家
かねて新築中の娘の家が完成、引越しの手伝いにいってきました。
兼好法師は「家は夏をむねとすべし・・・・}といってますが、現代ではこれが自然にたよるだけではなく、ハイテク仕様、高機密、高断熱、オール電化という家、これがいいのかどうかはわかりませんが、
かって家というものは、ハレというものを重視、ケがどちらかといえばないがしろにされていました。当人たちの考え方なのでしょう、まったく家族のための生活の場、ケを重視した家になってます。
ただ砺波地方では伝統的な枠のうち作りがあります。それは玄関をはいったばかりの部屋で大広間でハレの場でしか使わない部屋でした。その作り方を居間というか、リビングに応用してみました。それが1の写真です。杉の梁をそのまま見せ、天井は高く、横物といわれる大きな横板がデザインになってます、その木の間は白壁です。柱は5寸5分、16センチあります。この部屋が10畳、よこのダイニングは20畳ですので、全部で30畳、
こんなわけで和室は親の意向を汲んでかろうじて作りましたっていう体のもの
リビングとダイニングをつないだ空間のなかに、デザインのポイントなのか回り階段、
わたしの感性の及ぶところではありません。伝統的な兼好の家観、夏をむねとして、軒を深くとり、障子越しの陰翳を楽しむ、床の間におちるぼんやりとした光、そんな家をあらまほしいと思っている私にはう~むとうなるばかり
ケのみを重んずる効率的な家、そんなんじゃなく、無駄がいっぱいあり、それは無駄というものではなく余裕というものであり、ひいてはそれが文化を生む土壌になるのです、などというのはごまめのはぎしりというものでありましょう。
ケとはいえ、効率一辺倒ではなく、飾る意識も大事ですと、こうなりゃ私の出番、
この写真は玄関を入ったところの正面に、檜の板を台に作ってもらいそのうえに大きな鉢がのってます。わざと割れたように焼いてあります。40センチはあろうかという鉢、このブログにきてくださってる谷口幸夫さん、つまり鬼さんの作品です。額は長谷川塑人さんの花をモチーフにした丸い陶板を額にしたものです。
本人たちは全然喜んでいないんだけど、家というものには神さまをおまつりするのが当然と、神棚も据えてもらいました。神様、あるいはよりしろいうものがないと、守られない、守られていることに感謝することを忘れてしまう、などというのは私だけの感慨なのでしょうか。


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