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虎の威をかりる

娘の所の下の孫、2歳、おむつもしっかりしていて喋るのも本人は一生懸命なれど何を言っているのか離れているものには聞き取ること不能。意にそまぬことあれば大声で泣き、まわりを威嚇するなれど、娘は泰然自若、いつものことどうにもならないとわかると泣き止むからほっといてという有様、ワーワー泣けば上の子に嘘泣きよ、みて涙でてないでしょうと、おろおろするじいさんばあさんに言いつけられて、わがままは通るということもない。

この孫、お姉ちゃんの友達が遊びにくる、大好きな面倒見のいいおねえちゃんがいるからか、怖いものなし、なんでもできると勘違い。お姉ちゃんが絵本を読んでいれば、大声でわけのわからない言葉で本を読んでいる。おねえちゃんのやることは全部真似、なんでもできると思っているので、怖いものなし、飛び降りたりは平気危なくてしようがない。

こういうの虎の威を借りている状態だろうと思う。こどもの自分の実力がまるいでわかっていなくて、そこにいるものとおんなじことができるとの勘違いは、まことにほほえましく笑えるだけである。怪我しないように見てはいなきゃならないけど、自分で失敗を重ねながら少しは痛いめにあいながら自分のほどを少しずつわかっていくに違いない。そしてそこから工夫を覚えていき、実力を少しずつ蓄えていくに違いないと、大変たのしくみていられる。

子供の自分というものがまったくわからず、なんでもできる気になっているのなんかおかしいだけど、大人になって自分のほどをわかっていないのは情けない。というよりも自分のほどをわかっているからか、自分のことでなくて、まわりでのことで自分をカモフラジューしているのぐらいはまだしもそれを自分の実力と勘違いしているのはいただけない。

そんな人にはなりたくないなと思いつつ、自分の実力?そんなものは少しもないことも明らか。幸いなるかな、我が亭主にもこっちが勘違いするような力もなく、また勘違いするような家でもなし。お互い気楽なものでした。

ただ子供の虎の威を借りている風を見ていると、自分を振り返る気持ちになったりするのでした。

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