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水指のこと  5

水指で見立てというものがあります。もともとは雑器として焼かれていて、普段の生活必需品であったものが、茶人の目にとまり、水指として転用されたものです。典型的なものに種壷があります。腰につけて種をまく時にぶらさげていたもの、種壷として珍重されています。実用品ですので、丈夫でしっかり焼き〆てあり自然釉がかかっているものなど、小間の茶席では水指一つ置きのものとして人気あるところです。

野卑ではあるけど作意のない力強さにあふれている焼物に、茶陶として焼かれたもの以上の力がわびという美意識にかなったものです。もちろんもとの作品がありますので、それに似せたものは焼けるはずです。しかし、名もなき陶工が実用品として作ったもので美しさを意識したものではないはずですが、茶人の心がその上にかぶさると茶陶では見出せなかったわびとかさびとかの美意識の具現化したものになる。今それに似せたものを作ってもらっても、もとのものが持っている美には及びません。

これはもっぱら茶人の心入れがそういうふうな美の表現として認定されたものです。作品そのものの力は勿論あるのでしょうが、もっぱら美を見出す茶人の思いの積算かと思われます。汚い古いもとはタン壷ではなかったかなどと冷やかされながら、茶陶の持っていない、野卑な力強さが時代にあらわれて、いまやわびの権化になっている。これは作品そのものではなく、思いの積算であるとすると、現代の陶工の人が力をこめて作っても時代では及ばない、かなわないということになってしまう。

どれだけよいものを作っても、使う人の思いの積算が作品であると言われれば、いかんともしがたい、どうすりゃいいのだという作陶家のかたもいるわけです。

作品そのものではなく、思いの積算、そんな物語が道具だとすると、作る側のひとが何を目指せばいいのかと悩まれるのはもっともだと思います。

お茶の道具にはもちろん誰がみても素晴らしい、いわゆる客観的な評価ができる美しさもあるけど、さらにものが持っている物語があり、またさらに取り合わせということになると、水指として作品としてとても素晴らしかったとしても、どうにも不満は残る、一体どうしたいと作る側の人につめよられそうだけど、それをわがままと言えなくもないけど、使う側の美意識にかなっている、いないというしかない。

つまりはどんなのがいいのだには答えがないと思うのです。

好きという範疇でしか表現できないのだけど、美意識なんて、その人の持っている経験、知識、思い入れ、などなどから、生まれたもの。

見立てにまで広げると道具の幅がさらに広がり、亡羊とするけれど、だからこそいよいよ深みにはまっていく感じがして、さらに掘り下げたいと思うのです。

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水指のこと  4

水指は今の時期からは水を感じる表面が広いものが涼しげである。ゆったり大きくあいた当然高さは低い水指は、いかにも涼しげ。涼しげなるものが、色が青磁色であったり、染付けであったりすれば、さらに涼しげである。涼しげであるかわりに、時期を間違うと間抜け。ところが青磁や染付けって、涼しげであるともいえるけど形によれば非常に格が高くなる。

正月に祥瑞の水指を使ってあるのにあったけど、正月らしい清清しいと感じる人もいるけど、寒そうと感じる人もいた。こうなると感性の問題であるけど、取り合わせで表現するしかない。口の広い涼しげな水指は、色が暑苦しいものでは困る。こうなると焼物の産地の土色の特徴で、水指が決まってくる。作陶家のかた、土味で使われる時期、場所が決まってくるので、すごく意欲的に今までなかったものをと思われても、土味のよさがいかされるという制約があると思う。それが土味優先になるからか、ある土のものは大体こんな形と決まっていて、面白みが欠けるというか、時代で形がほとんど完成してしまっているのではと思うことも多い。

作陶のかた、自分のオリジナルと思われる気持ちはわかるけど、またそんな意欲的な作品を使いたいとも思うけど、実は伝統的なるものを越えていない、伝統を越えるのはいかに大変かと思う。

ところで美術館にあるような桃山時代みたいな作品を実際にみてみると、写真ではいかにも大きいのではと思う存在感があるのに、実物はこんなに小ぶりだったのと思うことがままある。現代作家のもの、広間使いをイメージしているのか、昔のものに比べると大きい。茶碗にしてもそう。昔は多分男の人がお茶をやってることが多かった。現代では女性が多い。にもかかわらず道具は大きくなっていると思う。存在感を大きさでという安易な考えがあるのかな?

こうやって考えてみると、どんな水指が欲しいのかは、時期、使う部屋、取り合わせ、さまざまな要素あってまとまらなくなってしまう。

でもあまりに思いに相応しいものは、今度はあまりにつきづきしいというわけで、破調を求めたくなるとか、言ってることが自分でもわがままでしかない。

水指のことを考えていると、どんなお茶をしたいのかということに思いをいたすことになっていく。

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水指のこと  3

我が家で茶事した折にいらしたかたで工芸家のかたの話。この人は金沢在住。金沢は仙叟が茶頭として招かれて録をはんでいたことからも、茶の歴史古く、また加賀百万石の細工所も作られていたこともあり、工芸の中味もそりゃ深く歴史もある。

金沢では色々と茶会も催されているし、月釜も色々かけられている。工芸家のかたの話では、この人は蒔絵師さんで加賀蒔絵の伝統をしっかり受け継いでいらっしゃる、お茶の歴史も古く金沢には立派な道具を持っていらっしゃる方も多いようだ、であるからか茶席の道具は例えば仙叟にゆかりのものを用意されるとすると、それにつりあいを取るように道具の選定をなさるのか、それは悪いことでは毛頭ないけど、道具のあれこれが全部古いものばかりで揃えられることが多い。古いものなら古いものばかり、これでは工芸家の方の励みにもならないということで、近作を使っての茶会という話になって、今度はすべての道具が現代作家のものばかりに統一されることが多いということです。

歴史を踏まえて長い年月修行なさって作られた作品が、現代作家のものばかりで出されるときにしか、茶会では使ってもらえないということに不満がありそうでした。意欲的な現代作家のものばかりの世界だけでなく、個人的な好みとして色々なものと組み合わされて茶席で使われることは作る側としては無常の喜びであると。

私は古い立派なものを持っているわけでもなく、またもし持っていたとしても自分の今にはとても似合っているとも思えない。お茶は趣味の世界であるけど、現実の自分の実感、生活を反映したもう一つの世界、実生活の投影だと思っている。私のささやかな道具は自分が働いて得たもので、まったく自分の今でしかない、つまりはどんなにおかしいかはお茶がおかしいのではなく、自分がおかしいのだと思う。

だから道具の取り合わせは自分の今なので、持っている多少は古いものと、現代作家さんで作品がとても好きで取り合わせたとしても、私の中では少しもおかしいわけではありません。古いというものは、特に焼物の場合、割れないで今日まであるというだけで、なんだかすごいと思うこともあるけど、現代作家さんのもので想像の力が豊かで、創造の力がすごいと思うかたもたくさんいらっしゃる、そして私とたまたまご縁があって、さらに私でも購うことができたという私の思い入れが道具です。

古いものが手に入らないからではなく、古いものも新しいものも、時代が違いますので当然感じは違うけど、自分なりの美意識の中では時代は関係ないと思っています。

時代に洗われた灰汁がとれたような道具の素晴らしさは勿論魅力的ではあるけど、現代のものを時代のものと組みあわせてみると、古いものが輝きだし、新しいものが落ち着いてくると感じることもある。それは新しい発見で、作品そのものが持っている力に付加されたと感じる。そんな体験ができれば嬉しい。

古いものと新しいものを本人なりに組み合わせると、その本人が浮かび上がってくる、とっても楽しそうとは前の蒔絵師さんが仰った言葉。

水指にしてももしたまたま古いものでそれなりのものが手にはいったとしよう。それはとても嬉しいことであるけど、他の道具を制約するものではないと思う。

道具の取り合わせ、部屋の大きさ、時期、さまざまであるけど、道具の格は固定されているものとは思わない。どうにか自分の世界を現したいと思っている。

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水指のこと  2

私の茶室は4・5畳。一番標準的な大きさであり、小間であり広間でありというところでしょうか。都合によって小間としての使い方をすることもありますし、広間としての扱いをすることもあります。

教場を開いていらっしゃる方の部屋は多分8畳が多いと思う。小間のお茶の稽古もできるけど、いわゆる七事式といわれる稽古は8畳でないとできないから。稽古に行くと広間ですね。お茶の稽古は個人教授ですので、次々くる弟子の稽古は薄茶の人もいるだろうし、何十年も稽古に通っているので、さまざま複雑な稽古をする人もいる。

水指一つ置きというのは勿論あるけど、都合がいいので棚を使うことが多い。また現代の大寄せ茶会事情では、参加者が多く、一席に何十人もいれる。当然部屋は大きい。大きな部屋を二つも戸を開け放っての茶会では、間がもたないこともあるし、席入りして何も飾り付けていないのは、大きな部屋がいかにも間抜けに見えるという事情もあり、棚を飾り付けてあることが多い。稽古、茶会どちらも棚を使ってということが多い。棚の種類はさまざまである。好み物として家元もたくさん発表されるので、実にたくさんある。それぞれに使い方は少しずつ違ってはいても、下には水指だし、上には棗を飾るわけだし、扱いは多少違っても基本は同じ。

さて棚における水指であるけど、勿論棚に収まることは当然としても、湯杓を棚板の下に斜めに差し入れることが必要なので、高さがあると使えない。斜めに湯杓をいれるので、口が小さいとまた使いにくい。湯尺は炉用と風呂用は当然大きさが違いますので、炉用の湯尺を使う時期にはそれはなかなか使いづらいです。炉用の湯尺がゆったり仕える水指は、棚にはごついと感じることが多いのです。そんな場合は、風呂用の湯尺を転用したりします。棚を重視するか、季節(炉か風呂か)を重視するかの問題になるかもしれません。

棚には桑卓のような高さばかりがあって、板があまり大きくないものは、また細い高さあるものが必要になります。これも口に湯尺がはいるかが問題のなります。

作られるかた、大きさ、棚へのおさまりは気になるところでしょうが、また棚に飾られてまずは部屋に飾られているのは、亭主が出ないさきに存在感が必要ですね。この存在感を求めてちょっと大きくすれば存在感があると勘違いかもという場合もなきにしもあらずです。

大寄せ茶会で客が非常に多いのに、ちんまりとした水指では水が足りなくなるということもあったりします。

私の好みとすれば、あまり大きくないほうが好きです。釜が割合大きく、丸っこい形のものならば、水指は丸い感じではなく、すっきりした高さを感じさせるもののほうがバランスからいって好ましい。釜が高さを感じさせるものなら、たとえば甑口なんかだと、丸っこい高さないほうがいいように思う。

きちんとしたすっきりした大きさがまことに合っている水指は使いやすいし、気持ちいいけど、あまりに合っていると目立たないというか、そこに埋没してしまって存在感を醸していないと感じることもあります。

存在感というのは大きさではなく、その水指が持っている、あるいは醸している力が発現しているということだと思うのです。作った人の力量がにじむというのかな。ただしその力に亭主がまけてしまっているのでは、まことに恥ずかしい。お互いの力量が拮抗していると感じるのは、清清しい。さらにお客様にそれを感じさせない余裕ありと見えれば言うこともなし。

どんな大きさが使いいいのかと聞かれることもあるけど、使いやすいように工夫をこらしていくのも亦楽しいかも。

作られるかたは水指として考えられるのはまことなれど、使う側は水指だけが突出しているというわけではなく、全体の一部ではあり、気持ちを乗せることができる道具、

作られたものの中から選ぶのではないかな。注文で作ってもらっても、それがただちに自分の分身にはなかなかならない。大きさだけの問題でないことは事実です。

ただ棚という縛りがあることを考えて作られるといいのかもしれません。

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道具取り合わせ  水指のこと1

水指のことにつき尋ねられたこともあり、少し自分の考える道具のありようとして考えてみたいと思います。自分の考えることだけであり、きちんとした約束にのっとっていうことではありませんし、正しいとも言えません。私の考える、好きなお茶ではということです。

今日のお稽古は「鴬点て」でした。教則本にも載っていないちょっと洒落た草の点前というべきかも。

指は運び出し、しかも水指の上には袱紗を鴬の形にたたんで持ち出し、点前には鴬の谷渡りとして部屋の隅狙いまでにじってまわるわけ。運び出した時には水指一つ置きのようなものですが、点前にはにじる、まわる。当然大きすぎるものは無理です。さらに亭主と客の距離は相当近くなります。
さらに薄茶ではありますが、教則本にも載っていない手馴れた人同士の時期に応じた応用というべき点前。

こんな点前に使う水指は大きさは、手ごろであまり大きいというだけでなく、庭に鴬も鳴きました、そこでちょっとお薄をという次第ですので、使い込んだような手馴れた形もそう変わっていないほうがいいように思う。稽古場では田山方南の飴釉に近い渦巻きの紋様があったもの。筒型であった。

鴬点てでは、水指は置きとしての役割もあるけど、谷渡りと称して部屋の隅狙いにまわるので、当然運びの役割も。置き水指の存在感と同時に手馴れた同志の軽いお茶なので、軽やかさもあったほうがと趣は分裂した思いを同時に満たしてくれるような水指であってほしい。

絵の描いてあるような派手なものは遠慮したい。鴬が蓋に乗っているので、蓋は一文字であらまほしい。手馴れた点前ですので、あまり若く感じるはつらつとしたような焼物は遠慮したい。さらに軽いお茶なので、ここ一番みたいな立派な水指も遠慮したい。

こんなこと考えていると面白いのだけれど、実際は持っているものの中での選択なのでいまいちだわと思いつつ妥協。

実際の茶会では持っているものの中でのあれこれ、そんなにあるわけでもなく、こんなのがあればいいなのたわごとであります。

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日本史の勉強

学生時代日本史は好きな教科であった。歴史は旧石器、新石器などから時代をおこし、縄文時代、弥生時代、火炎土器から農耕がおこりなどからゆっくり始めるものだから、時間切れになってしまって近代の歴史はどうにか消化するけれど、現代史はまったくやってなかったような。昭和史は戦争に突入という暗い話で、その時代の様相などはまったく習っていない。一番知りたいことばかりであるし、大切な現代にもつながる貴重な体験談としてとらえるよりも、とかくに否定的な捕らえ方か、あるいは自虐的な史観とか、さもなくば妙に保守的とばかりの、どこをとってみても今一、納得できない歴史の書き方ばかりである。

先だってより松本清張を読み直している。ずっと昔に読んだものが多く、推理小説とて読み始めれば大体は思い出す。それでも読み続けるのは、昭和30年代の風俗と思えば非常に面白い。昭和30年代、女性の捕らえ方とか、若い女性ってこんなに成熟していると考えられていたのか、さらに戦争の影はいつまでも残っていたのだなとかを見る、一種の時代小説といってもいいかもしれない。人間心理のあやなどは少しも古びてはいない。

松本清張の全集の中に「昭和史発掘」というのがあった。もちろん資料を駆使しての昭和史をいろどる事件の真相を色々探っているのだけれど、それが今まで見てきたような無理のある史観に裏打ちされているのではなく、資料を色々駆使しての結構客観的な歴史、これが非常に面白い。こんな歴史を学びたかったと思う。「芥川龍之介の死」「潤一郎と春夫」の二編は、文学史のなかで興味ある事件でかなり詳しく調べていて、自分なりに納得していたけど、それを裏付ける資料による話は面白かった。

「天理研究会事件」などは宗教と皇国史観とがみごとにリンク、皇室否定にまでいってしまった宗教のありようも興味深かった。宗教というのは諸刃の刃になるのが昭和という時代であったから。信教の自由をうたう筈だわとか、昭和の中味がよくみえてきた。

曖昧模糊として亡羊とした昭和史がよくみえてくる。

それにしてもこんなに面白い歴史、しかも本当に知りたい歴史を時間切れとして少しもならってこなかったのは残念である。今でもそうなのかも。一つの事件をとってみてもその資料は厖大なものであり、しかもそれをどんな形にまとめあげるか、そして文章力の問題。こんな昭和史をみてみると、歴史って暗記物なんていってられない。明治維新からの近代史が現代史にどう結びつき、それがまさしく今の時評にどう結びつくか、別の教科として勉強したらいいのにと思う。

昨今英語の勉強を小さい時からすることばかり力がはいっているけど、自分の国、自分のことをよくわかっていなければ、どんな国際化もないだろう。英語にかわって、現代史の勉強を進めたい。なにしろ面白い。

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置物

当地の桜もいよいよ満開になった。あちこちに桜の名所がある。花見にきっといってないだろうと母を誘いにいってみた。「車から少しもおりなくていいし、近いところの桜の名所を見にいってこよう。車に乗って。」喜ぶかと思いきや、全然行きたくないとのこと。先日温泉に家族勢ぞろいで行った折にも孫、ひ孫の顔を久しぶりに見れるのだし、私、さらに妹も行くのだし、気楽だろうし、世話をしなきゃならないことがあっても大丈夫と大威張りで誘ったのだけど、これもあっさり断られた。しかも断るというよりも完全拒否、がっくりきてしまって強く勧めるのも面倒と連れて行かなかった。

ほんの近くの桜見物でさえ行きたくないとのこと。どこが具合が悪いというわけでもなく、着替えたりなどの面倒も一切ないのにである。

母親は専業主婦、父親は戦後から小さい工場を経営していて、さらに世話好きでもあったからか、外に出ることは好きであった。父が存命中はちょっと誘ってもいつも喜んで出てきてくれたもの。温泉でよし、日帰りでよし、どんな計画でも面白がってくれた。母はそんな場合、父とは一緒にでてはきたが、結局外に出ることは嫌いであった。自分からすすんで外にでたり、友達を作ったりということは苦手であった。美しいものを見て美しいというような感受性も今一であったと思う。

ただみんな出かけて家にはいつも一人、若い時には洋裁をしたり和裁をしたり、私の嫁入りの様々な着物、洋服の数々、全部母が作ったもの。何年もかかって、ただただ家族の為のものを作ったり、家を掃除して居心地よくしたり、料理したりはまことに得意で、家族の為になっているということが喜びであった。自分を無にして家族の為に生きていたといったほうが正解かも。もちろん感謝はしているけど、今や年老いて家族の為にも、自分のためにも何もしたくなくなってしまった。多分あの人の家事の仕事の満期になってしまったのだろう。毎日退屈だろうと思うけど、何十年もいつも一人でいたのだから寂しいなんて全然思わないみたい。弟夫婦が定年を迎え家にいるようになったのが鬱陶しいと感じているくらい。家が好き、家の置物みたいになってしまっている。

年をとった親をどこかにつれていったりすると親孝行の真似をしているみたいで気持ちいいけど、じつは全然出かけたくない人もいる。

桜の時期になれば花を請い、天気の崩れに気をもみ、散れば季節の移ろいを思いなどの繊細な心使い、誰にでもあるのではなく、実は長い年月をかけて積み上げて作ってきた感情かもと思う。桜なんて毎年咲き、何が面白いまではいわないけど、感情の鈍磨は誰にもきそうだけど、なるべく瑞々しい感情を維持したいものだと思わざるを得ない。

長年月みんなでかけて外では色々な刺激を受け、勉強もしたり、仕事もしたりしてきた家族を支えるだけの人生を母に押し付けてきたことを今残念に思う。何か面白いことはないのかと思うけど、若い時にさえ面白くなかったものが今始めて面白みがわかるというものでもない。

置物みたいにべったり居間に座られている弟夫婦は気詰まりなことだろうと同情する、それはまた母にもいえる、今まで一人でのびのびしていたのに夫婦でそこにいられるのもまた大変だろうと思う。

こんなのが大変なんていうほどのことでもないけど、年をとると柔軟性が減っていく。誰にでもあわせていくのは結構若いときからの訓練が必要なのかもと思う。

深刻ぶることでもないんだけど、とかくにこの世は住みにくいというのは本当である。

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元気が出る理由

先だって娘家族が来てしばらく滞在していったのだが、主人孫可愛さにあまりに張り切りすぎて疲れが出たものか、風邪をひいたのだろうけどなかなか直らない。食欲もなし、ぐずぐずしているうちに5KGも体重が減ってしまった。それくらい減っても目立ちはしないという体型なんだけど、さすがに心配になってくる。

つれあいが元気をなくしてくると、やたらと張り切って元気がでてくるという性癖である。この一週間、春になったということもありやたらと汚れが目につく。そこで掃除。もともとは家が店として使われていたこともあり、住むだけにすれば大きすぎる。ましてや家族は減って掃除人は私一人。いつまでもつかわからないけど、掃除はじめるとやたら次の要掃除の場所が見えてくる寸法である。

この一週間でやったこと、まずは窓拭き、今では庭に面して長戸ばかりなんてのははやらないというより、建築基準法で許可にならないのではなかろうか、18枚を一日ではちとつらい、2日間かけて、敷居まで掃除。トイレは三箇所、ちょっと徹底的に掃除。カーテンをはずして洗濯、シーツは一週間に一度しかこない息子の分も含めてはずして洗濯、娘家族が泊まっていったのでその分三人分もはずして洗濯。風呂は我が家は人数が少ないわりには、時間が不定期なもののあつまりなので、しかも風呂好きときているので、いわゆる24時間風呂にしている。これが結構大掛かりなものなのです。この掃除はいささか武者ぶるい、たまにしかしなくていいのだが半日がかり、これも頑張ってやりました。

陽光かがやく春の光の中では、どうも障子までくすんで見える。障子の張替えまでしたくなる始末。ここまでくると決意しなおしてからである。窓拭きは二階部分長戸20枚ある。エネルギーきれなきゃいいけど。

つれあいが具合悪くなったこと過去にもなんどか、そのつどやたらと力がわきあがってきて、どんどん何事もやれそうな気がする。過去にあわやのこともあったけど、冷静になって連れ合いの仕事のバトンを受け取った気になってどんどんすすめて銀行まであきれさせたことあり、親は我が子ながら大したものと言ってくれ、後日退院したつれあいからは感謝されたこともあった。

どうも危険が迫ると、泣いて丸まって危険の過ぎ行くのを待つタイプではなく、しゃにむにすすむという風にインプットされているらしい。

自分の分とがむしゃらは仕方なしと思っているけど、いつまでも力振り絞るものでもなし、少しは静かに対処すべきなんだけど、馬鹿力しかないんかと自分でもあきれながら、できるところまでは行ってみましょうと思っている。

それにしてもこれだけ力いれてるのに我が家ちっとも美しくならないんだけど、こりゃ古いからかな。エンジンきれないように頑張りましょう。

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サービス精神

先週家族そろって山中温泉にいってきました。総員8名。孫の世話係もんだったけど、孫の父親が迎えにというわけで車で来たので、久しぶりの孫は父親にじゃれ付いていてようやく私の手から離れた。やれやれ。

その後妹としゃべっていたのだが、実に面白い話をしてくれた。

妹のダンナは亡くなってもう4年くらいか、息子は関西にいるので一人暮らしである。なくなったダンナは健康食品というか、製薬会社を起業、それなりにうまくいって妹は取締役として会社で頑張っている。なくなったダンナ生存中はダンナ贔屓のクラブには二人でよくいったとのこと。そのクラブにたまに遊びにいくらしい。そのクラブはまあ自営の社長とか、会社でだったら部長以上ぐらいの人が出入りするクラブであったとか。ママは若い時は美しかったらしい、いまや残りの色香という程度か。そんなクラブの贔屓のお客さんたち、いまや病気で臥せっている、なくなってしまった、呆けたなんていう有様らしい。次の世代の社長とか部長はもっと若いママの店にいくそうな。

今や店も暇である。件のママ、それなりに訪ねてくる年めしたお客だけでは閑でもあるし、エネルギーもあまる。国民年金はかけてきたなれど、そんな年金だけではこころもとないし、なにもしないのは気もめいる。もともと男も国もあてにはしない生き方をしてきた人。聞いて驚いた。ちゃんと講習を三ヶ月受けて介護ヘルパーの資格をとったとのこと。そして日中介護に出かけているんだとか。

もともとサービス業のプロ、介護される年寄りが可愛いと感じるとか。にっこり元気ですか?と声をかけるのも上手で、是非きて欲しいという声がひきもきらずとか。日中そんな仕事をしながら、夜になれば少なくなったとはいえ、のこんの色香をふりまきながらのママ業であるんだと。

どっちもサービス業ねと達観。誰かにすがりついて生きていくなんて考えもしない、潔く、しかも即実行である。誰がどうだからとか、政府があほだからとかなどの理屈の前に自分でできることは即実行というこのあっけらかんとした生き方、すごいよねと妹と話し合う。

社長であった、あるいは部長であった人の奥さんてダンナがどうにかするべき、どうにかしてくれて当たり前と考えている人がほとんど。女としてどっちが上だろうと私達姉妹は話しに盛り上がったのでした。

国民年金でどうにかできないならば、できることをまずはやってみよう。文句言う前に自分のできることは自分の責任で。

女の出世街道はよい男を捕まえて、なるべくその男に寄生してという生き方が言葉は違っても良しとされているむきもあるかもしれない。さっぱりと自分で頑張って生きていく、しかもそれを楽しそうに。サービス精神の権化かも。

楽しい話であった。

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