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盂蘭盆会

なんでもやればやるほどそれに執着するし、うっちゃってしまうと日々に疎しなんてまるで私のブログ。書くことに決めれば日々の生活の感度も高くなるはず。

盂蘭盆会は7月にやるところ8月にやるところ色々であろうが、先祖の霊迎え霊送り、墓参りはいっしょのことですよね。小学生の時に母親の実家、おばあちゃんちに行った嬉しさは今でも思い出せる。絵日記には初日は電車の絵、間にスイカの絵、墓参りの絵、海水浴の絵、そして帰り、最後の日の絵はおばあちゃんが作ってくれた夏のこととて、重箱に収まっているささげ餅の絵に決まっていた。

母の実家は海沿いの村、先祖の霊は海から帰ってくると信じられていた。8月13日の夜、おじいちゃんに作ってもらったたいまつに火をつけてもらい、海岸にならんで「お招来、お招来」と先祖を迎えるのである。子供のときは「オショウライ、オショウライ」ってなんのことか全然わからなかったけれど、今思うと「お招来」であった。海沿いにあっちこっちに海べりにたいまつの火が揺れ、夢を見ているような美しさであり、あの美しさにひかれて先祖の霊が帰ってくる、子供心にも納得、本当によい思い出である。先祖はどの火が自分を招んでいるのかわかるのだからと言われ、一生懸命たいまつを丸い弧を描くように振り回したものである。

墓にはおばあちゃんが編んださんだわらの上に、獲れた野菜で馬を作ったりしてお供えをしたもの、これもまた自分の家での収穫を先祖に備えるのであって、先祖に今の生活を報告、見てくださいと言っているようなもので、先祖は見ていらっしゃるのだということなど、言葉にして言われたことではないが、そのまま子供心に納得したものであった。

16日の送り火は、大きな火の塊、それはてんでのたいまつの芯の部分などを全部集めたものであろうが、それを一塊にして村の若い衆が海の沖合いに泳いで引っ張っていくものであった。村に帰っていた霊が、この送り火に導かれて遠い海のかなたに戻っていくという感じはせつないほどに美しく、死んだら海の彼方のあの世にいけるのはすごくおだやかな感じで、死ぬことなんていいことではないかと思ったもの。こんなに大事にしてもらえるなら、いつだってあの世にいけると思ったものである。

夢のような思い出、今ではどうなっているか知らないけれど、盂蘭盆会の行事は先祖に感謝する、死の世界を身近に見せる、子供への深い教育であったと思う。墓参りに行って、でも霊は海の彼方に、霊って自由にどこでもいけるんだねと思っていた。千の風になってなんて小さい子供の時にもう実感していたものである。

受け継いだ行事を昔の通りにして行う、その行事を現世のものが楽しむ、そこにはなんの疑問もなかった。盂蘭盆会の行事は本当に楽しい、美しい行事であった。

家の庭でおがらを焚き、霊迎えをし、また霊送りをするということをなさっていらっしゃるかたがいらして、ブログに書いてらした。霊は火で迎えられ、火でおくられるということに古今なっているのか。

我が家にはそんな行事は全然伝えられていない、墓参りは当然するけど、盂蘭盆会には親戚一同集まってということもみんな忙しい、さらに遠くに嫁いだ娘など、同じ時期に打ち揃ってということがなかなかできない。これもてんでの都合を重視せざるを得なければやむをえない。

私の子供の時のような行事は、家を守る女性の負担が大きくて大変という言い方もあるけど、あんなに楽しかった、そして心に残った行事はない。夏休み、どこかに旅行するなんていう思い出って結局後年それ以上のところに山ほど行くので印象もそんなに残らない。はじめから最後まで手作り、そして伝統的、丁寧な時間をかけた行事の数々、じつに贅沢な時間を過ごしたものだと思う。こんな行事連綿として続いているのに、なんの疑問ももたなかったけれど、簡単に省略しましょうと言い出せばあっと言う間に無くなってしまうものであろう。

我が家にももうすぐ娘家族が来る、孫は仏壇を参るのが好きである。お鈴を鳴らすのが面白いのだろう、ついの先祖の私の舅、姑の思い出があるからで、杖のおじいちゃんの住処なのである。こんな思い出を大事にとってやりたいと思う。小さい時の思い出って、自分を片付くっている重大な核になると思うから。

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墓参り

気がつけばこちらのブログはすっかりご無沙汰。
MIXIで「写し」と本物の話、という話題がすごく専門的ながら面白く、でも頭をふるに回転させておかなきゃという状態で、すっかりほかを省みる余裕がなかった。自分の頭のパイの大きさってこのくらいだったのねと自分でも笑いたい。

お盆は7月に実施するところと8月に実施するとjころがある。我が家も8月なので墓参りもまだ念頭にもなかった。私の実家では子供の時分は7月に墓参りしていたという気がするが、今では8月になっているようだ。

妹から父の墓と自分の亡き旦那の墓に参ってきたと電話があった。子供の時のことを思って7月のお盆と思い、花もそんなに持っていかなかったらお参りしている人はほとんどいず、花が足りなかったと言っていた。

墓参りといえば、姑が亡くなって14年たつが、なくなる前に「尊厳死の宣言書」を私に委託していたものだが、脳梗塞を二回おこし植物人間になったもの、ついては本人の遺書というべき「尊厳死の宣言書」は本人の意思とは無関係に実行してあげることができなかった。今では心穏やかだが、遺書を実行してあげられなかったことにひどく動揺、どうしてあげたらよかったのかと多いに苦しんだ、亡くなって、墓にあやまりにというか、毎日通い続けた、毎日雨の日も、雪の日も、しまいに朝の散歩になって結構気持ちよくなったのだが、いつやめてよいかわからず一年半ほど通っただろうか、父が具合悪くなり、その看病に時間を割くことにしてついに行かなくなったもの。

なんだかあまりに一生懸命墓参りしたおかげでか、舅がなくなってもそうは行きたいとは思わなくなって、世間並みになったかも。

妹はなくなった旦那が会社を残していった。その会社の筆頭株主であり、幸いに会社の業績は順調であるが、最近社運をかけて新商品を開発、売り出したとのこと。なかなか思うように売り上げが伸びないらしい。さらに亡き旦那がおこした会社であるが、今ではその色合いもだんだん薄まり、その苛立ちやら売り上げが伸びないなか、原材料が何億にもふくらんだらしい。苛立ちと不安は頂点であるらしい。墓参りは鎮静剤である。

私の経験から言っても、物言わぬ墓にむかって愚痴をいったり、心静かにぬかずき目をつぶったりして心をおちつけたりするのは、本当はなくなった人には関係がなく、まったく残っている自分の心の自浄作用である。問題を出すのも、答えを出すのも、自分である。墓は何を答えてくれるだろう。
でも本当に墓にはさまざまな問題をぶつけたものである。ぶつける相手がいて、感謝する相手がいて、カラスにからかわれて墓参りほど心落ち着けることはなかった。妹もきっとそうだと思う。答えは自分のうちにある。でも墓に行けば、なくなった主人が賛成してくれ、父が後押ししてくれると感ずることができれば、また悩みながらも前に進めそうな気がするものである。

妹の悩みは妹のものでしかない、それぞれ悩みを抱えつつ、それを消化する方法は色々だろうが、亡くなってしまった人はいつだって味方をしてくれる。亡くなって自分だけをおいてと嘆くのももっともなれど、生きてあれば全面的なる味方ではなかったかも。自分だけの味方、それが亡くなった人かも。

墓参りに、いまではそんなに行かなくちゃというひりつくような感じを持っていないのは、絶対味方をしてもらわなきゃならないほどのひどい状況ではないからかもしれない。そんな状況になりましたと先祖に感謝しに行ってこなきゃと思うのである。

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