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覗き見の楽しみ。

覗き見ってひそやかな秘密ありそうで後めたいと思うものの、やはりちょっと楽しみなものであろう。人の日記の盗み見なんて褒められるものではなかろうが、日記を読むのは楽しいに違いない。

そんな大げさな話ではないけれど、文学者の日記などはその人となりが伺われて面白い、でも文学者の日記はそもそも発表されることは承知していたものではないだろうか、そこに残すということが、そして書いたものがいつも発表されるということに慣れていたのだから、日記といえども、文学の範疇にははいるだろうと思う。

ブログというものもWEB上の日記であるけど、はじめからWEB上にあることは見られるということを前提にして書かれているものであり、親書を覗いたなどにはあたらない。書いている本人も、知られることを楽しんでいる場合もあるだろうし、また何かのキャッチボールともいうべきコメントのやりとりが楽しくて書いているということもあるだろう。

あるかたのブログ上に、いつも娘さんの日記を読んでみるとという記事が目につく。紙に書かれた日記なのか、ブログなのかは書いていないのでわからない。その日記を読んでは喜んだり、悲しんだり、心配の目は早くから摘み取るのがよく、親として心配なことには手を貸すのが当たり前というような感じ。ご主人にも娘さんの日記に書いてあったことを、報告心配しあうのだそう。

親書、日記を秘密を覗くようで楽しいものではあろうけど、これだけは人間としてやっちゃいけないことと思っている。もちろん主人、子供あての親書は開いたことはない。印刷してあるものでもやらない。請求書なんて出てきたら嫌だもんね。どんなに小さい時でも、子供の日記などは覗いたことはない。私がブログをやってることは、前に本を自費出版したこともあるから、娘、息子も知ってはいるが、多分読んではいないだろう。娘は子育てに忙しく、ブログどころか家計簿もパスという有様。息子は多分ブログなんてやってないだろう。見たくもなしである。

今親と子供って距離がそんなに近いの?と驚くばかりである。どんな形の日記かは知らないけど、日記に書いたことを親が知ってれば、見ていることなんて子供は知っているのだろう。そんなのに反発はないだろうか?見られてもいいほど、なんの秘密もないほどに通りのよい親子であり、また秘密の一つもないほどに子供って明るいものなのか、翳ってないのか、
明るい平板な人生なのか、影に彩られた重層的な人生が深いと思う。親に知られて特別困ることをやりでかした覚えはないけど、でも心のうちは死んでも探られたくないと高校生ぐらいの時は真剣に思ったものだ。今思えばまことに子供っぽい思いであったけれど、秘密をこっそり抱えていることが大人になったあかしなどと思っていたもの。もし親が親書を開封したりすること、文通の時代であって結構手紙はあったけれど、もちろん一回もなかった。ごく当たり前の常識である。嫁いだ我が家ももちろんそう、印刷したものをたまに開封されていてげっそりすることがあるけど、実際は何かの案内程度。

ブログはものすごくさかん、匿名性を利用しての心の呟きを、むしろ家族ではなくもしかして実感してくれる人もいるやも知れずで気楽に書ける。たくさんの人のブログ、家族の人って見ている人多いのかな。もっとも夫婦で一つのブログに顔を出していらっしゃるブログもあるから、共有なのか。

どうも日記といえば、心に浮かぶよしなし事を紙に書いてきた世代は、他人には比較的平気であるのに、どうも家族に見られるということに慣れないどころか、絶対嫌という思いがある。ましてや子供の日記を見るなどは、信じられない思いであるが、最近の事情はどんなものなのだろうか。

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優先順位

お茶を長いことやってると私の先生ではまったくないけど、ほとんどの教場の先生方は茶席を担当なさったり、あるいは各種の会の役員などが回ってくるようだ。ある一つの団体ということになると、そういう仕儀にはなるだろう。

ある方のブログに、ある会の役員を引き受けたという話があった。その人は自分は習いに行きながら、自分の家でも人を教えている由である。その会の役員には、そのかたの先生が推薦されてその役が回ってきたとのことであった。仕事もされている。当然忙しい方のようだ。

役員会と自宅の稽古の日と重なり、役員会を自宅での稽古日ですのでと断ったとのこと。それを役員に推薦された先生からひどく叱責されたとのこと。推薦人の先生の顔に泥を塗ったと反省しきり。その役員会には、一番下にいるものが当然合わせるべきもの。一番気楽な内弟子に日の変更をすべきなのだと。

そうかもしれない。役員を引き受けたからには、それに伴うもろもろの会合、席、雑用、当然あるはずのものであるから、それには当然参加すべきだと思う。

そうだろうなと思いながら、なんとなく引っかかるのです。弟子は一番気楽な相手、その人に変更を申しわたすべき?そうなのかと思うのは、38年も通っている教場では先生の都合で日を変えられたことは、多分何回もないから。細い先生ではかなげに見えるけど、自然が一番と泰然としていらっしゃるからか、案外丈夫で昨年倒れて救急車で運ばれるまでは、多分医者にもかかっていなかったのだと思う。風邪ぐらいは売薬をのみ、少しの熱ぐらいでも休まれることはなかった。座っているだけだから、大丈夫といいながら稽古はあった。稽古の日が変更になるような個人的な用事は、稽古日にははさまれることはなかったような。水戸に住んでいらっしゃる次男さんが、家を新築なさった、診療所を建てられた、そんな事情で息子さんが見て欲しくて迎えにいらしたことで、多分何回かは変更になったかもしれない。

稽古の日の変更は、その日を用意して計画をたてている人の時間を奪うだけでなく、次にといっても気持ち、日は立て直すのは大変、
なによりも人を教えるという約束をしたからには、当然日だけの約束は守るべきと考えてらしたと思う。こんな考え方が浸透しているので、当然稽古の日、時間は守るのが当たり前である。それが稽古というものだと言われていた。

何を習うということよりも、決めたことはきちんと守ることのほうが習うことよりも大事と言われている。その稽古ができなくなるような約束は当然いれてはおられない。長いこと通っているので、それが特別なこととは思っていなかった。こんなこともあってか、内向きであるゆえか、お茶、お花を教えていらっしゃることがすべてであって、それ以外に娑婆の義理などは一切引き受けてはおられない。そんなことは自分の任ではないと、固く固辞、教場での稽古がお茶のすべてである。

これではあまりに味気ないと県内の主なる貸し出してくれる茶室をお借りして、茶会は色々やってみた。全員を人数の関係で班を多い時は4つ、少ない時は2つにわけ、各班で工夫して茶会の真似事、全員が亭主、全員が客である。こんな会はよくやったけど、これも社中内での話。大寄せの席には出かけるけど、それは参加させてもらうだけ。

いささか物足りない教場であったかもしれないけど、お茶というよりももっと心の使い方、約束の重み、そういうものを習ってきたのだと思う。色々な話をほかから聞いてみると、じつに色々な教場があり、色々な先生がいらっしゃることを知った。

仕事を持って、教場に通い、自分でも教場を開き、なおかつ会の運営に携わっていらっしゃる人の忙しさはいかばかりかと思いつつ、
先生がこっそり私に言われたことを思い出す。おんなじ教場に通っていらした方、この方は学校の先生をしてらしたもの、そのかたのことを忙しい仕事をかかえてのお茶、いくら長年月続けていたとしても、心がお茶には向いていないもの。お茶が深まるものではないと言われたことがあった。実に無駄な時間の余裕ある使いかた、それがお茶に一番必要なことなのですと。

忙しさの中での一服は心の安定にはよきものかもしれないけど、お茶の深まりというのは、何にも縛られない時間、心が一番なのですとのこと。
色々な考え方があろうけど、私は自分の先生の考え方が好きである。

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さて

水泳に通ってもう10年になる。父を見送るさいに腰を痛め、これでは親も満足に見送れないと始めた水泳、父が亡くなって10年かにもなる。最初は水の中での歩行さえもできず、足がとられる始末、情けなかったけれど、今では歩行300メートル、水泳大体1KMぐらいは泳いでくる。さすがにへとへとになって午後は眠くなったりするが、肉体の疲れは気持ちいい。

大会にはあまり参加はしていない。タイムなんて全然あがらないし、体力維持と思い決めているので。10年、週に二回は泳いでいるが、残念ながらダイエットにはまったく貢献していない。風邪をひかない、肩こりは解消したという程度の効果はある。

オリンピックの年、水着問題がかしましかった。なんでもその水着を着れば、タイムがあがるらしい、太もものあたりで一流のアスリートで4~5CMも縮まるし、バストあたりは8~10CMも縮まるというではないか。どんな水着だろうとわくわくしていたら、どうもその水着は一人では着られないし、縮まったのはもちろん消えたわけではなく、締め付けているので、どこからか余った肉が飛び出るとのこと。こりゃ絶対着れないわ。覆われていないところから、ボンレスハムがにょっきりと、こりゃ洒落にもならない。タイムが多少早くになったとしても、諦めるしかない。

日本のメーカーのかたの開発努力もすごいものであったらしい。テレビで見ていたら、一流のアスリートに試作品を着てもらう。都合の悪いところを直してさらに改良、改良の方向は、体を締め付けず、本人の力がまるでものを着ていないような感じで100%本人の力が発揮される方向にあったようだ。本人の力だけを信ずる、それを邪魔しないという方向らしい。アスリートに引っ張られるだけである。なにせ超一流のアスリートなのだから、本人の希望を尊重する方向である。

問題の魔法の水着は、方向から言って、アスリートに引っ張られているのではない。体を圧迫して、ある程度の抵抗はあっても、余分な肉のたわみみたいな余計な動きをセーブするという方向である。もとの理論がまるで違うようだ。一流のアスリートだから、そのままでいい、そんな方向ではなく、むしろ向こうの理論にあわせて体を水着にあわせる感じである。

今回の水着騒動は、日本のメーカーの開発の方向が今までのままの延長でしかなかったのに、新しい考え方を導入した、その考え方に負けたというべきであろう。

発表されると、コロンブスの卵で、そんなことはわかっていましたなんていう言い訳はみっともないだけである。

これは水着の問題であったけど、今までの考え方、その延長を修正して完成を目指すという日本の得意な考え方の限界を見せたような感じがしないでもない。

あたらしい、今までは非常識ともいえた考え方の中に、じつは今の常識を超えたすばらしい宝が埋まっているかもしれないではないか。

あの魔法の水着を着ることができる、できないということよりも、考え方の基本のところに考え方の脆弱さを見て、日本大丈夫かいなと思ったのでした。水泳をふくめてオリンピックで日本選手に頑張ってほしいけど、こんな大きなイベントがあると今まではなかったような考え方が出てくることがあるんだね。こんなのもオリンピック効果というのだろうか。

非常識の中に潜む宝、見過ごしているものの中の原石。どうやったら見つかるのかな。

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挫折

挫折って否定的に用いられる言葉。挫折ってしたくもなしとは思っているものの、誰だって小さな挫折を繰り返し、それを乗り越えてきたもの。そのつど自分の力を駆使して、涙こらえて乗り越えてきた。

挫折をしないように子供にはよけるように育てていることが多くないだろうか。姑は商売上手であったし、元気で積極的な人であった。もし挫折するような事態になれば、笑いながら乗り越えることができそうであった。ところが脳梗塞を起し、自分の意のままにならない現実に直面したとき、まったく無茶苦茶になって収拾のしようがなくなった。仮面うつ病という診断であった。どう対処していいかまったくわからない、精神科の先生いわく、元気なとき非常に積極的で有能に見える人がかかりやすいとのこと。原因が小さな時、自分の乗り越えるべき小さな挫折を、親、まわりが取り除くことに一生懸命なあまり、本人が乗り越えるべきをまったく乗り越えてこなかったことによる、人生に一大事を乗り越えられなくて混乱を起している状態、まわりの様子を伺っているのですとのこと。

幸い現代ではそんな状態を改善することができる薬物療法もあるけど、性格は直せない。見守りながらほっておくことですと言われたものであった。

小さな時の本人が乗り越えるべき挫折、何かが人よりもできない、家庭がうまくいってない、金持ちではない、えとせとら、
こんな不平等による理不尽ともいえる挫折、こんなのは社会にでれば、如実にそれぞれに降りかかり、目をつぶって見ないようにしていた現実、あるいは不平等そのものによる理不尽さに唖然とすることはしばしば。

子供の時には、世の荒波はいつか体験しなきゃならないから、暫くは幻影の中で育ててやろうというのは大いに間違っていそうである。親の手の中にいて、自分はなんでもできるなどという全能感の中での幻影の中は、ほんの子供のころならいざ知らず、まったく現実とは遊離してしまっている。

少しづつでも、不平等なる現実を教えて、それにもかかわらず元気に前を向いて進む価値はあるのが人生であるということを小さい時から教えておくべきではないか。不平等を解消しようと公が頑張らなければならないことはいうまでもないが、どんなに頑張ってもらってもなおかつ不平等なるものが人生であり、そんな挫折は自分の身で乗り越えようとする力を蓄えておくべきだと子育ての指針にしたいと思う。

三つ子の魂を人生のしまいつけのあたりでどっと出し、まわりを大いに困惑、悲しませた姑の例を見てきたので、ほんとうに三つ子の魂の育て方って大切なんだと思うのである。

とんでもない事件を引き起こした犯人は、家族の中での生育暦の中で、小さな挫折を乗り越えるべき力を培ってこなかった結末にみえてしかたない。

挫折って否定的な言葉であるけど、小さな挫折を繰り返し、それを自分の力、まわりの協力で乗り越え乗り越え、挫折って人生を彩るもしかして一番面白いことだったかもと思えるほどに力が蓄えられたらいいなと思う。

もっとも自分の力をこえてしまって、滅茶苦茶になる恐れはいつだって、誰にだってある。えらそうにいう資格は一切ないけど、小さい時からの挫折の経験は、人生を深くさせてくれる一つまみの毒かもしれない。

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狩猟民族

人間は誰でも食べ物をうるために働く、これは太古の昔から。狩猟のために移動、そしてそれが得られると落ち着いて寝るところを確保する、それが家庭の始まり。

現代の狩猟は働くところ、それはたいていの人は会社。狩猟したものは、現物ではなくお金として支払われ、狩猟の賜物は、その現金で好きなものを買ってそれで自分を養う。それって昔と少しも変わっていない。その間の仕組みが整理されて、むずかしそうに見える形ではあるけど、狩猟の形の原型はそのまんまといえるかも。それが生きていくことなんだね。

インターネットで読んだ記事で、読み返そうとしたけど、こんどはどこだったかわからないけど、要約するとこんな感じ。

アメリカで携帯電話の中継局をつぶさに注意してみると、具体的にどこに電話したかではなく、どこの中継局からどこの中継局に繋がっているかを調査すると、ほとんどの人、たしか70%代の人がたかだか二つの局に突出しているとのこと、どうも自宅と仕事先らしい。携帯電話の使用って、ほとんどが自宅と会社。現代人て行動が広いと思われているけど、極端に便利になってしまった現代では、非常に行動範囲が狭いということが判明したというような記事であった。

なるほど動かなくても動いていると錯覚する繋がりが、たとえばテレビにある。あっちこっちの情報が洪水のごとく流れてくるけど、本人はソフアに座っているだけである。遊び、勉強、音楽、えとせとら、あらゆるものが座って取り出せると思っている。せめて付き合いの範囲が広く、あっちこっちの電話だけでも繋がっているのかと思いきや、案外我が家と仕事先だけ。携帯電話ってなんでいるの?

付き合いが広いから、狭いからは別になにも関係ないのかもしれないけど、狩猟が人間が生きていくための最低の条件。そんなにちっちゃいともしかして、極端に文明が進むと、根源的な生きていく力がだんだんなくなっていっているのかなと思ってしまう。

ただの妄想かもしれないけど、新しいものに対する好奇心の欠如とか、人間関係の狭さとか、徐々に力がなくなってきているんじゃなかろうかな。妄想ですとも言えないと思うのです。

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着地点

私の住んでいるところは小さな田舎の町の商店街です。こんな商店街は今やほとんどの町では壊滅状態。親から譲られた小さな店を切り盛りしていた跡継ぎは、次々に廃業、中年になって勤めに出たものである。町はひっそりしているが、今でも一年で一番賑わう行事の七夕を控え、毎日町内出られる人はこぞって出て、短冊や飾りの作りつけに工夫をこらしている。毎年変わらぬ風景である。昔はみんな町で商売していたので、こぞって参加したものだけれど、今や勤めに出ている人が多く、しかも中年になってからの勤めだから贅沢なんていっておられず、夜集まっての作業だけれど、全員なんてことはできなくなった。私の知っているかぎりでも、もう40年近く、みんな年をとったな~と思う。

こんな町内だから、年金なんてのも国民年金に多少加算されるぐらいか、みんな元気で働きたいというような状況。

その中で、商店街の中にあっても、奥さんだけが酒屋さんをしていてご主人は公務員であった人がいる。ご主人定年になり、さらに郊外型の酒のデスカウントショップが増え、酒屋の免許を売れるときに売ってしまい、いまや楽な老後ともいうべき人がいる。子供さんは皆優秀で独立され、なんの心配もないという家。みんないささか羨ましく思っている家であった。ここの奥さん、みんなが羨む状況で心配事はまったくない感じ。

さてこんな心配のない日々、みんな目標にしたい家族かもと思っているのに、ここの奥さん、ただただ病気になりたがっている感じなのです。息子さんの一人は医者、その人に振り向いて欲しい、ご主人にただただ心配されたい、そんな思いで病気になっているのかなとしか見えない。よその家庭の中はもちろん見えないけど、誠実な旦那、やさしい親思いの息子、みんな自慢の家族のように言っている、

心配事がない、余裕ある日々、これって羨むべき目標のように思っているけど、実際はすごくつまらない、充実していない日々なのかもと思う。やむなく年を重ねてもかなきゃならない日々って、つまらない、辛い日々ではなくて、とっても充実した日々なのかも。心配をかけるあまり出来のよくない子供たち、これってもしかしてすごく親孝行かも。なにせいっつも見守っていなきゃならない、老いている暇もない状態の忙しい、心配事ばっかりの日々、うんざりなんかしてられない。こんな状況って、頭だけでは生産されないからね。大変な状況に立ち向かう力が必要だからね。余計なことを考える暇もなかったりするから。

忙しいって、心を亡くすると書くわけだから、忙しさって否定的に捕らえられている。でもそうじゃないかもと思ったりするわけです。

小人閑居して不善をなす、という程度の小人の集まり。閑居というのは年に関係なくあんまり褒められたものではない。老人の生きがいなんていわれているけど、生きがいなどという言葉に惑わされず、心配事が生きがいなんだと嘯くなんてのもいいかも。

いつまでささやかな商売続けられるかなと考えるとき、小人である私、閑居は褒められたものではないものなのかと、止めようという着地点がぐらついてくる。何もすることがなく、周りのものにただただ認めてほしいと擦り寄っていくなんて、まったくぞっとするもんな。年寄りの甘えなんて、見てても可愛くもなし。

老いの着地点てなかなか難しいのかも。

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自己愛

世の中を震撼させた無差別殺傷事件、なんとも痛ましい、こんな理不尽な事件がおきると自分で何か納得できる点を少しでも見つけ、気持ちを少しでも静めたいと願うもの。

そこでいろんな解説がさまざまあるけど、その中に「肥大した自己愛」という精神分析医の言葉を見つけた。そんな肥大した自己愛というのは、子供の時にあまりに期待され、またまわりはやり遂げ、つまりは自分の全能感を作ってきたにもかかわらず、大人になればできることはなく、周りからは少しも認められることなく、無視される、肥大した自己愛の爆発、なんていうような趣旨であった。

自己愛がどんなふうに形成されるか、そりゃ、自分をかけがいのないものとして認め、自信をもって社会に薦めるように、親としては大いに気を使って本人をほめ、自信を持てるように育ててくる、そんなやりかたのどこかが狂ってきたのかもしれない。

自己愛というのは自信を持って、自分自身の人生に立ち向かえる力にもなるけど、一方では肥大するとやり場がなくなる。こんなとき、そんな自己愛というのは良きものであり、また悪きものにもなる。これがバランス崩れるとというのは、本人に想像の力がないとどうもバランスはとれない。

自分では一人の人生しか生きられない。こんな人生に重層的な厚み、深みをもたらせてくれるのは、厚みのある人生を本からでも学ぶことが大事だと思う。

中島敦の「山月記」を思う。肥大した自己愛、自分に対する絶対的な価値感に縛られ、そしてそれを認められずに、心に鬱積していった自分への期待感、それがついに虎という姿になって、月にむかって咆哮する。
格調の高い美しいかつ流麗ではあるがかたい漢文調、若い人が書いたと思えぬすばらしい文章もさることながら、肥大した尊大な自己愛に縛られた秀才の行き着いた先、その絶望感とみにくい姿を月に向かってしか発散できない悲しみ。

勉強につぐ勉強、類稀なる秀才とあがめられた栄光の日々の先にあったものの惨めな、かつ醜い姿。こんな筈ではなかったのに、これはその勉強の目標が知識の習得、さらにそれを利用しての社会に役立つ栄光の姿の筈であったのに。物を知る、知識を深める、それが自分だけが秀才、誰もついて来れないのは、自分が圧倒的に秀才であるから。だんだん自分だけが・・・の尊大な自己愛を積み重ねていってしまった。こんな人間の悲しみは、結局人間であることもできなくなってしまった。その自分を恥じて咆哮するしかない虎、もう人間ではない。

こんな話は荒唐無稽だろうか。すぐれた文学作品は時代をこえて人間の本質をするどく、かつあたたかく指摘している。そして人間とは、自分とはということを考え直すきっかけにしてくれる。

世の中の毎日の出来事。それは実にさまざまで、それにかかわった人は、自分だけが特殊な人生に会ったと思うだろうけど、またそれぞれのかけがえのない人生であろうけど、人間の本質に迫る真実は、時代、国をこえて普遍的なものであろう。そうであるので、人生を考える、自分がわからない、迷う、そんな時には人間の本質をするどく指摘しているさまざまな本を読んでみたいと思う。自分だけが、つらい、悲しい、ひどい、こんな傲慢をいさめてくれるのも、またそんな自分に寄り添ってくれる本もある。

今そんな本を読むまどろっこしさが受けていないのか、文学は必ずしも受けているとはいえない。最近の本は、繊細な、些細な、日常の世界の小さな心の動き、それは共感できる人には共感できるという、少し世界の小さい話が主であるみたい。

自分の生きられる人生なんて、たかだか80年、そんなにたくさんの経験ができるわけでもない。人間を考える、人生について悩む、みんな大切というよりも当たり前のことでまた楽しいこと。

本を読み、肥大した自己愛の末路を知る、自己愛をどういかすか勉強する機会が多分犯人にはなかったのだろう。

本を読む効用はきっとあると思っている。
面白いわくわくする本いっぱいあって読みきれず、最近は目の問題、さらに持続力の問題あってなかなか大部のものを読みきれません。若いときからの訓練大事です。

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はざまで

生命保険会社から契約保険料の払い込み期間が満了を迎えます、との案内が。嬉しいのだけれど、次々にもう掛けなくてもいいよの案内がくると、そんな年になったのかと複雑な思い。

厚生年金ももう掛けなくなってよくなって、いただくものの案内をみると、よその人からみると多いといえないのかもしれないけど、こんな額を年金受給者に払い続けるって大変だな~と思う。昔の人ってたくさんの子供を生み育て、末っ子がようやく一人前になるやならずやで、力尽きて命を終える、実にほかの動物とかわらないシンプルな人生の交代であったもの。今や多少のくたびれは自覚するものの、こんな年になったのなんていう自覚がまったくない。働くのが当たり前、働いたお金の何がしかは、将来に向かって払い続け、備えるのは当たり前と思っていた。もう備えるべき構えではなくて、そんな備えられる事態になったのかと驚いている。

長生きはめでたいなんて言ってられない。60歳から年金を支給して、たとえば85、90まで生きたとしよう。私は大学を出てから共済年金加入が4年、それは一時に払われたとのこと、たしか20000円代だったような。嫁いだ言えは個人事業、国民年金に加入。個人事業には社会保険は加入させてくれなかったものである。自分で会社組織をつくり、それ以来社会保険に加入、昨年疲れて会社組織を解散、そこまで37年の加入であった。

たかだか37年の加入、長生きしたとしよう、85までで25年、90までだと30年、現役で働いていたものだけれど、25年、30年を支えるなんてどうしてもできると思えない。

自分の計画では65までは働き、80ぐらいに死ぬ、15年の人生を支える、それくらいならできるはずと高をくくっていた。

いま後期高齢者の保険で色々言われている。言葉はまずいかもしれないけど、どうして若い人にそんな負担を強いられる?利用するものが応分の負担をするのは当たり前だと思う。

消費税をあげるべきという理論もっともである。

それよりも長生きするのだから、暇な時間は一杯でてきそう。遊ぶことって忙しい、働くことがあってこそ楽しい。毎日が遊びなんてつまらない。もっと働くという方向が好きである。

個人事業って退職金もないし、年金にも会社や職業で掛けていた余分なものは一切ない。それは覚悟の上であったから、個人年金なども掛けてきた。計画はだんだん終着点、払う側から貰う側への転換、どうにも落ち着かない。だけどそんな事態にはすぐ慣れるんだろうね。

自分の老後は自分で面倒みるしかないと、若いときから覚悟はしてきたつもり。

首相の問責決議案が参議院を通ったよし、誰にでも良い顔を見せたい、政治家ってとくに。でも仕組みそのものが破綻してしまうと、ささやかな私の計画もぱ~になる。人任せではなく、自分の面倒は自分でみる。シンプルな生き方である。あなた任せにして何が面白かろうと思う。何によらず、公平って幻影でしかない。誰にも優しいなんてたわごとである。

大人としての考え方をしなきゃ、それにしても今払う、貰うのハザマ。世の中がよく見える気がする。

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遺伝

亡き姑はまことに働き者であった。というか姑の働き方は、自分が体を直接動くというよりも段取りがよく、人をして働かせるのが上手というべきか、商売上手で熱心であった。商売が好きという感じで楽しそうな日常であった。当然仕事は第一、地元で商売させてもらっているのだからと、地元での目立つ言動は慎むようにときつく申し渡されていた。なるほどそれもそうだわねというわけで、近所付き合い、地元との付き合いは極力控えめにして、電車で地元離れたら大いに羽を伸ばしてもよい、というわけで、姑も私も旅行大好きになり、それも誰にも言わずに出かけ、お互い一人旅行は楽しんだものである。それが習い性になり、どこでも一人で出かける、誰とでも話合える、こんな性格は姑に大いに鍛えられたか。よくも悪くもすごく学んできたと思っている。

家では働き者、趣味とてない人であったが、晩年大いに民謡が好きになり、家族は歌っているのを聞いたこともなかったけれど、県外まででかけて大会に飛び入り参加していたらしい。北海道の江差にまで出かけ、二日間朝から晩まで江差追分の大会にでかけたこともあった。それも全部人には内緒、一人ででかけたものである。もしかして何かがあったらということで、連絡場所と出かける場所は、私にだけは言ってでかけたのだけれど、まったくの一人旅。仕事の息抜きは大掛かりなものであった。家にいるときは商売が一番、その姿勢を崩すことはなかった。

私はお茶だけは通い続けたけれど、ひたすら真面目に仕事に取り組んでいるように見えながら、実は姑と話し合って、結構息抜きしていたし、海外旅行にもよく行っていた。よそ様には全部内緒である。今や趣味は筋金いりになってしまって、趣味か仕事か、になるとおおいにあやしくなってしまった。姑の教えもなんにもならないとあの世で嘆いているかも。

小姑も母親に似て、働き者、この人は自分の体を使っての働き者である。まったく趣味もないただ働くのが好きなのかと思っていたら、60歳を過ぎてから民謡を始めたらしい、しかもかなり熱心に。音楽を口ずさんでいるのも聴いたことがないけど、大会に出て、かなりの所までいったらしい。声がよかったの?家族に聞いても歌ってるの聞いたことがないとのこと。こんな遺伝てあったのね。驚き。子姑の家は亡きだんなの好みで、銘木で建ててある。階段が一段一段、紫檀でできている家、すべって落ちないかと思うような家。当然茶室も水屋も作ってあるのに、稼動しているのを見たことがない。茶室は何なのだという有様。

年をとってから、親の遺伝て現れるのだね。驚いている。先日発表会に出るのに、いつもの着物ばかりではなんなので、私に着物貸して欲しいといわれ、発表会?と驚いた。

姑の生き方の真似というか、遺伝というか

私の場合は仕事、家族から離れる日常からの飛び立つ気持ちのお茶にどっぷりつかっているし、小姑はまったくの遺伝形質だったのか、歌、
なんだか姑はもうなくなって14年もたつのだけれど、長い時間生活をともにしてきたからか、その生き方、時間の使い方、仕事に対する真剣なる考え方、そしてそれを長続きさせるための息抜きのしかたなどなど、実の親からよりも学んできたことは多いというか、だんだん似てくるのが自分でもおかしい。

そして小姑は我が家から出て長い月日の末に、やはり親からの遺伝をしっかり年をとってから開花させているのがなんともおかしい。次の代にこれだけの影響力を及ぼすことができる人は珍しいかも。
なんだか苦笑の日々である。

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ある葬式で

本日ある方の葬儀に参列した。亡くなられた方には面識がない。その方の息子さんの嫁さんと友達である。亡くなられた方は83歳、年に不足はなかろうが、脳梗塞を発症、だんだん悪くなり家族の見分けもつかない、寝たきり、病院に5年を過ごされた。現役時代は先生であった。

そのかたの息子さんは母親が脳梗塞を発症して、ほどなくリンパ腫を発症、かろうじて救命できたが、脳に放射線を多量に投与、ために脳が萎縮、体の動きもままならなければ、痴呆になってしまったものである。

彼女の心配、奮闘は一切ならず。頑張りに頑張りぬいた。ご主人のほうは2年ぐらいと医者に言われていたようだが、家庭での懸命の介護のおかげでか5年を過ぎ、もしかして体の不自由さはそのままなれども、うまくいけばこのまま穏やかな日をおくることができるのではと希望をもった矢先、やはり脳の萎縮で、体の調節機能が徐々に悪くなり、ついに入院、今では新しい治療もできなければ、積極的な検査もできない状態、本人を認識することもできない。要するに要介護5の人二人を抱えていることに。
毎日病院通いであったけれど、来た家族をまったく認識できない病人を二人抱えてその心配、せつなさ、絶望的な気持ちなど、本当にはたで見ていても大変で倒れないようにと、せめて気持ちのはけ口を勤めてあげようと思っていた。

どっちが先にといえるかわからなかったけれど、結局母親の方が先に力尽きてしまったようだ。こんなひどい人生を歩く運命を背負っている人もいるんだねと同情したくとも、なにもできない。少しの時間をみつけては、花が咲いてるよ、見にいってこようとか、お茶を飲みに来てとか、こんなおかずはどう、などのほんのささやかな手伝いとも言えないことでの見守りだけさせてもらっていた。人生を重ねてくれば、相手の気持ちのありかなどには、深く同情できる、わかるわかるということも多い。

思うに病人を抱えているのはたしかにひどい、でもそのひどさに拍車をかけるのは、回りの人との軋轢である。家族はみな本人のことを思っていると言う。だけどそれは実際に面倒をみる人にあわせるべきで、てんでに言い出せば収集がつかない。嫁が一番の責任者になり、頑張っているのに、それは・・・・と外野が言うべきではない。こんな家族間の愚痴は、境遇が似ていてわかってくれる人にしかいえないこと。家うちのことは聞き苦しいだけだからね。こんな愚痴のはけ口を、私はまったくの他人だから、割合冷静に聞けて、本人はずいぶん楽になったと言っていたものである。

さて、こんな状態を超えて葬儀になった。昔の同僚のかたがたがたくさんいらして、何人もでリレー弔辞をなさった。個人的な思い出に満ちた、よい言葉であった。良い先生、よき先輩、すばらしい方
みんなきっとそうなのだろう。

でも現役はなれて20年以上、ほとんど植物状態に近くなって5年。懸命の嫁さんの世話5年。こんな話はでてこない。私はそのかたを存知あげていない。なにか違和感を感じる。

葬儀って死者のものなのか、それとも残された生者のものなのか、

死者のものとすれば、その方の現役時代のすばらしい思い出を賛美してあがめるのが正解かもしれない。

でもいまや長寿の時代である。現役を引退して幾星霜、その時代を共有されたかたには自分たちともの輝いた時代を振り返る儀式かもしれない。でも引退してのちの時代は長い。さらに世話でしか生きていけなかった長い時間。生者のものとすれば、もう少し労いと感謝の気持ちを表してあげたかったと思うばかりである。どんなに頑張ったと思っても、あれでよかったのだろうかという後悔の気持ちは遺族ならば誰だって持つ感情である。そうであるからこそ、感謝は本人からは聞けないのだから、回りが少しでもあらわしてあげたいと思った。

私は亡くなられたかたには面識がない、おくやみは「長い間、ようこそ頑張られました。本当にご苦労さま、そしてお疲れさまでした。」これだけしかない。

葬儀は死者のものか、さてまた、生者のものか。

今回の葬儀とくにそんなことを考えてしまったものである。

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教わる

「時代小説の愉しみ」隆慶一郎 講談社
の中に、「失われた名演説」というコラム部分に

辰野隆先生の定年退官の時、弟子代表として、小林秀雄先生の挨拶があった。これはその時その場に立ち合った者しか知らない、失われた名演説だったと僕は思う。
 演説は僅か数十秒で終わった。冒頭の名台詞は今も鮮明に記憶している。
「真の良師とは弟子に何物かを教える者ではない。弟子をして弟子自身にめぐり合わせる者である、とは、周知のようにソクラテスの言葉であるが・・・」

そんな一節がありました。良師のおかげで自分自身にめぐりあったかは、銘々が自分自身に問うことであるとされているのですが、常々、たかが趣味のお茶であるけど、先生から何を習ったかを自分に問うていたので、はっとした言葉であった。前に先生からは何もならっていないともいえると書いたことがある。点前をならったのはなにほどのことであろう、もっと深いことを習った、教えていただいていると思いつつ、それをどう表現すればともやもやしていた。

すごくすっきり気持ちのいい言葉にめぐり合えた、なんとそれはソクラテスの言葉であるとか、遠い昔から良い師というのは、弟子自身が自分にめぐり合える、自分を考えるように導いてくれる人であったのか、

ささやかなお茶を通して、自分を掘り続けたいとはいつも、何度も自問自答していたこと。それは自分自身に会うことだったのだ。つまりは自分とはを探るというか、自分を規定する旅だったのねと、よい言葉にめぐり合えて嬉しい。

38年も先生の傍にいて、何をならってきたのだろうと考えるとき、その存在そのものから大きな教えを受けていることに思い至る。それは自分を深く考えるということでもあるのだね。

自分を深く認識できれば、それでいいんだと思う。

教えていただいたことども、何もないと嘯いたこともあったけど、つまりは自分がどう生きていけるかをお見せすること、ずっと道を歩け続けること、それだけなんだとなんだか気合ぬけたような、それでいて深い内容に思い至っている。

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