« 2008年2月 | トップページ | 2008年4月 »

買い物における情と理

我が家は長い間商売を営んでいる。呉服屋から始まった。呉服なんてのは高額商品であるし、一人で決めかねるものであったから、家族が揃っている夜に車に商品を積んでいってその家の座敷で広げて見せるものであった。来て欲しいという固定客さん相手の商売であった。向こうは商品知識はあんまりなく、またすでに着物は一般的に着るというものではなくなっていたので、どんな時にどんな組み合わせで着て、着物の格をあわせるなどということなどを説明しつつ、さてこの家では誰に決定権があるのか、あるいはどれくらいの値段のものを望んでいらっしゃるか、家族の話し振りからじっくりと決めていくという実に鷹揚なものであった。

お得意さん相手というのは、言ってみるなら、あの家ならばというお互いの信頼関係での商売であって、まかせておけばそれなりのものが揃えられるし、またまかせて戴ければきっと満足のいく恥のかかない設えになりますのどっちかというとお互い性善説による信頼の中での商売であった。商売の要諦は情にあるというものではなかったか。地縁、血縁といえばまるでひところの選挙みたいだけど、お互い信頼を裏切らないという表には出ない決意みたいなものが一番大事であった。

商品の良さ、中味で勝負ということもあるけど、それよりもあの人だから、あの店だからが決め手であったと思う。長い年月をかけて信頼関係を築く、そのために普段からの心配りは大事なものであった。そこの家の親戚関係から、何が好きか、誕生日は、学校はとか、今思えば個人情報に抵触せんばっかりのきめ細やかな心配りが商売で一番大事と思っていた。人と人の繋がりが商売のネットワークだったものでした。

息子の冷蔵庫が壊れて買い換えた。あそこの店であの販売員でなんて思ってもいない。ネットで検索、性能、値段、買った人の評価、それらを調べたあげくに大型の家電店にでかけ、当然値段をしらべるのは一店だけではない。こまかにチエックしている。

車を買ったときもそう、保険なんてインターネットで加入である。あげくにポイントサービスもこまかにチエック、サービスも充実させている感じ。

こんな買い方は商売における理でないか。まことに合理的といえば合理的、文句のつけるところはない。そういう買い物の仕方が楽しいのだそうである。

若い人の合理的な買い物の仕方。理にかっているのだろうけど、結局相手を信じていないということじゃないのか。売っている人を、店を信じてはいない、商品そのものに直接価値を見出すというものかもしれない。

こんな買い方をする息子に付き合ったことのある主人、あんなものばっかりがでてきたら日本の経済は暗い、相手の余裕を少しも認めていないんだからと言い、二度と一緒に買い物に行かないと言っている。

今や郊外型の大型専門店、それは商品量の圧倒的な強みで商品のそのものの価値をむき出しにみせているのであり、それが売りである。主人今や昔の商売ではとてもやっていけない。情に訴えたというか、商品の付加価値を見せてゆっくりの信頼関係を築いた商売のやりかたしか知らないものは、今では時代で通じないと慨嘆する。

商売で人間関係をじっくりと築き、それが商売の秘訣であったのはもう過去の苔むしたやりかたでしかないのかもしれない。

息子の買い物の仕方を見ていると、私たちは退場したほうがいいのだろうと思ってしまう。

商売にはもう情なんていらないのだろうかな。

| | コメント (2)

セーフテーネット

、結婚した夫婦でも親の援助を受けている人が60%にもなるとの調査発表が。50代にもなっても援助を受けている人もいるとか。それがセーフテーネットになっているとのことであった。

春受験シーズン、新しく学校にすすむ人、新社会人になる人、旅立つ季節である。知り合いの人の孫、大学生にと高校生にとそれぞれ希望の学校に入ったと報告。「良かったね~、ところでお祝いどれだけにした」「保険かけてきていたので、それから65万円おりてくいるから、それに35万円足して100万円にした」「ひょえ~すごい額やね。すごいおばあちゃんやね~」と賛嘆。心がけのいい人なので、生まれた時から孫に保険を掛けてきたとのこと。外孫にもそうしてあげたとのこと。若い人おお助かりで感謝してるでしょう。

田舎では昔はみんな家族は同居、みんなして家を守り立てる、できるものが順番に面倒をみるというのは普通の感覚であった。なにしろすでにあった先祖からの住まいである、家賃払ってきたわけではなくローン払ってきたわけでもない。ただしその家の維持管理は今時のハウスメーカーの建てる家よりもお金はかかっているけど、それは本当に世代をこえての計画であり、辛抱の積算であったもの。何世代も一緒に暮らせば、なにやかや問題はあろうけど、生活費の効率からいえばそれはなかなかよいものであった。

だから年よりは孫にすごくお金を上げられるのである。なにしろ年寄り本人はそんなにお金を使うわけではないので、わずかの年金でも溜まるのである。親孝行な子供は、自分のために使って、楽しみのために使って、とはいうけれど、溜めることが上手な人って、使うことが上手ではないことが多い。使うことに罪悪感があって、とても使えない。孫にというわけで若いものを助けることになる。生活の毎日を助けるというものでもない。なんかセーフテーネットなんていうと、若い人があたかも前の世代に寄生してようやく息をしてますなんて言う風に聞こえなくもないけど、そんなセーフテーネットなんてものではなく、昔からの習慣みたいなものである。

消費は経済においては血管みたいなもの、どんどん流れないと栄養がいきわたらない。年寄りがお金を持っていて、自分のためにそんなに使わなくてもいい人は、おおいに孫にと称してお金を実際の生活の中に流すのも悪くはないと思う。

ためもためたり59億円!なんて話もあった。昔のすごい旧家などの話だと、いわゆるノーベルオビリテーというのか、公共の為にとんでもないお金を使ったという話はよくある。普通の家の普通の人、公共のためになんか考えもつかないのなら、孫のためにお金を吐き出すのもいいんじゃないのと思う。もっともそれをあてにしてぐらぐらしている若いものなんていうのは困るけれど、今の若い人、しゅとして40代は給料もあがらないし、ローンもしくは家賃を払っているし、子供の教育費にアップアップだし、なにしろバブル以前の成功体験もしてないし、おおいに気の毒というもの。

ある人は多いにどこにでもお金を使って下さい。経済の活性のためになどといえば顰蹙だろうか。

| | コメント (2)

春の訪れ

ネットで知り合ったかたから自分で作られたという「いかなごのくぎ煮」が送られてきた。男の方であるけど家では家族のための食事担当はそのかたであるとのこと、さすがに毎日食事を作っていらしゃるからか上手にできている。ざらめと醤油で作るのだとか、多分水あめもはいっているのだろう。上手にできていて、我が主人、うまいうまいとじゃんじゃん食べている。

いかなごは瀬戸内海に春になったらたくさんとれるらしい。神戸のかたであるけど、砂糖と醤油の甘いにおいは春の到来を告げる神戸の名物だとのことであった。

神戸は海の町だもんね、春の到来は海からくるんだね~と感心している。富山湾での春の到来は、しろえび、ほたるいかなどかな、魚はあまりに色々の種類あるので、どうも春の到来を知ったなどは、むしろ山菜にあるような気がする。食べ物で春の到来を知るのはなんとも楽しい。冬は冬でおいしいものがいっぱいあるのに、さらに春になるとと食べる話には目もなく、どれどれになる。

さて実際には春の到来は、庭の雪釣りをはずすところから、暖冬であったので雪つりはただ風景であったはずなのに、私がやった雪釣りでもないのにひっくりかえってしまった木が一本あった。やはり雪の力は偉大か、3年前の大雪に懲りて、庭には雪囲いを全部していたのだけれど、これを全部はずすと途端に明るくなったのはいいけど、春の陽光ではどうも窓ガラスの汚れが目立つ。下と上数えてみると長戸が38枚、掃除することを思うとうんざり。今じゃこんな建物の建て方は建築基準法違反じゃないのか、春になると陽光の中、汚れが目立つ。春の訪れは掃除、まったく情緒もない。春になると掃除、すると家の大きさが一気に広がったように感じる。

前の世代が建てた家は商売をするという観点から建てられていて、掃除、普段の手入れなど、人手は充分にあり、みんなで維持してきた。今や私に維持の順番がまわり、春の訪れは春の食彩という楽しいものではなく、窓ガラスをふいて、カーテンを洗濯、まったく掃除の季節。庭には雪はないけど、少しは掃除しましょう、

主婦って春のおとずれを楽しんでいるなんていうゆったりした気持ちになるよりも、とりあえず掃除、さらに冬の間に傷んだところのチエックとそのメンテナンス、ガンバリズムの春の到来である。

ゆっくりと頑張りましょう、と自分に言い聞かせつつ、春のおとずれを楽しみましょう。

| | コメント (0)

まだできる もうできない

アスリートのかたのまだできる、もうできないの決心は、本人の人生観、美学がもとになっているからそれは本人次第である。

まだまだできる、こんな自信にあふれていても、サラリーマンならば定年なんてあって否応なしにストップがかかる。第二の人生も結構長いので、生きていく目標というか、価値観を再構築する必要もあり、強制的な幕切れもあって考える羽目になることは必定。上手に着地されて、非常に楽しそうに生き生きと過ごしていらっしゃる人をみると、こっちまで元気になるし、老いを楽しんでいらっしゃる人は人生の先達、是非学びたいと思う。

自己営業だったら定年はない、事実自己営業には定年がないのでいつまでも働けるということが前提になって、国民年金などが非常に少なく、さらに自己営業は次の世代にその商売を譲る、同居している人も多いなんていうわけで、国民年金は自分が掛けてきただけ、基礎年金だけである。こんな思いから始まった年金であるけれど、実際は小規模の自己営業は基盤が弱いだけでなく、年をとって年金世代になっても基礎年金だけで、年をとってからの生活の基盤はものすごく弱い。私の住んでいる町内はいわゆる小さな商店街であった。ご多分にもれず商店街は崩壊してしまった。その家族の人たち、零細な商売はやめて勤めに出たものであるが、中年になっての中途採用、何ができるというわけでもない、資格なども無い状態で勤めにでざるを得なかった。ひっそりした町内である。みんな順番に年金世代になった。零細な商売を親から受け継ぎ、それなりに苦労して、年金世代、さらにひっそりである。こんなの本人の努力不足だったの?

商売やさんの次の世代、親がひどかったからでしょうね、何人も介護方向にすすんでいる、これも時代にそのまんまのった感じでどうかなと思うのだけれど、人の人生って運だけだったのかと思う。

私は前の世代がやっていた商売はいずれ特殊な商売になってしまう、民族衣装にしか認知されなくなると思っていたので、それを追求するよりもと方向転換、商売のやりかた、感は鍛えられていたので、どうにか細々とでも「続けてきた。今やどこで「まだやれる もうやれない」を決心するかの問題である。商売なんてどうでも損益分岐点の問題があるから、やってようと思っていても無理、ストップにはなるのだけれど、第二の価値観を自分で作れるかな、これがなかなか決心をできない原因になっている。

第二の価値観、ずっと前からわかっていたこと、色々な人を参考にする、本を読み、先人の知恵に学ぶ、仕事だけではない趣味というか行き方を一つは重ねておく、ちゃくちゃくと予定してきたと思うのだけれど、どこで決心するかなかなか思い切れない。零細な商売であることは充分承知していて、会社組織にはしておいて年金もそれなりに掛けてきた。もちろん足りないと思うので、個人年金もいろんな形で掛けてきた。老いを迎え撃つつもりは勿論してきたと思うのだけれど、さてどこで老いのとばくち?
なかなか思い切れない。しばらくはずるずるとすすむしかない。なんだか何にもならない準備だけしかしてこなかったような気がする。

| | コメント (2)

驚いたこと

あるかたの愛車が割合故障するという話、それは日本車ではなくきっと形、色が気にいってらっしゃるのだろう。5年でリコール3回、修理代として60万円近くかかったとのこと、またしても故障、どうしようかと迷ったけれど、やはり同じ車種に乗り換えることにしたという話であった。よほど気にいってらっしゃるのだろう。5万キロくらいしか走っていないとのことだった。

先日大阪にいき、タクシーに乗った。えらい人懐こいような運転手だったので、先日来の車の話もあったので聞いてみた。「このタクシーって随分きれいに維持されていますけど、どれくらい走っていますか?」「静かでしょう。でももう45万キロ走ってますよ。」「45万キロ!一体何年で?」「5年です」「ひょえ~、45万キロも車って持つんですか?」「機械ですさかいに、水と、オイルとエレメントをきちんとしてりゃ、なんぼでも持ちます。タイヤは消耗品やね。」「うちの会社はまだええほうです。90万キロ走ってる会社もありまっせ。もう一年、大体60万キロ走らせっていわれてます。もう一年あまりでそうなります。その間にモデルチェンジは一回でしたわ。」

車って50万キロも走れるなんて聞いたこともなかった。なんとなく10万キロも走ると故障が多くなって修理代がかさむので乗り換えたほうが利口、誰が言ったのかはわからないけれど、私のまわりではそんな話が常識みたいに言われていた。友達もそうだったし、主人もそうだと思っているらしかった。私の車は10年もたっていて、11万キロ走っている。まだ乗り換えないのかと車やさんにまで笑われてしまった。息子の車は18万キロ走っている。行けるところまでと本人は何かに挑戦したように言っているけど、いい加減に乗り換えたほうがいいのではといい暮らしていた。でも調子はすこぶるいいのだという話。

私なんて一年間に一万キロぐらいしか走らないので、50万キロなんていうと50年!一生に一台ほどしかいらないのでは!まあ外から傷んでそれは無理ではあろうけど、また部品もなかろうから無理ではあろうけど、頑張れば随分もつんだ。

日本車の性能ってすごいんですね。性能もいいし、頑丈でもつんだね。すばらしい!でもそんな宣伝の仕方ってあんまりないような。春になると、モデルチェンジの話で使い勝手、デザインなどをすてきなモデルを起用して宣伝している。頑丈です。長い間故障もしません。そんな宣伝の仕方ってあんまりない。性能を追求しながら、一方で売らなきゃならない、あんまり長い間乗り換えないと車売れませんものね。形を追求した宣伝、性能を追及しながら、実は乗り換えてもらわなきゃならないので、技術の結晶って宣伝しないんだね。

地球温暖化で二酸化炭素を一日一キログラム減らそうと一方ではいいながら、性能よくなって炭酸ガスの出る量を減らした車といいながら、乗り換え推進。二律背反なんだね。

タクシーにのって運転手に話聞いて驚いた。根拠もないのになんとなく昔からの性能のまんまのことを思って買い替えなんて思っていたけど、じつはとんでもない間違い。ほかのことでも随分あるかもしれない。

でも性能の宣伝をして欲しいと思う。消費は経済を潤滑に流す大事なものだろうけど、経済ばかりでもないだろうし、色々選択肢を広げるという意味で性能の宣伝を是非してほしいと思うし、それはものを作る人の励みにもなるのではと思う。

デザインよりなにより使い勝手と長くこたえる。素朴な願いです。

| | コメント (2)

ゆでたまご

我が亭主ゆでたまごが好物。中でも白味がすきなんだと。黄身を食べないかなどということもある。ゆでたまごが好物なんて、育った時代と家がわかりますな。私達の子供の時代、卵は貴重品、病気見舞いに尾長鳥の絵だろうか、表にそんな絵が描いてあって中に米殻をつめてうやうやしく見舞いに持ち歩いたこともあった。

卵は物価の優等生、今や卵ほど安上がるものはない。そして料理も簡単。小学生の食事風景のアンケートでは、朝食ではパンに目玉焼が圧倒的であったそうな。とりあえず卵であれば、動物性蛋白質もありそうだし、そこにサラダ菜でもつけておけばオーケーかな、こんな朝の忙しさがありあり。

ゆで卵はちょっとしたハレの料理、遠足にはみんなゆで卵がはいっていた。考えてみればもそもそするし、味はしないし、そんなに上等なおかずではないのに、なぜか遠足といえばゆで卵であった。晴れがましい嬉しい遠足の思い出に色濃くついている。中学校の折京都、奈良方面の修学旅行であった。中学生には面白いとも思えない古刹めぐりに、はでやかな思い出は宝塚観劇、たぶんみんな長距離の列車は初めてであった。わくわく嬉しかった。当然ゆでたまご。ところがゆで卵は悪くなりやすいものなんですね。出かける前に、ゆで卵はその日のうちに必ず食べるようにとお達し。初めての長い旅行、たしかおばさんなんかから餞別までもらったような。お土産買ってこなきゃと頑張っていたもんね。母親はいつもよりもたくさんゆで卵をいれてくれたような気がする。大事にとっておいたゆで卵、夜になって布団の中にはいって思い出した。どうしよう、ゆで卵まだ持ってる。当日に食べるように言われていたんだ。もそもそ起き出して、こっそり荷物の中からゆで卵を出す。暗闇の中でゆで卵をむいて、飲み込んだ。喉につかえて味もなし。ところがそんな人がまだいました。遠いところへの遠足、親が張り切って持たせてくれたゆで卵、いつもよりも数が多くて、勿体無くて食べていなかったの、そして夜中にもそもそと食べた人。今思い出しても笑える。

こんな時代の生まれからか、ダンナのゆで卵への執着、おかしいしほろ苦い感じがします。俺が死んだらゆで卵を山盛りに、死なないさきに山盛り食べて下さい。しかし貧乏くさいね。そんなものを所望されても困りますなんてのは思い出しもしない。

子供時代の遠足のおやつ、親が作った凍り餅、餅をついて細くきって干し、それをじっくりと炭火でやく、あるいは上げる、こんなおやつは買ったものではなかったので恥ずかしかったけれど、今や、それは一番手がかかっていて、かつ高くつく。持たせるどころではない。

ゆで卵、貧しい、あるいは忙しくて手をかけられなかった親の有様の象徴みたいなものだけど、下の孫、なんと卵アレルギーである。卵は直接だけでなく、卵を使用してあるお菓子なども駄目である。じいさんが卵食べ過ぎたからか?それは関係ないけど、物価の優等生である卵が好きなんて恥ずかしくて言い出せない時代である。

でも卵を見舞いに持っていった時代、栄養不良の人が多く、卵食べただけで元気が出たってこともあったんだろうね。母親が虫垂炎で入院した時に、見舞いに卵の箱をいくつももらって、父親始末に困り、ゆで卵をやまほどこしらえたことがあった。母親の虫垂炎はゆでたまごの思い出にばけている。今朝もご機嫌にゆで卵を食べていたダンナ、なんとも簡単である。

| | コメント (0)

イージス艦と漁船が衝突した先日の事故、漁船の親子には気の毒で痛ましい。艦長が被害者宅にお詫びにでかけられた。涙で陳謝されたとのこと。親族の方も涙をだして陳謝されたので、満足というわけではなかろうが、気持ちを治められたとのことであった。人間的な対応というべきなのかもしれない。でもいささか違和感を覚えたのは、私がへそ曲がりだからか。

イージス艦というのは日本に5艦しかない、何だかものすごい艦であろう。ミサイルを打ち落とすこともできるとかいう、その艦長というのは海上自衛官であろう。つまりは兵隊さんでないの。専守防衛といっているけど、自衛隊といっているけど、他国からみれば軍隊であろう。軍人さんは一端ことがおきれば、部下の死骸をのりこえて、指揮をするかたではないの。今まで息をしていた人が一瞬に息をしなくなる、そんな危険性一杯のものが軍隊であろう。あくまでも沈着に、落ち着き、指揮をとり、国民の安全に寄与されるかたが自衛隊では。沈着で胆のすわった代表が軍人さんだと思っていた。人間的な温かみや、人情に左右される感情の豊かな人は活躍の場は、軍隊ではなく、もっとほかの場所で働く場があるのではなかろうかな。

艦長はすごく人間性の豊かな人なんだろうと思う。事故の責任者として詫びられたのであろうと思うけど、涙をだして感情豊かな人にあんなものすごい艦の全責任なんて、ちょっと違うのではないのとちょっと違和感を持ったのでした。

昔子供同士喧嘩して片一方が泣くと、それ以上追求してはいけないと強く言われたものである。それ以上に追い詰めるものではない、泣くことで負けを相手が認めているのだからと。だから歯を食いしばっても、泣いてはいけないと頑張ったものである。泣くというのは非常にみっともないと教育されてきた。女の子はまだしも泣いてもいいけど、男の子はひたすら、泣くな!であった。

今や総理でも艦長でも簡単に泣く時代である。それが人間らしいと考えていらっしゃるのか、それはわからない。泣けばみんなが納得するからかもしれない。

涙の値も薄まったように感じる。テレビの中でピーピー泣く人をみると、なんだか安っぽくて気分が悪い。感受性の豊かな、心やさしい人が受け入れられる時代である。本当にそれって感受性が豊かなのですか?感情の起伏がなんの制御もなくて、ただただだだもれ、なんだかみんなが子供っぽくなっているという表れではないかな。

人間らしい、このごろはただの子供っぽいと変わらないと思う私は天邪鬼なのかもしれない。もっと複雑な感情を表わせるような大人っていないのかな。

| | コメント (4)

主役

本日は雛の節句、店の子に「お雛様だした?」と聞けば「恥ずかしいくらいのお雛さまだけど出してますよ。ちらし寿司も当然作ります」とのこと。とっても優しい話を聞きました。

彼女は42歳、独身、結婚暦なしです。とってもいい人なんだけど、ご縁がないといったほうがいいかも。人生において主役をはったことってあんまりなさそうな人です。でも保育園の時、3歳か4歳か、その時にお雛さまの役を射止めたことがあるとのこと。もっともおんなじ年の女の子3人しないなくて、競争率が低かったとのことであった。その後学芸会などは、みんなその他の役ばかり、主役なんてやったことはないとのこと。

あんまり嬉しくてその時に着た一つ身のホンモスのピンクの着物の柄も覚えているし、父親も母親も見にきてくれたのだけれど、その時に父親が着ていたアノラックの色も襟についていたアクリルの偽毛のふかふかした温かさも思い出せるとのことであった。そしてその日は、保育所では父兄に食事を出すということで家から大皿を持参し、みんなでカレーライスを食べたこと、みんな鮮やかに思い出せるとのことであった。

こんな嬉しい思い出があるので、お雛様、これはお姉さんのお下がりで、決して立派なんていうものではないとのこと、それでもお雛様に会うたびに、主役をはって嬉しく、晴れがましかった思いでがよみがえり、心嬉しい気持ちになるとのことであった。

この子は本当に内気で、姉兄に対してコンプレックスが強く、自信のなさげな子であった。でもとても心優しく、私を15年も助けてくれています。多いに年が離れているし、立場が違うので、話やすいらしく、私にはとても気を許して色々と自分を見せてくれるのです。

保育園とか幼稚園とか、多分活発で目立つ子が主役を射止めるのでしょう。でもいささか内気な子には主役は荷が重い?そんなことはないと思います。小さな時に偶然射止めた主役の座の思い出を、今も心に温めて 晴れがましさを内にひっそりためている。なんていじらしい!と思ってしまった。

先日妹が遊びに来た折、彼女は私の孫のめいと同じ年、幼稚園の卒業式に在園生を代表して送別の言葉を述べたことがある、そういえば私が文言を考えてさかんに練習させたことがあったなと思い出す、こんなのは親に多少の力あったので選ばれたんだろうと私は思っているけど、やはりあの晴れがましさを心に留めている、さて孫は多分みんなで呼びかけなんてやるのだろうと思う。

大人とか先生は子供がそんな思い出をいつまでも心に秘めて、生きていく杖にしていると考えているだろうか?いつでも主役を晴れそうな目立つ子は、多分選んでも失敗はなくそこそこにやってくれるだろうなんて選ぶことが多いのじゃないだろうか、偶然、主役を晴れた子がどんなに嬉しく、何十年もほとほとする思い出を暖めているなんてことに気がついているのかな。

考えてみれば人生において、主役をはるなんてことは一般的にはあんまりない。みんな自分の分を弁えて、まあこんなものかと納得して、そこそこ自分の人生を歩いていく。そこにはとくに不満があるわけでもない。身の丈にあった淡々とした人生である。

偶然に店の子の話を聞いて、主役をはった話には二人して笑ったのだけれど、子供を指導する先生や大人の人が、ただただ偶然に決めたことがすごく楽しいことになって自分の自信につなっがて居る話、心楽しい話であった。大人の人に子供を相手にするときには、充分考えてあげてほしいなとも思うのです。

| | コメント (0)

« 2008年2月 | トップページ | 2008年4月 »