金沢なるところ(一座建立ー工芸家と茶人の続き)ミクシーの転載
「そこでお茶が出た。ごく普通の茶である。だが私はその茶を一口飲んで、なんとまずい茶だろう、と感じた。次に、出された菓子を食べ、その砂糖のしつこい甘さに閉口した。<いやな茶碗だ>と、私は思い、そう思った自分にひどく驚いた。東京にいた頃はプラスチックの茶碗を何とも思わず、菓子といえば今川焼きか追分団子が一番うまいと信じていた私である。」
つまり、ここで愕然とするのは、いつのまにか金沢が「私を犯していた」という事実に、五木自身はじめて気がついたからであった。風土的な影響、ここでは金沢の、もっとも顕著な一例を見ることができよう。
(「北陸名作の舞台」より「朱鷺の墓」の部分)
先日の茶事のおりの正客をしていただいた蒔絵師のかたは、「加賀藩細工所」の流れをひく蒔絵師さんである。
五木寛之の金沢という風土が人間にどう侵食しているかということが、前に頂いた手紙のあとに、さらにいただいた手紙に色濃く現れているように思う。いかにも金沢というか、金沢なるところがよくわかり、その深さに驚嘆したので、さらに私信であるけど載せたい。
前略
また筆を継がせていただきます。ご無礼をお許し下さい。
茶の湯の事は不勉強でして、何も存じ上げないに等しいのですが
お茶事の夜咄はそれとして夜の茶事も色々にあったように思われます。季節を問わず灯火一本のもと かすかに煌く光は、漆も土ものも唐かねも金銀の閃光であり、水指の水面、茶碗の闇に浮かび上がるやはらかなまた炭火にみゆる生命の原点に在る色だったかもしれません。
見ることから離れ、姿(お点前)から離れ、人の五感の交わりごとをもってなされたように思っております。
動きなき時の気配や呼吸 絹ずれ 松籟 ゆこぼしの音、お手だけ見ゆるお点前の闇に浮かぶ掬われた茶 茶筅ずれの音
闇に走る主客の眼光 立ち上る香気など
見ていたときに観えなかったものが顕かに浮かび上がる深い交歓の一刻
手達であればあるほどに深まるものが大きいものかもしれません。
武士の茶の一隅であったことでしょう。
全て不出来な正客と反省しきりの今日です。
お濃茶の一服のお茶碗を手にした時、両手に戴いたとき、一切見えずともお焼や様々なこと、充分にお察し申し上げたくてご亭主とやりとりができましたらより一層深いやりとり(言葉でのはなし)が可能なのだろうと実感しておりました。
あまりに見る事ばかりに頼る今日にあって、見えぬ時に観る事こそ肝要と全く幽玄な一刻を持たせていただきました。
お礼を申し上げたく墨を重ねさせていただきました。
草々 再拝
○○○
夜のしじまの中での黒茶碗、肌合い、海の中、
すべて五感で味わうべきもの
それを亭主の私が色々いいましたことどもが、余計なことであったと反省しております。
見るから観ずる世界に。
五感をとぎすます、夜のしじまの茶。
まさに五木寛之が金沢から知らずうちに、受け取っていた深い金沢なる世界、金沢で生まれ、育ち、工芸の世界にいらっしゃるかたには、本当に色濃く精神的な世界を深めることを私自身習ったと思っています。
本当に茶の世界の深さを再認識しました、今回の経験でした。
いつまでも心であたためております。






















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