覗き見の楽しみ。
覗き見ってひそやかな秘密ありそうで後めたいと思うものの、やはりちょっと楽しみなものであろう。人の日記の盗み見なんて褒められるものではなかろうが、日記を読むのは楽しいに違いない。
そんな大げさな話ではないけれど、文学者の日記などはその人となりが伺われて面白い、でも文学者の日記はそもそも発表されることは承知していたものではないだろうか、そこに残すということが、そして書いたものがいつも発表されるということに慣れていたのだから、日記といえども、文学の範疇にははいるだろうと思う。
ブログというものもWEB上の日記であるけど、はじめからWEB上にあることは見られるということを前提にして書かれているものであり、親書を覗いたなどにはあたらない。書いている本人も、知られることを楽しんでいる場合もあるだろうし、また何かのキャッチボールともいうべきコメントのやりとりが楽しくて書いているということもあるだろう。
あるかたのブログ上に、いつも娘さんの日記を読んでみるとという記事が目につく。紙に書かれた日記なのか、ブログなのかは書いていないのでわからない。その日記を読んでは喜んだり、悲しんだり、心配の目は早くから摘み取るのがよく、親として心配なことには手を貸すのが当たり前というような感じ。ご主人にも娘さんの日記に書いてあったことを、報告心配しあうのだそう。
親書、日記を秘密を覗くようで楽しいものではあろうけど、これだけは人間としてやっちゃいけないことと思っている。もちろん主人、子供あての親書は開いたことはない。印刷してあるものでもやらない。請求書なんて出てきたら嫌だもんね。どんなに小さい時でも、子供の日記などは覗いたことはない。私がブログをやってることは、前に本を自費出版したこともあるから、娘、息子も知ってはいるが、多分読んではいないだろう。娘は子育てに忙しく、ブログどころか家計簿もパスという有様。息子は多分ブログなんてやってないだろう。見たくもなしである。
今親と子供って距離がそんなに近いの?と驚くばかりである。どんな形の日記かは知らないけど、日記に書いたことを親が知ってれば、見ていることなんて子供は知っているのだろう。そんなのに反発はないだろうか?見られてもいいほど、なんの秘密もないほどに通りのよい親子であり、また秘密の一つもないほどに子供って明るいものなのか、翳ってないのか、
明るい平板な人生なのか、影に彩られた重層的な人生が深いと思う。親に知られて特別困ることをやりでかした覚えはないけど、でも心のうちは死んでも探られたくないと高校生ぐらいの時は真剣に思ったものだ。今思えばまことに子供っぽい思いであったけれど、秘密をこっそり抱えていることが大人になったあかしなどと思っていたもの。もし親が親書を開封したりすること、文通の時代であって結構手紙はあったけれど、もちろん一回もなかった。ごく当たり前の常識である。嫁いだ我が家ももちろんそう、印刷したものをたまに開封されていてげっそりすることがあるけど、実際は何かの案内程度。
ブログはものすごくさかん、匿名性を利用しての心の呟きを、むしろ家族ではなくもしかして実感してくれる人もいるやも知れずで気楽に書ける。たくさんの人のブログ、家族の人って見ている人多いのかな。もっとも夫婦で一つのブログに顔を出していらっしゃるブログもあるから、共有なのか。
どうも日記といえば、心に浮かぶよしなし事を紙に書いてきた世代は、他人には比較的平気であるのに、どうも家族に見られるということに慣れないどころか、絶対嫌という思いがある。ましてや子供の日記を見るなどは、信じられない思いであるが、最近の事情はどんなものなのだろうか。


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