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金沢なるところ(一座建立ー工芸家と茶人の続き)ミクシーの転載

かって五木寛之は、自分にとって「金沢は怖ろしい町だった」と書いているそう。しかもそれを知ったのは。住み慣れた金沢を離れ、講演で関東のある地方都市へ出かけた時のことだったとして、さらに次のように書いているとのこと。
「そこでお茶が出た。ごく普通の茶である。だが私はその茶を一口飲んで、なんとまずい茶だろう、と感じた。次に、出された菓子を食べ、その砂糖のしつこい甘さに閉口した。<いやな茶碗だ>と、私は思い、そう思った自分にひどく驚いた。東京にいた頃はプラスチックの茶碗を何とも思わず、菓子といえば今川焼きか追分団子が一番うまいと信じていた私である。」

つまり、ここで愕然とするのは、いつのまにか金沢が「私を犯していた」という事実に、五木自身はじめて気がついたからであった。風土的な影響、ここでは金沢の、もっとも顕著な一例を見ることができよう。
(「北陸名作の舞台」より「朱鷺の墓」の部分)


先日の茶事のおりの正客をしていただいた蒔絵師のかたは、「加賀藩細工所」の流れをひく蒔絵師さんである。

五木寛之の金沢という風土が人間にどう侵食しているかということが、前に頂いた手紙のあとに、さらにいただいた手紙に色濃く現れているように思う。いかにも金沢というか、金沢なるところがよくわかり、その深さに驚嘆したので、さらに私信であるけど載せたい。


前略
 また筆を継がせていただきます。ご無礼をお許し下さい。

茶の湯の事は不勉強でして、何も存じ上げないに等しいのですが
お茶事の夜咄はそれとして夜の茶事も色々にあったように思われます。季節を問わず灯火一本のもと かすかに煌く光は、漆も土ものも唐かねも金銀の閃光であり、水指の水面、茶碗の闇に浮かび上がるやはらかなまた炭火にみゆる生命の原点に在る色だったかもしれません。

見ることから離れ、姿(お点前)から離れ、人の五感の交わりごとをもってなされたように思っております。

動きなき時の気配や呼吸 絹ずれ 松籟 ゆこぼしの音、お手だけ見ゆるお点前の闇に浮かぶ掬われた茶 茶筅ずれの音
闇に走る主客の眼光 立ち上る香気など

見ていたときに観えなかったものが顕かに浮かび上がる深い交歓の一刻
手達であればあるほどに深まるものが大きいものかもしれません。
武士の茶の一隅であったことでしょう。
全て不出来な正客と反省しきりの今日です。

お濃茶の一服のお茶碗を手にした時、両手に戴いたとき、一切見えずともお焼や様々なこと、充分にお察し申し上げたくてご亭主とやりとりができましたらより一層深いやりとり(言葉でのはなし)が可能なのだろうと実感しておりました。

あまりに見る事ばかりに頼る今日にあって、見えぬ時に観る事こそ肝要と全く幽玄な一刻を持たせていただきました。
お礼を申し上げたく墨を重ねさせていただきました。

                 草々  再拝
                        ○○○

夜のしじまの中での黒茶碗、肌合い、海の中、
すべて五感で味わうべきもの
それを亭主の私が色々いいましたことどもが、余計なことであったと反省しております。
見るから観ずる世界に。
五感をとぎすます、夜のしじまの茶。

まさに五木寛之が金沢から知らずうちに、受け取っていた深い金沢なる世界、金沢で生まれ、育ち、工芸の世界にいらっしゃるかたには、本当に色濃く精神的な世界を深めることを私自身習ったと思っています。
本当に茶の世界の深さを再認識しました、今回の経験でした。
いつまでも心であたためております。

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朋あり遠方より来る

朋あり遠方より来る 亦楽しからずや

こんな時代の友達の到来はもっぱら歩きであろうし、本当に嬉しかったに違いない。今もし遠方より来るということであれば、前々から連絡おこたりなく計画は練られて会った時にはもう計画の遂行のみがあるみたいなもので、古人が考えたほどの浮き立つ気持ちなんてないだろう。でも実際に会うのなら、それはまた時間を越えて語り合うこと、会った喜びは大きい。

インターネット時代の友?知り合いのきっかけは趣味の世界のブログなんていうものを通じて爆発的に増えている。MIXIなんかでは、繋がっている人の数、繋がっている先がわかる仕組みである。数を競うが如く、何十人、どうかすると何百人なんかの数を誇っている人も珍しくない。しかも自分の繋がっているブログの最新記事の更新状況をしらせてくれるから、たくさんの人と繋がっている人なんてどうしているのかなと思ってしまう。

記事に対してほとんど反射神経である。たくさんの記事に目を通そうとすると大変、そもそもほとんどが文章の達人でもなければ、中身を掘り下げてじっくりと書かれたというものでもない。たまにそのかたの専門領域をじっくり何十回にもわけて、ほとんど論文のように掘り下げて書いてあるものもあるが、反射神経のようなただの個人のよしなしごとの中に埋没してしまう。勿体ないことである。非常に中味濃く、何度も反芻してもなかなかわからない高度な内容のもの、自分のデータのなかに取り込んで、後々まで勉強を続けるということはできなくもないけど、毎日の更新で、ただただ流されていくのみである。

友の数は増えた?知りたい情報を普通のブログの中でひらえるか?

これは一般的なブログの世界であるけど、専門分野の論文もじつは厖大な数が発表されていて、しかもそれはますます細分化し、ますます専門化し、それらを咀嚼できるのは本当にごくせまい世界のことになっているらしい。つまりは発表のための発表になっているらしい。

簡単にブログは作れる。誰でもどこでも、何でもの世界、道徳的によほどおかしくなければ規制はない。何を発信しているというわけでもない世界に遅れてはいけない、混じっていなけりゃ、時代においていかれそうななんとなしの不安感でとりあえず始めてみる。中味なんてまったくなくてもいい。全部私の趣味、私の世界と豪語すりゃ、誰も何もいえない。厖大な数のブログという世界。

その中から珠玉のものが生まれる可能性はないではない。だけれどなんだか格好だけはITなどの甘い言葉に包まれて、厖大な無駄の再生産に日夜邁進しているのかもと思う。

反射神経も基礎体力があれば、立派な反射であろうけど、ただの相手に対しての反射であるなら、自分の投げたボールの貧しさが自分にかえってくるだけである。

ブログって自分のつぶやきをのせながら、一体何なのだと思う。

生きてある友との語らい、語れる友を求めて右往左往。昔の人の、また楽しからずや、の世界を心底うらやましいと思う。

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感情表現

毎日さまざまな事件がおきている。被害者のかたがテレビにしょうっちゅう映っている。事件のあとで、とくに加害者と本人がいっている事件などは、とくに感情もあらわに、わ~わ~泣きじゃくる例が多い。気の毒とも思うが、がいして被害者はたしかに被害者なのだろうが、まったくの落ち度はなかったのかと思うと、そうとばかりはいえないのではなかろうかと思うことも多い。気の毒と思いながら、申し訳ないけど気持ちがさめてしまって、急いでテレビを消してしまうことも多い。

感情表現といえば、昔よんだ芥川龍之介の小品「手巾」を思い出す。ハンカチとルビがふってなかっただろうか。先生のもとに教え子の母親が訪ねてくる。息子が戦死したので世話になった先生に報告と挨拶にきたという話であった。その婦人はきちんと着物を着付け、顔にはうっすらと微笑を浮かべている。そして息子の戦死の報告をするのである。机にあったものがふと落ち、先生はそれを拾おうとして、たまたま顔を下にむけたところ、机の下で、婦人はかたくハンカチをにぎりしめ、その手がぶるぶるとふるえていた。顔は微笑をうかべながら、手にはかたく握り締められたハンカチ。婦人は顔は笑いながら、全身で泣いていたという話であった。

人に悲しい不快な話を聞かせるのだからと礼儀として顔には微笑がうかべながら、見えぬ部分で全身で泣き、悲しみをこらえているという話は、芥川が小説にするほどの話であるから、その時代でも珍しかったものであろう。抑制された悲しみは、かえって深い悲しみ、慟哭として読者に伝わったものである。自分の息子の死という耐えられぬ悲しみを、抑制された感情表現でありながら、なんとも深い慟哭として私には伝わってきた。

こんな武士道の死骸みたいなものは人間的とはいえない。素直に感情を表現するのが人間らしい。気持ちを発散させるほうがいい。
そうだろうか。今慎みもなく泣きじゃくる人たち、同感はたしかにするんだけど、なにか浅いものを感じて辟易してしまう。ひどい時には相手に対しての恫喝にしかみえない場合もある。

抑制された感情表現、それは一時代前の日本的感性であった。一見へらへらしている、にやにやしているにしか見えない顔の裏にどれだけの深い感情の交錯があったものかを、察知する能力もみなひとしく持っていたものである。今平板なわかりやすい表現しか見えず、それとともに人の感情を人情の機微を読み取る能力もすごく鈍磨してきていると思う。

そんな時代だからか、被害者は泣きじゃくる、あるいは相手が悪いと言い募る。お互い思いやる余力がないものかと気持ちが寒くなる。

ほんの少し前には、誰にならうでもなく、皆当たり前に持っていた感性、これこそが日本人的感性であり、誇っていいものだと思うのだけれど、時代とともに感情まで摩滅してしまって、なんとも味気ない。
こんな感情の発露まで、グローバル化なんてもうともいいたくないものだ。

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一座建立ー工芸家と茶人(ミクシー記事の転載)

一座建立ー工芸家と茶人編集する全体に公開
2008年02月21日10:52
先だっての茶事のあと、それぞれより心温まる懇ろな後礼が届いた。
工芸家の方々の挨拶状から、一座建立について考えたい。
ちょっと長くなるけど、文面を紹介したい。

一枚目
木地刳り師のかた

拝啓
 立春も過ぎましたが寒い日が続いております。先生にはお変わりなくお過ごしの御事と存じ上げます。
この度は思いもかけず夜咄の茶会にお招きいただき、まことに有難うございました。お蔭様で大変楽しい時間を過ごさせていただきましたこと深く感謝申し上げます。
 私にとっては初めての夜咄の茶会で、お茶の奥深い幽玄の世界を知ることができ深く感動しております。先生のお心の篭った気配と楽しいお話を聞き同席の皆様方とも更なる親交を深めることができ有難うございました。
 この楽しいかった想いを励みに木工の仕事に精進をいたしてまいります。
 寒い日が続く様子です。どうぞお体お大切に。
 まずはお礼まで。
         敬具
           ○○○拝

写真二枚目
蒔絵師のかた

 拝啓
  春近しといえ寒い日が続いております。
  寒中にお招きいただきました夜咄のお席の暖かさに今もほっこりした心持で過ごさせていただいております。
  永いご準備 ご思案の賜物となるお席に相伴させて頂いたのみならず、私共の手になるものがそこに在った喜びは言い尽くせません。重ねて感謝申し上げます。
  今もずっとその時以来、想いの中心にあることがあります。
  それは先人が為すべきために為してきたという事実です。
  今回のお席にて、そのことが具現されておられ、茶の湯でははたらきというのでしょうか、何事にも通ずる茶の真髄に会った心持のことです。
  私共のかかわる工芸といわれる様々も為すべきために為すことが忘れられ、本来のことから離れてしまったことが多く感ぜられます。
世の多くのことがそうなってきている折、事の創世記に在るダイナミックな心の働きを実感させていただいた事実でありました。
この働きこそ伝統にかかわる者として繁じべきものと感じております・
  寒さに暖かき湯  
  暗さに明快を
おはたらきに満ちた中 お客様各人のお心暖かく和やかに一座建立のそのままに一座を建てられましたご亭主に心よりお礼申し上げます。
  お湯、灯火のおはたらき 鮮やかなる墨蹟の御一行
  様々なる色、人の交わり 
  ご亭主が灯火そのものと感服いたしております。
早幾日も過ぎお疲れもご回復かと存じ上げますが、いまだ寒風も残っております。どうぞご自愛くださいまして、益々のご発展をお祈り申し上げます。
末筆ながらご主人様、ご子息様にも宜しく仰って下さい。本来なれば参上いたしお礼申しあげるべきを寸緒にて失礼お許し下さいませ。
   
     敬白   ○○○

さらに別紙に、歌一首、
とても感激いたしておりますが、あまりに誉めてあってというか、気恥ずかしくて歌の披露は遠慮いたします。



個人の私信をこんな場に公開するのもいかがなものかなとの思いもあるけど、工芸に携わる人との一座建立を私の思い以上に深く受け止めて下さって、私自身一座建立ということを言葉としてだけでなく、実感できたことを書いてみたかった。

物作りのかたはその作品が実際に使われる場に立ち会う機会はほとんどないと思われる。実際に立ち会うことにより、そのものが、他の道具との兼ね合いの中で生き生きと輝いているか、あるいはそのものが立ち働いているかを実感できる経験できる場になっているのである。

それは使用する側が、その道具を生き生きと動かしているか、存在をきちんとアピールできているか、ほかの道具の中で埋没させてしまわないかを、作り手に見てもらっているようで、双方真剣勝負にならざるをえない。

そしてそれは気持ちの働きに多いによるものだと思っている。

伝統ということを先だって来、椎親父さんとザビエル鬼さんが論じていらしたけど、ことの創世記のダイナミズムということで、物作りのかたは同じ風にとらえていらっしゃるのだと感心してしまった。

伝統というのは生きてあること、ダイナミックであること
深く納得している。

拙い私の茶事にとても深く掘り下げてくださって、仕事の励みに精進したいと仰っていただいて、身にあまる光栄です。

亭主、客双方の心の交流、これで一座が建立されること
お互いを思いやり、一段と暖かい空気を醸成できたとの私の思いを皆さん受け止めて下さって感激です。

マイミクの
椎親父さんの茶碗、鉢、ザビエル鬼さんの茶碗、とくさんの湯のみ、茶碗など、みなそれぞれに素晴らしい働きをしてくれました。
古いもの、軸、釜、水指、茶入れ、茶碗一個
などの中で、私自身をよく助けてくれて盛り上げてくれました。
皆さんに感謝申し上げます。

茶人のかたは申すに及ばず、心温まる後礼をいただき、今も心の中心が温かいのです。

素敵な思いを抱かせていただいたのは、私自身であったといわなきゃならないです。

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楽しめる理由

前に消費の分野では楽しめない理由を書いてみた。世の中、消費とお金が優先されていて、そんな分野では楽しめず、さらに日々の仕事は、小さな商売をやっているから、売り上げ、支払い、回転率、さまざまがあって、なんぼ馴れているといってもこんなざわざわした仕事に気持ちを集中すれば、もっとよい結果を迎えられたかもしれないけど、あまりにも心が干からびる。ぎすぎすした気持ち、ざらざらした心持だけの日常では耐えられない。

私の楽しめるもの、それは自分を長い間掘り続けてきた趣味としてのお茶である。お茶ではどれだけという評価はまったくない。育てて下さった先生とは、琴線にふれる話をいつもして、その後塵を拝しながら、ひたすら続きと歩いてきたもの。それを人に教えたいとも思わないし、人によっては日本の麗しい伝統を担っていると言っている人もいるけど、私にとっては伝統でもなく、自分の気持ちをのせる、気持ちを放つ手段であり、勉強の手段であり、目標でもある。

自分の美意識を鍛えるなんてできるわけもなかったけど、工芸のものを見る視点を自分で設定してきたし、美術館でものを見る立脚点もあくまでも細々とやってきたお茶がもととなっている。

自分の甲斐性なんてさっぱりないけど、幾分の購ったものは、自分の納得の中で購ったものであり、まったく無茶としかいいようがないけど、自分とすればすっきり気持ちがいい。大したものを購えない自分の言い訳であるけど、あくまでも自分の表現である。

評価は自分の中にあり、他人の思惑とは無縁。
すると楽しめると思うのです。

そしてこんな楽しみがあるから、結構きったはったの現実に立ち向かえる気持ちを奮い立たせることができると思うのです。

今となれば、主人もそんな確固とした楽しみを有している私をよかったなと言ってくれるようになった。男の人はこんな楽しみを持っている人は少ないかもしれない。会社で出世する、売り上げをあげる、人から羨まれる、みんなみんな素敵なことかもしれないけど、自分の中で、評価とは関係のない楽しめるものを持った幸せを思う。

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楽しめない理由

我が町内の婦人会の新年会があった。町内のあるかたの娘さんの嫁ぎ先、焼き肉屋さん。もと肉やさんだったのだけれど、焼き肉中心の大きなレストランに。貸し座敷がいくつもあって、バスで送り迎えも。まことに結構ということで今年はここに決定。

大きな敷地での大きなレストラン、きれいにしてあってみんな大喜び。もちろんそうなんだけど、長い間商売に携わってきたものにとっては、大きな建物のランニングコストとか建物の償却とか、税金とか大変だろうとまずは思ってしまう。こんな大きな建物では客の回転率はどうなんだろうと思ってしまって、純粋に楽しめない。とくに飲食業界の冷え込みはひどい。普通の人によれば、おいしいものを提供できれば客はついてくる。それって正論なんだけど、田舎ではそんなものすごい料理人をやとえるほどの売り上げができるはずもない。煎じ詰めれば人口の数ではないのになりがち。町の規模が一万人、ほかの町からの集客をはかればと思うかもしれないけど、ほかの町にはまたほかにあるんですね。公の建物って原価償却という概念がないみたいである。それにもかかわらず、毎年のランニングコストもひねり出せないで、大赤字なんてのがよくある。

自分でやったものは、土地、建物、全部償却を考えなきゃならない。にもかかわらずその土地での売れる値段というのがあるわけです。

飲食業界にかかわらず、地方で商売を続けてきた身には、なにやかや中味の裏側がみえて、本当に楽しめない。都会の百貨店にはいれば、これがまた自分の商売のことが気になり、今の流行が気になるし、そんな大きなところとは関係ないんだけど、経済って案外根本では合っているんではと思う。

零細でも商売をしていると、どんな商売の人のところに入っても、そこの工夫が見えるし、それはとても参考にはなるのだけれど、大変ですね~の気持ちのほうが大きい。

大手はたとえば色々な工夫でのリストラなんてことはできるだろうけど、もともとの零細は常に目一杯の有様だから失敗の余地はない。

私の住んでいるところはもともと小さな商店街であった。今やほとんど商売は成り立ってない。商売替えするほど目端きいている人もいたけど、多くはずるずる後退。廃業したのはいいけど、中年になって仕事を探すのも大変という有様をみてきたので、なんとか頑張ってという状況。もともと将来性のない商売であったので、余力があるうちにほかに転業してきた。あんまりこだわってこなかったので功を奏したというべきか。

あらゆる失敗を本当にたくさん見てきたので、どんなところにいっても心からは楽しめない。因業な性格になってしまったものである。

単純においしいね、またかわったところに行きたいね、ご馳走様、そんな素直な消費者にはもうとも戻れない。消費の場では全然楽しめないのです。お金を使っても楽しくない、お金を使う場を探そうっと。

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つれづれ

いつだってつれづれなんだけど茶会に気持ち集中していてそれが終わると一種脱力、その後は振り返り、反省などミクシーにお茶をやってらっしゃるかたの知り合い多く、そちらであれやこれやと反省をかねて振り返っておりました。

こちら気にならないことはないんだけど、おかしなもので気持ちが充実しているというか、振り向くところがあると、ほかのことには気も回らず、書くというところにはいたりませんでした。これって本当のきまぐれ、やはりプロは素晴らしい。どんな事態になって書くことがわいてくる、そんな泉を持っていること、そして書ける、やはりプロには遠く及ばないことを実感。

最近読んだ本「あなたがこどもだったとき」河合隼男の対談集。著者の河合隼男さんはなくなられて大分たつので、随分前の話。子供だった時の思い出を語りながら、それが単なる思い出としてではなく、精神の分析をかねて現在の本人のありよう存在にどんな影響があったかを、対談を通しながら本人、対談者が次第に気がついていくといった内容。

子供の時の本人も意識してないような些細な経験が、子供では言葉にもできなかったことどもがいかにその本人のアイデンテテイに影響しているかという話の引き出し方はうまいと思うし、大変参考にもなった。

思い出せば恥ずかしさで隠れたくなること、不思議なことはそういえば自分にもある。今自分のことを書く勇気はないが、孫のありようを見て、子供だった時のことを現在の孫でちょっとみてみたいと思う。

孫は5歳。ひらかな、かたかなは読めて書けるものだから、たまに手紙がおくられてくる。ストレートに、おじいちゃんだいすき、またとやまにいってもいい。ヤマハのはっぴょうかいをみにきてね。おばあちゃんだいすきだよ。まあこんなもの、発表会の招待のつもりなのであろう。作為なんて全然ないのだろうけど、こんな手紙を受け取ったじいさん、ばあさんは、欣喜雀躍。なにを送ってやろうになる。作為がないのかな?多分作為はないのだろうけど、やはり遺伝子に組み込まれているというか、じいさん、ばあさんを喜ばせれば、どんな言い方をすれば自分に帰るものがあるか、こんなことは本人の作為とは別にもっと根源的に持っているのだろうと思う。ちょっといじわるかな。でもい純粋に嬉しく、次々、いらざるものをどんどん送っている半分迷惑なじいさん、ばあさんであります。

さてとりあえずお礼の電話。孫はいろいろ言うんだけれど、こっちは話がそうも続かない。しかたないから「お母さんに変わってくれる」「いいよ、お母さん、おばあちゃん変わってだって。え~、そこ私かたづけておくから、いいよ。」母親はなにかかたずけものをしていたのだろう、その片付け、私かわってやっておくから、だってさ。ひょえ~驚いた。ただただ子供だと思っている孫が、母親に片付け代わってあげるからだって、びっくりした。そんなに間に合ってとは思えないけど、本人は一人前のつもり。

母親に「親を思いやる良い子を持って幸せだね」という。親よりもできる子じゃないですか。

多分こんなこと大きくなれば記憶にもないことになるだろう。そして役にたつようになると、忙しいだの、私がやらなきゃならないの、などの文句も出ることであろう。でもこんな些細なことを覚えておけば、子供のやさしさは本人の身にあると信じられるし、なにか問題が起きた時には、こんな思い出を杖に頑張れるのではなかろうかと思う。

自分を飾りたい、身以上にとはちっとも思っていない小さな子供には、素敵な原石がうまっていると感じている。

こんな原石を親も子も大事にしてほしいと思っている。

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夜咄の茶事(撫子さんのページより)

中立ちで元の待合席に戻り、暖を取ったり話をしたりして鳴り物を待ち受けていたのですが、やがてご亭主が自らお迎えに。
お茶室が遠くてせっかくの喚鐘の音が届きませんでした。あせあせ(飛び散る汗)


       写真

      後座は掛け物がはずされ、床の中央に石菖鉢が
      置かれていました。
      後座の空気を清める働きがあり、ご亭主は苦心
      をして整えられたそうです。


       写真

      続き薄のお点前で濃茶・薄茶と進んで、薄茶は
      幾つもお茶碗が用意されて好みのもので2服も
      いただきました。


       写真

      マイミクのザビエル鬼さんの筒茶碗が紅一点で
      華やいだ雰囲気を作っていました。
      あんな綺麗な赤はどうして発色するのでしょう。


       写真

      珍しく棚使いでしたが、なんという棚か忘れました。あせあせ(飛び散る汗)

       
      充分に懐石とお茶をいただいて、眼福もものにして
      待合へ戻ったところでご亭主から課題が出されました。

      軸装された白紙の掛け物に、何かを書けという
      難問が。。。

      さぁ困った。がく~(落胆した顔)絵心も字心も無い自分。ふらふら
      何か有りそうだとは思っていたのですが、まさか
      達人たちと同じ土俵で末席を汚すことになろうとは。

       
       写真

      まず木工作家のH氏が絵筆をとってメインとなる
      石菖鉢を中程にさらさらと。

       写真

      次々に促されて、マインドコントロールをされた
      ように書いてしまいました。

       写真

       
       写真

      最後にご亭主が名前をしたためて完成。exclamation ×2ぴかぴか(新しい)


       写真

      見事な合筆が出来上がりました。

      ひとしきり話しに花が咲いてなかなかその場を
      去りがたく、また何時の日かお目にかかれることを
      約してお宅を辞したのは午前零時に近い時間でした。


      茶の湯を語れる方々と一堂に会して三刻をも共にした
      得がたい機会を作ってくださった蜆子さんに感謝、感謝。

      蜆子さんはここを見てくれるでしょうか。
      お知らせしておこうっと。

      まだ書き足りないことがありますが、言葉を尽くしても
      臨場感は表現しきれません。
      昔興に乗っておこなってみた夜咄の小道具をひっぱり
      出して、私も試みてみたい気持ちが起きてきました。

      カレンダーを広げてみるのですが、なかなかその余裕は
      ありそうにもなく・・・。涙
      忙しい中からこれだけの準備を整えられた蜆子さんに
      大いに敬服の意を表した節分の日でした。

      蜆子さん ありがとう。揺れるハート




       
      


      
       

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夜咄の茶事(撫子さんのページより)

2月3日、節分の日に蜆子さんのお茶室へ夜咄の茶事のお招きを受けました。
蜆子さんとは敢えてマイミクのやりとりはしておりませんが、学生時代を共に過ごした同期の桜で、卒業後もお茶を通じて生で長~いおつきあいがあります。
mixiはお互いに勝手に見たいときに訪問しあってコメントを書いたりしております。ウインク

蜆子さんは並々ならぬお茶への意欲の持ち主で、毎年何度かお茶事を催して招いてくださいます。もう何十回お招きを受けたことでしょう。

今回は是非夜咄に挑戦してみたいとお聞きしたのがもう半年ほど前だったでしょうか。きっと心に閃く何か素敵なものが手に入ったのだなと私は密かに想像をめぐらせておりました。

蜆子さんに代わって、お客の立場で彼女の渾身の茶事のレポートをさせていただきます。写真掲載は蜆子さんの許可を受けてあります。

さて当日は午後5時半の席入り。
早めに到着された男性二人と私を含めた女性三人、それに蜆子さんのご子息が加わってお客は六人でした。
いずれも巧者の面々、緊張が走ります。


       写真

      まずは待合で生姜湯をいただく。
      マイミクのとくさんの器は柔らかく、それでいて
      口べりが薄くまことに呑み安い湯のみでした。


       写真

      節分の日とはいえ、極寒の寒空、廊下に湯桶を置いて
      蹲を設えてありました。


       写真

      お客に寒い思いをさせないために、室内で手燭の交換。


       写真

      入席後前茶がふるまわれる。
      「おもあいで」と六人が2碗の薄茶を分け合って
      いただく。

       
       写真

       お炭手前。
       灯火の明りのみなので、炭がことさら暖かく
       感じられる。


       写真

      香合拝見。もう少し明るいといいのになぁ~。
      利休さんの時代は不自由だったでしょうね。あせあせ(飛び散る汗)


       写真

      やがて膳燭が持ち出され、懐石が始まる。
      静かな会話が行き交う。


       写真

      中立ちで名残に掛け物を拝見してフラッシュをたいて
      写しました。遠州流小堀宗中の書。目


       写真

      そして芦屋釜。
      釜に短冊の型があり、文字があるけど暗くて読めない。
      明るくても読めない。あせあせ


                その2につづく

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旅への誘い

しばらく旅にでていないな。ここでの旅は海外旅行ほどのちょっと日にちをかけた旅。一泊ぐらいの温泉行きはしょっちゅう。家族はみんな好きで、大きな風呂にはいるとか、だらだらするのは大好き。そんな旅ではなくてである。

海外旅行によくでかけていた頃は、暇なんてありそうにもないほど忙しく、今思うとよくぞ出かけていたと思うほどである。忙しい、暇なんてない、むしろ充実している日々であったと思うのに、むくむくと海外旅行に出かけたくなったものであった。そして出かけるまで、ばたばたと仕事をどうにか片付けて、みんなの顰蹙をかいながら、そしてみんなの協力を受けながら、どうにかでかける。飛行機が飛び立てば、開放感で爆酔したものであった。

忙しい、充実している日々なんだけれど、なんだかもっともっとという気持ちになって、どうしても出かけたくなった。

今や暇なんてどうにかはとれる、あんまりあたふたとしなくてもよい、顰蹙はあろうけど、主人ぐらいか、休暇の間は店の人に迷惑ではあろうけど、前よりも時間はとれるはず。それなのにそんなに海外旅行に行きたいとも思わないのですね。いささか年をとってくたびれたなんてことも勿論あろうけど、毎日が差し迫っているという感じがしないと、どうにも現状を変えたい意識なんて希薄になってしまったかも。

海外旅行にいくと、気持ちが解放されて好奇心が満足して、また新しいことにも迎えそうな気がする。新しいことに向おうとする気持ちを奮い立たせる、そんなことにも海外旅行は有効であった。

障害がなく、行こうと思えば行けなくもない。そうなるとたいして行きたくもない。天邪鬼といえばそうなんだけど、興味の方向が違ってきた。さらに新しく何かをとも思えなくなってしまった。

純粋に旅行を楽しむという気持ちで、行くのもよいかもしれない。そんな日を迎えられるようになったのだと考えよう。旅行のパンフレットみれば世界は広い。面白そうなところ、ことは一杯。暖かくなったらとせめて頭の中だけでも考えよう。

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