懐石料理
なにげなしについているテレビをみれば、「あの人は何をたべていたか」という番組、足利将軍の,義政をとりあげていた。興味につられて見たのだが面白かった。足利義政、応仁の乱をひきおこし、以後戦国時代を招来し、政治的にはあまり能力がなかったとされている将軍であるが、今日の座敷やさまざまな文化の元となった東山文化の推進者であり、銀閣寺を建てた人としても知られている。非常に文化のセンスの高い人であった。
その時代の将軍というのは、江戸時代の将軍のような地位が確立されてはいず、管領という人もおり、かく小大名の糸を結び、地位を安泰にするのに、ほとんど食事を介在したコネ作りが義政の政治のほとんどであったということらしい。
応仁の乱の端緒になったのも、訪ねると約束した大名の家に出向かず、他の大名の家に出向いていたということで、応仁の乱になった直接の動機だったと伝えていた。
そこで食事に出向く、そのご馳走という品数は、その料理人をつとめた子孫の家に伝わる伝書によれば、17献までもあり、ゆうに100品もあったとのこと。これが仕事だから、ほとんど毎日政権を安定させるための贅沢な食事の日々であったらしい。もうあきあきして、自分が好んだ食事というのは、湯漬けであったとのこと。さてその湯漬けというのは、姫飯を水洗いしてねばりをとり,さらさらにした飯に昆布、しいたけを一晩つけてとった出汁をかけた贅沢とも思える湯漬けであったとか。
昆布やシイタケからの出汁をとり、新鮮な野菜の素材のおいしさを、食事としてしておいしいという状況にしたのは、義政、そして禅宗のお坊さんであったとのこと。それまでの時代というのは、素材のおいしさというよりも、乾物にしてものをいただくということが多かったらしい。なによりも出汁をとるというのはこの時代になってのことであり、さらに、食べ物にあれやこれやをいうのははしたないこととされ、食べ物の追求ということがおおっぴらにされたのはこの時代であったとのこと。
それが今日の懐石料理の起源らしい。食べ物というのは、素材の命を戴くということであり、食べるということに非常に意味を見出していったようである。
懐石料理というのは、素材の命を戴き、自分の命として消化する。そんなこともあるけど、空腹をごまかすために温石をかかえる、そんな粗末な食事、あるいはおなかのすく料理ではなく、非常に哲学的な意味をこめているなということ。さらに、贅沢な17献もある100品ものこの世の贅を尽くしたあとの簡素な食事であるということ。つまり、豊かのはてに到達した貧ということであったことをあらためて勉強した。
円満具足の欠けたるところのない完璧のはてにいたる、欠けた、粗末な、満ち足りない食事、それが懐石料理。
日本の美意識にぴったり符合することに驚いたものです。
懐石料理をお出ししようとすると、もちろん私の料理下手もあるけど、なにか違うと感じていたのは、完全を味わいつくしたあとの質素、つまり余裕がないので、私が作った料理は惣菜から前にでないんだなと納得してしまった。
料理ではあるけど、やはり日本の伝統的な美意識が外に現れているのが懐石料理なんだなと思ったのだった。
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コメント
久し振りに拝見しましたが、
とても興味深い内容でした。
読みながら「へ~」「なるほど~」「はは~」と、感動!
懐石はかなり「だし」と「材料の素材」に拘っています。
こんぶとかつおだしの値段を初めて聞いた人は驚きます。
80~90%は「だし」で決まると思っていますの^^
>欠けた、粗末な、満ち足りない食事、それが懐石料理。<
その通りですね><
だから、私は正直なところ懐石料理は口に合わないです。
投稿: さかもっちゃん | 2007年9月 2日 (日) 16時42分
出汁って、昆布、シイタケが主流ですね。
ほしあわびの出汁なんてあるのだろうか。
繊細な舌を持ってないものですから、出汁を濃くしてしまって、あえかなあわあわしい味をなかなか出せないでおります。
欠けた、粗末な、満ち足りない懐石料理、
口にあわない。
ここで噴出しました。なぜって、皆さん、お世辞でもおいしいです、結構なお味で・・・というのしか聞いたことがなかったから。
世に有名な懐石料理の店をでてから、ラーメン屋にはいったという話も聞いたことがあります。なんだ、正直に言ってよねと思わなくもない。
投稿: 蜆子 | 2007年9月 3日 (月) 11時17分