買い物における情と理
我が家は長い間商売を営んでいる。呉服屋から始まった。呉服なんてのは高額商品であるし、一人で決めかねるものであったから、家族が揃っている夜に車に商品を積んでいってその家の座敷で広げて見せるものであった。来て欲しいという固定客さん相手の商売であった。向こうは商品知識はあんまりなく、またすでに着物は一般的に着るというものではなくなっていたので、どんな時にどんな組み合わせで着て、着物の格をあわせるなどということなどを説明しつつ、さてこの家では誰に決定権があるのか、あるいはどれくらいの値段のものを望んでいらっしゃるか、家族の話し振りからじっくりと決めていくという実に鷹揚なものであった。
お得意さん相手というのは、言ってみるなら、あの家ならばというお互いの信頼関係での商売であって、まかせておけばそれなりのものが揃えられるし、またまかせて戴ければきっと満足のいく恥のかかない設えになりますのどっちかというとお互い性善説による信頼の中での商売であった。商売の要諦は情にあるというものではなかったか。地縁、血縁といえばまるでひところの選挙みたいだけど、お互い信頼を裏切らないという表には出ない決意みたいなものが一番大事であった。
商品の良さ、中味で勝負ということもあるけど、それよりもあの人だから、あの店だからが決め手であったと思う。長い年月をかけて信頼関係を築く、そのために普段からの心配りは大事なものであった。そこの家の親戚関係から、何が好きか、誕生日は、学校はとか、今思えば個人情報に抵触せんばっかりのきめ細やかな心配りが商売で一番大事と思っていた。人と人の繋がりが商売のネットワークだったものでした。
息子の冷蔵庫が壊れて買い換えた。あそこの店であの販売員でなんて思ってもいない。ネットで検索、性能、値段、買った人の評価、それらを調べたあげくに大型の家電店にでかけ、当然値段をしらべるのは一店だけではない。こまかにチエックしている。
車を買ったときもそう、保険なんてインターネットで加入である。あげくにポイントサービスもこまかにチエック、サービスも充実させている感じ。
こんな買い方は商売における理でないか。まことに合理的といえば合理的、文句のつけるところはない。そういう買い物の仕方が楽しいのだそうである。
若い人の合理的な買い物の仕方。理にかっているのだろうけど、結局相手を信じていないということじゃないのか。売っている人を、店を信じてはいない、商品そのものに直接価値を見出すというものかもしれない。
こんな買い方をする息子に付き合ったことのある主人、あんなものばっかりがでてきたら日本の経済は暗い、相手の余裕を少しも認めていないんだからと言い、二度と一緒に買い物に行かないと言っている。
今や郊外型の大型専門店、それは商品量の圧倒的な強みで商品のそのものの価値をむき出しにみせているのであり、それが売りである。主人今や昔の商売ではとてもやっていけない。情に訴えたというか、商品の付加価値を見せてゆっくりの信頼関係を築いた商売のやりかたしか知らないものは、今では時代で通じないと慨嘆する。
商売で人間関係をじっくりと築き、それが商売の秘訣であったのはもう過去の苔むしたやりかたでしかないのかもしれない。
息子の買い物の仕方を見ていると、私たちは退場したほうがいいのだろうと思ってしまう。
商売にはもう情なんていらないのだろうかな。


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