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珍しい客

香港に住んでいる叔父が来た。日本での住まいは横浜であるけど、出身はこっち。おじいちゃん、つまりは叔父の父がなくなって18年ぶりでの来富である。10年前に香港に尋ねたことのある私は10年ぶりだけれど、母、叔父の姉にあたるは18年ぶり。感激一入で、これで今生の別れかと「元気で」という言葉も涙声である。

香港に住んで16年とのこと。香港に一人で乗り込み、現地で会社を立ち上げ、今では日本の親会社には海外に6っつ会社があるそうだが、その会社の稼ぎ頭に育てあげ、初めは日本の会社は出資20%であったそうだが、儲かる会社になって100%出資しているそうな。そこの社長をしている。定年は過ぎたのだけれど、嘱託という身分なれど、給料は現役と一緒だけ払ってもらっているよし、意気軒昂である。叔父なのだけれど、私よりも二歳だけ上、現役で働くのが好き、じつに若々しい。香港に単身赴任して16年、仕事は大変だろうけど、単身のまま充実している。

16年の単身での仕事、まったく苦にはなっていないようである。根をあげるどころか、ますます業績をあげよう、真面目に仕事すればしただけのことありと、本当に若々しい。弟は叔父よりも5歳下だけれど、昨年大病したこともあるだろうけど、もっと老けてみえる。思うに弟の勤めていた会社は業種が不景気ということもあり、リストラを何度もやった。弟はその波をかぶることなく、定年まで勤め上げたのだけれど、仲間がやめさせられていった。ボーナスは減額、配置転換などさまざまあったのではなかろうか、詳しいことはわからないけれど、とにかく定年を待ち遠しがっていたもの。その会社に勤めていた人は、本当に元気が無い人が多かった。仕事の量、責任ということになると、叔父のほうが激務ではなかろうか。しかも言葉は基本的に英語、広東語のこともあるらしい。仕事は激務だったら、ストレスで過労なんていわれるけれど、充実感というものとの合算で考えれば、激務というのはそれそのものがストレスではないらしい。中国、台湾、東南アジアをまたにかけた運送の仕事である。陸送もあり海送もある。商習慣の違い、国振りの違い、運送上での事故、トラブル、保険を何重にもかけての仕事、じつに大変だろうけど、売り上げあげていく、新しいビジネスの成功と、とても日本では味わえないスリルと充実感らしい。

仕事人間の叔父は16年の間に私用で帰国したのは今度で二回目だとのこと。一度目は娘の結婚式であったとのこと。これじゃ18年ぶりの来富になるわ。まったく仕事の鬼か。でも充実感でいっぱいらしい。そんな仕事の鬼みたいな話、年もあるだろうけど、自己営業の家に育った我らは深く納得するのです。そんな生き方って男らしいなんて、いまでは絶対はやらないような考え方、ひさびさに同感できて多いに盛り上がったのでした。

叔父の話でなるほどと思ったこと
日本はアジア各国の人からみると高い賃金をはらってもらっている。さらに年金あり、健康保険もある。いってみるなら将来のことはアジアの人々からみると非常に恵まれている。にもかかわらず、将来を悲観して自衛と称して貯金にばかり励んでお金を使わない。だからお金が回らなくて不景気になってしまう。香港、中国の人は、不動産とか消費を非常にする、そんなに貯金ばかりとは考えない。子供が親の年をとったのを見るのは当たり前という感覚があり、自分の老後をそう悲観していない。ようやく就職した其の月から、親に仕送りする人は珍しくないとのこと。親を大事にするあの感覚もっと日本人は見習ってもいいのではないのか。楽しくお金を使うとおいうことで経済は活性化する。悲観的なことばかり煽るマスコミはいかがなものか、そしてそれが当たり前ととる国民性っていかがなものか、

ないもかも公に要求すれば税金は高くなるばかりである。親孝行って時代おくれと考えるのではなく、それができないなら、同世代同士のボランテアをもっと推し進める、人助けってたのしいものであろうに。

こんな話は本当に納得できるものであった。
香港に単身で乗り込み、ホテル住まいから始まって会社を立ち上げ、今日まできたのはひとえに人のつながり、助けがあったればこそ。現役しりぞいたらボランテアを組織して生きたい、
こんな考え方をグローバルというのじゃないのかな。若々しく仕事に没頭、色々な国の人との付き合い、商売相手、こんな話聞いていると、私も考え方がすごく縮こまっているなと感じる。

叔父と一緒に随分久しぶりに祖父母の墓参りもできた。母、叔母、母の実家の叔父にもみんな会えて、一族と言う感じがして一気に昔の思い出の話にもどり楽しかった。いとこたちもみな一線で活躍している様子も話しきけたし、久しぶりに楽しい一日であった。

18年ぶりで来富のことを考えると、この次は縁起でもないけど誰かの葬儀にならなきゃいいけどとも思うのである。母の涙はわかる気がする。

叔父さん、香港でさらに活躍して下さい。お元気で。

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季節は変わる

冬過ぎて春のきたるにあらずと雪間の草の春、などと繊細な季節の移り変わりを古人はよく読んでいる。夏から秋の移り変わりは、日中と夜との季節の違いということに一番でてくる。日中はとうとう日本も亜熱帯地方になったか、温暖化の影響かと騒ぐほどの残暑がいつまでも続き、あげくに今年は雨という言葉も気恥ずかしいほどのスコールかといった雨が多かった。

夜の闇に包まれると、虫のすだく声のすさまじいこと。「枕草子」に「ちちよ、ちちよとあわれに鳴く」という虫の話も出てくるし、「堤中納言物語」には「虫めずる姫君」なんていう話も出てくる。虫は情緒的にとらえられているし、その本から見えるのは、音楽的にもすばらしい、やさしげな虫たちである。時代のせいなのか、我が家の庭が悪いのか、情緒纏綿といった虫ではなく、一斉になく虫の合唱はむしろ命のかぎりと言った感じで、必死さが漂い、またたけだけしいと感じる。日中の夏の名残はふきとんで秋なんだね~と実感する。
さらに「月々に月みる月おおけれど、今日見る月はこの月の月」と一年中月はかわらず出ているけど、秋の月は特別なもの。もの思うには月と秋の夜は特別である。

秋は日中と夜の差が大きい。夜になって「あ~季節は移り変ってるのね」と実感する。日中では残暑が残っていたりして、うかうかと季節の移り変わりには鈍感であるけど、夜の闇に季節の移り変わりを如実に感じることとなる。

昔の人は、自然の移り変わりには今の人よりももっと敏感であった、それは文芸的な意味の中ばかりではなく、ほとんどは自然に合わせて生きていたのだから、農耕民族であるからには当然であった、
とはいえ、やはり自然にまかせてというだけではなく、さまざまな節目という行事を設定することでより季節を実感していたもの。

昨日は彼岸の中日であった。暑さ寒さも彼岸までという自然の移り変わりだけでなく、お彼岸には墓参りをする、さらにおはぎを作って仏壇に供える、そんな行事を通して季節のうつりかわりを感じていたのであろう。我が家でも毎年おはぎを作って仏壇に供えるのは当たり前の行事であった。小豆を煮て、黄な粉、ゴマと三色のおはぎ、毎年作って供えるのは当たり前であったけれど、今年はやってない。帯状疱疹になってまだ鈍痛を抱えている。気だるさがぬけない、気力わかないである。若い時は家族多く、店の人にも、親戚にも裾分けして張り切ったものであるけど、今やひっそりした我が家では気力わかないだけでなく、似つかわしくなくなってしまった感がある。長年やってきた行事であるし、家族もおはぎが大好きだから、帯状疱疹よくなってから作ろうとは思う。なんとなく諦められない行事なのである。忘れた時間、後ろめたい感じかな。それともあの賑わいの過去の時間を懐かしむ気持ちかも。

昔の人もただ季節が移ろうのを見ていても、そんなにわかるものではなく、季節を行事におきかえて楽しむ、あるいは季節の移ろいを行事で知る、という工夫があったものと思われる。

いま伝えられてきた行事は我が家にかぎらず形骸化してきたように思う。生活の仕方、家族の有様が違ってきたので、行事がそのままでは生活にそぐわないということもあるだろう。

四季のめりはりが効いている日本、でも漫然としていれば季節の移ろいはわからないまんま。あれ~秋だわ、冬だわ~にしかならない。そんな漫然さを防ぐ手立てが季節にまつわる行事、楽しかったり、おいしかったり、さまざまな行事は本当に生活に厚みを加えてくれるスパイスのようなもの。
それらの行事は必ずしも現代の生活にはぴったりではないかもしれないけど、大事にしたいと思う。なんといっても季節を愛でる感性のうちの国だものと思う。

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言葉 その中味

言葉は事物を表したり、心を表したりとまったく意識もしないままに使っていることが多い。大人になると言葉の膨らみに気を配り、ぶしつけ、そのまんまが言葉の中味とはいえないことは十分承知している。

さはいえども、お茶にまつわる世界の言葉ほど、内容との乖離があるのではと思うことはそうはないかも。お茶とは無縁に過ごしている人が、お茶に携わっている人を煙たく思ったり、近づきにくいと感じるのは、主として言葉がそのまんまではなさそうだ、どこらに真実があるのかわからないということを感じてしまって、近寄らないでおこう、あるいは胡散臭いと感じてしまうと言われたものである。

実際何気なく言っているのだろうが、何十年もお茶をやっていながらひよこですと謙遜したふうに見えながら、その実は全然そんなこと思っていなくて、とりあえずそう言っておけば問題はなかろうという一種傲慢な思いの表現であることが多い。またそう聞いているほうも、まっすぐひよこなんて全然受けとっていず、ベテランですねなんて思いながら、そういう言い方をするのは当たり前ととっていることが多い。それは大人同士の会話であろうという話になっているけど、それは大人同士の会話ではなく、ただたんに年を重ねている人とか、先生のその社会におけるヒエラルキーをなんとなく追認、それに従っていれば問題はないだろうという暗黙の了解のうちの上滑りした言葉であることが多い。

言葉は実感を伴ってこそ相手に届き、心をうつものである。なにごともむくつけき荒々しい現実をそのまま言葉にするということではないけど、真実をオブラートーに包んだという程度どころか、まったく心にもないことを一つの型として言葉として表現するのはいかがなものであろうか。どうしてお茶の世界では、言葉まで型があるのかと驚き、うんざりするのは私だけではなかろう。

うわすべりの言葉を謙遜と勘違いしている御仁は多いかも。

お茶が好きな人は多いけれど、あの言葉の持つ世界にはついていけない。近寄りたくないという人のなんと多いことか。

お茶は特別な世界とは思わない。自分らしくありたい一つの世界ではあるけど、特別の世界、選良なんていう思いのなんと傲慢で小さな世界であることか。でもきっとそんな現実とはちょっとずれた言葉の世界って、本当は其の人の鎧かもしれないと思うこともある。お茶と切り離してみれば、なかなか味のあるエレガントな人はいますもの。ところがお茶と限定してしまうと厚手の鎧に包まれたなんとも柔和に見えながら、その実は空疎な世界に変貌してしまう人の多いこと。これだからお茶って誤解されるんだわと思う。

子供の時分から稽古を始めても何十年も修練しながら、いつまでもひよこと言わなきゃならない、しかも決して自分では思っていない、そんな世界。さらにヒエラルキーがてんで違うことでの評価、なにもお茶に限らずなのかもしれないけど、言葉と中味を一体化は無理としても、近づける、あるいは実感に近づけることぐらいはできるのじゃないのかな。

空疎な言葉の羅列の世界、こんなの楽しいの?
長年の疑問とそしてそんな世界のまどろこしさとあほらしさにいささかうんざりしているのです。

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月見の思い出

十五夜の月が煌々と輝いている。屋根の瓦も白く光っている。お茶では月見茶会がさまざまに開かれているだろう。月見の設定は比較的やりやすいし、情緒たっぷりでお茶を演出しやすい。

月見の茶会と言えば忘れられない茶会がある。
娘が高校一年生の夏休みも終わろうという日に一緒に風呂にはいったら、体に細かく点状のぶつぶつが、痛くも痒くもないという。すぐに医者に連れて行ったら、皮膚科のお医者さんであったけど、私のところではむつかしい、すぐに総合病院にと。そのままの入院であった。わけがわからないまま、それから160日あまりの入院生活になったのでした。

其の前に友より、月見の茶会に招かれて、其のときはそんな事態など予想もできていなかったから伺いますとの返事。茶事といえば、返事をすれば必ず伺うのが筋、断れば相手に気を使わせるし、当日招かれた人にも迷惑かかると、気のすすまぬことであったが友の家にいったもの。
蝋燭の光の中で亭主はせいいっぱいのもてなしをして下さったのだけれど、娘を思えば涙がにじんで、でも心の動揺を押し隠すのに目一杯。どんな茶事であったか記憶もない。
帰り道、月は煌々と輝き、やさしい光を投げかけていた。でも車運転しながら事故を起さぬようにと気持ちは張り詰めていたけど、涙があふれてしかたがなかった。あの月の光は今でも思い出せる。

そんな月見を過ごしたのだけれど、その後何年も月見のお茶だけはしたいと思ったことがなかった。10年以上たって、元気になって無事大学生活もおくれ、社会人にもなり、結婚もし子供も授かった。

月をみるとつらい思い出がよみがえた月日もおだやかに過ぎ、こうなってみると月に感謝さえしたい気持ちになり、月見の茶会を実施したものである。十三夜に十三夜を詠んだ俳句
      まゆなべのほのかに温し十三夜   前田普羅
をかけてそんな時間にあわせて月見の茶事を実施したこともある。
其のときに来てくれた友は絹の機やさん、自分に合わせてくれたかと喜んでくれたもの。

月というのは、本当に毎日、毎月、さまざまに形を替えて現れるもので、それそのものはただ月である。それを見る者の心の投影で、温かいと感じたり、冷たいと感じたり、それは当たり前のことだけれど、何かがあるとそんなことを実感するわけである。

「十三夜」というのは樋口一葉の作品なのだけれど、とても好きな作品である。美しく生まれたばかりに望まれて金持ちの家に嫁いだ女性が、婚家で其のうちに冷たい扱いを受け、思い余って実家に戻ってみれば、年置いた親が婚家から金銭的な援助を受け、辛抱してくれと泣きつかれ、泣く泣く婚家に戻ろうとするのだけれど、その人力車を引く車夫が、かって一緒になろうと約束した人で、翻意して女が嫁いだあと、身を持ち崩して車夫になっていたのに偶然乗り合わせたもの、空には十三夜の月が・・・
という話であった。

ままにならぬは世の常、そしてしみじみとした心の二人をあわく照らすのは月、ままならないままの人生を肯定するわけではないけど、等しく月の光だけはかわらず指している。

文学作品で月はさまざま歌われている。ありきたりと思うこともあったけど、やはり自分が月に慰められたり、月を特別にと思う経験をすると、月見の茶事はやはり力がはいります。

思うにただ単に趣味的な月見、高踏的な趣味の茶事と思っても、そこにいらっしゃる方の心まではわからない。

心傾けて、真剣に月見の茶事を実施したいと思う。

本当に月が美しく輝いている、そして虫のすだく声が響く。
今年は月見の茶事を実施する予定はないけど、あれから23年である。
15年くらい月見をまともにできなかった。今はしみじみと美しいと思うし、わけもなく感謝したい気持ちである>

娘の恙無い健康を祈りたい。

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納棺夫

今納棺夫、納棺師を話題にした映画が評判らしい。おくりびと、などの優しげな言葉になっているらしい。「納棺夫日記」という青木新門さんの著作がある。著者は作家になりたいとか、あるいは思うにまかせぬ青春の挫折から、一番人の嫌がる仕事に取り組み、その仕事をしながら人の反応を見る、著者の家は名門といわれる家柄で親戚の人の冷たい目、世間の人の奇異に思う目をいつも意識していた。屈折した日々であった。世間のあざ笑いにも似た視線の中で、でも死者だけは、いっつも一緒であったそう。著者の講演会も聞いたことがある。納棺夫には様々な死者の納棺を頼まれる。誰にも看取られず、ひっそりと亡くなり、使者からは猛烈な蛆がわき、大変な状態の死者もいれば、肉親が大勢集まってはいるけれど、死者の枕元で財産の分け方をめぐって喧々諤々の言い合いになっている家もあったとのこと。
あるとき、死者の横から青い透き通った虫が一羽すっとでていった。其のときに思ったそう。醜いのは残っている人間ではないのか、死者は誰だって、最後になれば死を受容してそれは荘厳な立派な顔になっているそう。年齢も性別も生きてあったときの地位もなんの関係もなく、死者はいつだって荘厳で死を受け入れたおだやかで立派な人になっていると感じた。
そんなような趣旨の話で、講演会でもそんな話でした。

死という話など非常に共感できて、この著作の本を先生に貸してあげました。先生は阿弥陀経に深く帰依している人ですので、話には非常に共感されて、その本を次男さんに読んでみたらと送られたとのこと、この時点で私が貸してあげた本であることはすっかり忘れてしまっていたらしい。さて次男さんも共感されて、さらにその本を北海道の知り合い、そのかたは次男さんが北海道というところを非常に気にいり、その北海道で仕事をしたいと思うほどに心をいれていたのだけれど、母親の強い反対にあいやむなくやめて教授の進められたまま、都会で仕事を、現在は水戸で開院なさっていらっしゃるのだけれど、北海道での母と思うほどに気持ちの通じ合った人であったらしい、
その人に本は渡っていった。

くだんの北海道の人、本に非常に感銘なさり、その本を薦めるおかあさんに是非会いたいと北海道に来てくださいと話になり、先生は次男さんと北海道にいってらした。

一冊の本が縁で北海道の見知らぬ人とご縁を結び、話がまたはずんだとのこと。

其の本は北海道にあるのだろうか。

毎年其の方から年末に大きなかずのこと百合根が送られてくる。正月の初釜には今年もきましたと八寸には必ず数の子と百合根である。もちろんその縁のいきさつの本が私のものであったのを、先生自身は忘れてしまっていらっしゃる。教場の人は誰も知らない。

不思議な縁だね~と思う。誰も知らないけれど、そのご縁での数の子と百合根を毎年いただきながら、なんだか複雑ながら、おいしくいただいているからいらざることは言うまいと思っている。

大分たつ話なのでほとんど忘れていたのだけれど、いままた納棺夫の話の映画があるということで思い出した。

死者というのは醜くはない。むしろ荘厳で美しい。
さて映画ではどうなっているのだろうか。

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県民性

全国統一テストが行われ前年度と変わらぬ県による成績の差があったようだ。我が富山県は秋田、福井、富山とならぶ成績がまあ優秀という点をとったようで、教育関係者は安堵なさったことであろう。全国統一テストは昔にも実施されていたが、その時分からテストの成績はよかったのだと思う。

安堵もさることながら、富山県では公ということがとても強くて、私立なんて幅を利かせているわけではない。昔から大学は国立志向であり、私立は個性ある教育で評判といっても、県内ではそう人気はない。どっちかというと寄らば大樹の思考が幅をきかせているだけであく、勤勉、まじめな県民性があるから、そこそこの成績にはなる、またもちろん金持ちもそうでない人もいるけど、生活困窮世帯への公の支援は全国で一番低いと聞いている。勤勉さもさることながら、それなりに働くところもあり、そうであるから支援を受けるということを恥と考える人も多く、つまりは気が小さいので頑張るのだと思う。

真面目、気が小さく、地味な県民性である。長所は自立志向が強く、働くことを厭うということがない。気楽に遊ぶ人を、みゃ~らくもん、(身が楽な者)と戒める言葉もある。こつこつが性にあっているのであろう。

もちろんそうであるから。みゃ~らくもんから生まれる独創的な思考には鈍いかも。底抜けの明るさというのもない。芸術方面もいささか苦手かも。実業の分野には強いかも。

たかが子供の成績であるけど、県民性が透けてみえる。沖縄は例年ぶっちぎりの最下位のようであるけど、なんくるないさ、というらしい明るさと楽天的な考え方はテストでは欠点なんだろうけど、芸能方面にはたくさん活躍しているらしい。どうも長所と短所はまったく同じことを表からと裏からと見ているだけのこと。

富山県人は富山県人であるし、沖縄県人は沖縄県人である。交じり合うことはないかも。

子供の成績がよかったのは喜ばしい、しかも我が県内では塾に通っている人もそう多くない、学校の先生が熱心である。子供の教育の責任は学校にあるということは県内では自明の理である。塾にとかに頼るものではないことになっている。

テスト成績の結果から、県民性、県内事情が思われてもちろん喜ぶことではあるけど、そうだから欠点もあるんだよね~と思うのである。

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