大人同士の会話であろうという話になっているけど、それは大人同士の会話ではなく、ただたんに年を重ねている人とか、先生のその社会におけるヒエラルキーをなんとなく追認、それに従っていれば問題はないだろうという暗黙の了解のうちの上滑りした言葉であることが多い。

言葉は実感を伴ってこそ相手に届き、心をうつものである。なにごともむくつけき荒々しい現実をそのまま言葉にするということではないけど、真実をオブラートーに包んだという程度どころか、まったく心にもないことを一つの型として言葉として表現するのはいかがなものであろうか。どうしてお茶の世界では、言葉まで型があるのかと驚き、うんざりするのは私だけではなかろう。

うわすべりの言葉を謙遜と勘違いしている御仁は多いかも。

お茶が好きな人は多いけれど、あの言葉の持つ世界にはついていけない。近寄りたくないという人のなんと多いことか。

お茶は特別な世界とは思わない。自分らしくありたい一つの世界ではあるけど、特別の世界、選良なんていう思いのなんと傲慢で小さな世界であることか。でもきっとそんな現実とはちょっとずれた言葉の世界って、本当は其の人の鎧かもしれないと思うこともある。お茶と切り離してみれば、なかなか味のあるエレガントな人はいますもの。ところがお茶と限定してしまうと厚手の鎧に包まれたなんとも柔和に見えながら、その実は空疎な世界に変貌してしまう人の多いこと。これだからお茶って誤解されるんだわと思う。

子供の時分から稽古を始めても何十年も修練しながら、いつまでもひよこと言わなきゃならない、しかも決して自分では思っていない、そんな世界。さらにヒエラルキーがてんで違うことでの評価、なにもお茶に限らずなのかもしれないけど、言葉と中味を一体化は無理としても、近づける、あるいは実感に近づけることぐらいはできるのじゃないのかな。

空疎な言葉の羅列の世界、こんなの楽しいの?
長年の疑問とそしてそんな世界のまどろこしさとあほらしさにいささかうんざりしているのです。

| | コメント (4)

«月見の思い出