グサイ・グフ
グサイって愚妻です。愚妻って言葉はあるけど愚夫なんて言葉はないですね。それどころか愚妻はなどと男の人が使おうものなら、威張らせてもらっているんだねと羨望の眼で見られるかも。そして自分の家族を謙遜して言っているのねなどとさらにポイントが高いかもしれない。一方愚夫などと女性が使おうものなら、家族のことを謙虚に言っている控えめなどととられるどころか、怖いもの知らず、常識のかけたる人ととられるのが落ちである。言葉は出自もあって、人と人との関係性が非常に重要で、それだからこそ言葉に膨らみも出るし、人との円滑な関係も生まれるというもの。
自分の伴侶を人にどう言うかは非常に微妙な問題がある。年代もあるし、そこの家のてんでの関係性も透けてみえそうで、中々微妙。夫、つれあい、主人、旦那、などなど。私はそこそこきちんとの内容の時は、主人である。普通は旦那じゃなく、ダンナ。カタカナにするところに漢字の旦那とはちと差をつけているつもり。旦那はサンスクリット語のダーナからできた言葉と聞いている。寺、坊さんに十分な援助をする人であるという言葉から出てきているという。すると旦那という言葉には、ある種の尊敬、敬うという気持ちがこめられていると思う。すると幾分かの拒絶の気持ちも働くのです。そこでダンナ、平等な人間関係性をあらわしているつもり。決して軽んじる気持ちはないけど、ことさら敬うなんて気恥ずかしいという感じかな。
主人なんて言葉もそうであるけど、ここは目をつむって、話する相手のかたへの気遣いかも。相手が主人で私が僕なんて思ってもいないけど、話している相手に対しての礼儀になっているか。
愚妻、豚児なんて言葉主人は使うこともないだろうけど、ことさらにへりくだっているのは、かえって慇懃無礼にしか聞こえず、かえって傲慢にみえてしまう危惧もある。同様に手紙での、ご令室様とかご令閨様などは落ちつかないことおびただしい。まあ滅多に言われることはないのだけれど、言われたら襟を正すどころか、笑い転げることは必定である。何者でもありませんと言いにいきたくなる。
あちこちで伴侶をなんと言っているかなと興味覚えることもあるが、関西の人って自分の女房のことを嫁と言い習わしていることが多く、慣用の使い方と思っていて、あ~そうだったのねと思う。私たちの周りでは嫁といえば、つれあいではなく、文字通り嫁である。家の女、忍従なんて意味しみついていそうで、連れ合いをあらわす言葉としては使うことはない。女房、家内、などが一般的かな。
主人、あるいは旦那がどうも呼び方がしっくりこないと思っている人もいると思うが、連れ合いのことをあいかたという呼び方をしている人がいる。どうも気になってしかたない。あいかたは相方というよりも、むしろ江戸時代の遊女のその日のあいかた、一夜かぎりの性を仲介にした相手であるという意識があって、どうも馴染めない。あいかたの相方は伴侶ではなく、仕事の片棒の相手という意味でなら使えるかもしれないけれど、おかしいと感じてしまう。人が使っていない言い方として、その関係性を相方として使っているのかもしれないけど、おかしいと思う。ほかでこんな言い方をしている人は見当たらない。おかしいのではと言いたいけれど、言葉というのはすごく流動するもの。つれあいとの関係性をどう表記するか考えてのことかもしれずと思い言い出せないでいる。
つまらないことかもしれないけど、言葉って実に微妙である。


最近のコメント