月見の思い出

十五夜の月が煌々と輝いている。屋根の瓦も白く光っている。お茶では月見茶会がさまざまに開かれているだろう。月見の設定は比較的やりやすいし、情緒たっぷりでお茶を演出しやすい。

月見の茶会と言えば忘れられない茶会がある。
娘が高校一年生の夏休みも終わろうという日に一緒に風呂にはいったら、体に細かく点状のぶつぶつが、痛くも痒くもないという。すぐに医者に連れて行ったら、皮膚科のお医者さんであったけど、私のところではむつかしい、すぐに総合病院にと。そのままの入院であった。わけがわからないまま、それから160日あまりの入院生活になったのでした。

其の前に友より、月見の茶会に招かれて、其のときはそんな事態など予想もできていなかったから伺いますとの返事。茶事といえば、返事をすれば必ず伺うのが筋、断れば相手に気を使わせるし、当日招かれた人にも迷惑かかると、気のすすまぬことであったが友の家にいったもの。
蝋燭の光の中で亭主はせいいっぱいのもてなしをして下さったのだけれど、娘を思えば涙がにじんで、でも心の動揺を押し隠すのに目一杯。どんな茶事であったか記憶もない。
帰り道、月は煌々と輝き、やさしい光を投げかけていた。でも車運転しながら事故を起さぬようにと気持ちは張り詰めていたけど、涙があふれてしかたがなかった。あの月の光は今でも思い出せる。

そんな月見を過ごしたのだけれど、その後何年も月見のお茶だけはしたいと思ったことがなかった。10年以上たって、元気になって無事大学生活もおくれ、社会人にもなり、結婚もし子供も授かった。

月をみるとつらい思い出がよみがえた月日もおだやかに過ぎ、こうなってみると月に感謝さえしたい気持ちになり、月見の茶会を実施したものである。十三夜に十三夜を詠んだ俳句
      まゆなべのほのかに温し十三夜   前田普羅
をかけてそんな時間にあわせて月見の茶事を実施したこともある。
其のときに来てくれた友は絹の機やさん、自分に合わせてくれたかと喜んでくれたもの。

月というのは、本当に毎日、毎月、さまざまに形を替えて現れるもので、それそのものはただ月である。それを見る者の心の投影で、温かいと感じたり、冷たいと感じたり、それは当たり前のことだけれど、何かがあるとそんなことを実感するわけである。

「十三夜」というのは樋口一葉の作品なのだけれど、とても好きな作品である。美しく生まれたばかりに望まれて金持ちの家に嫁いだ女性が、婚家で其のうちに冷たい扱いを受け、思い余って実家に戻ってみれば、年置いた親が婚家から金銭的な援助を受け、辛抱してくれと泣きつかれ、泣く泣く婚家に戻ろうとするのだけれど、その人力車を引く車夫が、かって一緒になろうと約束した人で、翻意して女が嫁いだあと、身を持ち崩して車夫になっていたのに偶然乗り合わせたもの、空には十三夜の月が・・・
という話であった。

ままにならぬは世の常、そしてしみじみとした心の二人をあわく照らすのは月、ままならないままの人生を肯定するわけではないけど、等しく月の光だけはかわらず指している。

文学作品で月はさまざま歌われている。ありきたりと思うこともあったけど、やはり自分が月に慰められたり、月を特別にと思う経験をすると、月見の茶事はやはり力がはいります。

思うにただ単に趣味的な月見、高踏的な趣味の茶事と思っても、そこにいらっしゃる方の心まではわからない。

心傾けて、真剣に月見の茶事を実施したいと思う。

本当に月が美しく輝いている、そして虫のすだく声が響く。
今年は月見の茶事を実施する予定はないけど、あれから23年である。
15年くらい月見をまともにできなかった。今はしみじみと美しいと思うし、わけもなく感謝したい気持ちである>

娘の恙無い健康を祈りたい。

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教わる

「時代小説の愉しみ」隆慶一郎 講談社
の中に、「失われた名演説」というコラム部分に

辰野隆先生の定年退官の時、弟子代表として、小林秀雄先生の挨拶があった。これはその時その場に立ち合った者しか知らない、失われた名演説だったと僕は思う。
 演説は僅か数十秒で終わった。冒頭の名台詞は今も鮮明に記憶している。
「真の良師とは弟子に何物かを教える者ではない。弟子をして弟子自身にめぐり合わせる者である、とは、周知のようにソクラテスの言葉であるが・・・」

そんな一節がありました。良師のおかげで自分自身にめぐりあったかは、銘々が自分自身に問うことであるとされているのですが、常々、たかが趣味のお茶であるけど、先生から何を習ったかを自分に問うていたので、はっとした言葉であった。前に先生からは何もならっていないともいえると書いたことがある。点前をならったのはなにほどのことであろう、もっと深いことを習った、教えていただいていると思いつつ、それをどう表現すればともやもやしていた。

すごくすっきり気持ちのいい言葉にめぐり合えた、なんとそれはソクラテスの言葉であるとか、遠い昔から良い師というのは、弟子自身が自分にめぐり合える、自分を考えるように導いてくれる人であったのか、

ささやかなお茶を通して、自分を掘り続けたいとはいつも、何度も自問自答していたこと。それは自分自身に会うことだったのだ。つまりは自分とはを探るというか、自分を規定する旅だったのねと、よい言葉にめぐり合えて嬉しい。

38年も先生の傍にいて、何をならってきたのだろうと考えるとき、その存在そのものから大きな教えを受けていることに思い至る。それは自分を深く考えるということでもあるのだね。

自分を深く認識できれば、それでいいんだと思う。

教えていただいたことども、何もないと嘯いたこともあったけど、つまりは自分がどう生きていけるかをお見せすること、ずっと道を歩け続けること、それだけなんだとなんだか気合ぬけたような、それでいて深い内容に思い至っている。

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習うということ

私のお茶の先生、昨年大病をなさってあわやと思ったこともあった。無事生還なさり、前と同じく稽古を再開され、ずっとかわらぬ日常のように思っていた。

私達の教場は非常に内向きの教場で、大層な発表会のような茶会などはほとんどない。大寄せの席主を勤められることもなく、地味な教場である。先生は毎週の稽古がすべてと考えていらっしゃり、稽古ではあるけど、毎週の設えはほとんど数寄と思しきものであり、それなりに緊張感もあり楽しい。稽古というか、毎回茶を点てて飲む、それがすべてという考え方なので、先生自身も80歳にもなるのだけれど、毎週隣の県の教場まで通っていらした。何十年になるだろうか、動ける限り、師とした先生のところに通い続ける、それが習ったものの勤めですから、といつも言われていた。

病気を癒えられたとは言え、年でもあるし、気力は萎えられたように思う。聞いてみた。「先生、お稽古にいってらっしゃいます?」「体もしっかりしたように思っても電車でいかなきゃならないし、まだ休んでいます。でも入院中も今もずっと月謝はお届けしています。友達にお金を送り、そのかたから先生に届けてもらっています。伺えるようになれるかどうかわからないけど、ずっとそうするつもりです。」とのこと。もう一年もたつのである。

気力萎えられたと感じ、あまり新しい難しい点前はしないようにして、でも先生の家に伺えることが嬉しく、ずっと続けて欲しいと思っている。

昨年入院された時に、私達弟子が届けた月謝はお返しされたのに、先生自身は行こうが行くまいが、自分が師と頼んだ方、できうるだけ月謝は払い続ける、本当に清清しい考えではないか、

本当に内向きの先生で、今となれば点前に関してはそう新しいものを習ったりはなくなった。でもその生き方、考え方の一端に触れるとき、まだまだ習うことのなんと多いことかと思うのである。

こんな考え方が先生の自宅でも満ちていて、入院してらした間に用事あり自宅にうかがったら、茶室はきちんとすぐにお茶を点てられるように用意してあったものだ。お嫁さん曰く、「おかあさんの思いがありますので、この部屋だけは必ずと思って準備しております」とのこと。

習うというのは、実にその人の人間についていくことなのだとしみじみ感じる。

まだまだ元気で私達を導いて欲しいと切に願っている。

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かるみについて

開店休業に等しかった「風天庵待合」,覗いて見れば月日のたつのは早いのね、驚き。ブログはMIXI内でも書いている、そこにコミュニテーがありお茶に関してのコミュ「お茶しま専科」に参加していた。幅の広い、暖かいコミュで居心地よく交流させていただいていたのだが、管理人さんが家庭に事情かかえられ、運営できなくなったとのこと。急遽管理人を変わって欲しいと言われ、とんでもないとお断りをしていたのだが、事情が事情だけに無下に断ることもならず引き受けてしまった。現在会員数303人!コミュを運営していくのは大変なことと義を見てせざるは・・・と助っ人をして下さるかたもあり、まことに内容の深いコミュになっている。

お預かりしているという意識があり、なんとなく頑張らなきゃという思いで気持ちがそちらに傾き、自分のつぶやきはそっちのけであった。講師陣は申し分のない人たち、内容は濃いと自画自賛している。

コミュに参加されてるかたは多いけど、実際にコメントを寄せてくださるかたはなかなかいらっしゃらないのですね。自分のブログの中では雄弁でも、しり込みなさるかたがとくに女性に多いように思う。会員数は多いのだから、ブログに発表したことは多くの皆さんに見てもらう機会になるのに、正しいことを言わなきゃというものでもないのに、ブログってちっちゃな自分の庭で、安心していられる場所なのかもしれないと思う。少しでも広い場所に出てみれば、世界も広がるのにと残念な思いである。

ところできょうの御題は「かるみ」である。
一つのことを進んでいけば、それなりに中味は深まってくる。それを精進と言う言葉であらわすとすると、精進し続けると、中味は濃く、重くなってくる。それが目標みたいに思っているけど、そうでもないことに気付いた。

友の茶会に参加した。何十篇も彼女の茶会には参加。工夫のしかたや、彼女の心のありようをずっと見続けてきたと思う。何十年もの間の変化である。年々頑張っていったと思っていた。道具もまあ立派に揃えてと頑張りに驚嘆していたほうが多い。

若い時は頑張りが美しいと思えた、というか、頑張るしかなかった。でも年を重ねてくると、現実の生活はなかなか重いものを抱えるようになる。家族のこと、仕事、たんなるお茶ということで片付かない会という組織の問題、付き合いの範囲が増えることでの気持ちの軋轢、地域でのもろもろの付き合い、一つづついくしかないのだけれど、その重さたらや相当なものである。いわゆる娑婆の義理にぎりぎりに縛られていくのですね。しかも前の世代の介護、看取りと言うなんともせつなく大変なことも抱え込む年になってしまう。

するとお茶なんて頑張っているどころではないのですね。その時に気持ちを集中してとにかくやり遂げるにひとしくなってくる。長い時間、あ~でもないこ~でもないとこね回している余裕がなくなるのですね。するとどうなるか。ここが何ともお茶が軽くなると感じたのです。長い時間をかけて、すでに心の中で発酵しているのでしょうね。それをあ~だこ~だといじくりまわさないでおくと、醗酵している中味がすっと表にでてきたというものではないかと思ったものです。

この道や 行くひとなしに秋の暮れ

というのは芭蕉の俳句で、ついにいたった厳しい俳句の奥地なんていわれているけど、じつは実際は軽い、余裕というものではないのかなと思ったものである。

「かるみ」というのはなんとも明るい余裕ということであろうけど、じたばたを踏まえた上で、一点集中する、そこでの気持ちの集中という一切のものを放り出す、余裕のない、自然放下からうまれるものじゃないかなと思ったものである。余裕のなさが余裕を生むとは随分矛盾しているようだが、余裕はないけど中味はじっくり発酵していたときに生まれるある主の美しさ、それがかるみになって現れたと思ったものである。

箱書きに頼らないというのは、じつはなかなか難しい、箱書きがなくてもその美を自分のなかに消化できなきゃならないし、それをそこに出すと言う結構な勇気も必要かもしれない、なによりも対価が恐ろしい。

それをさらりとそこに投げ出したときに、軽いと感じられる。

かるいということは結構大変である。でも長い時間、習練を重ねてきて自己のなかで発酵させることができればかるいという境地にいたれそうである。でも本人は人生の中で一番大変で、一番重い季節の中にいそうである。そんな重いものの中に沈潜していて、初めてかるいということを表わすことができるのかもと思ったものである。

ひさしぶりにゴタクをならべる余裕がでてきた。人からの預かり者は大事にしなきゃと思うものの、やはり自分だけの息使いではないのですね。中味が深い、人がたくさんいらっしゃると思うと緊張感がでてきて、書き散らしている文の中味はちっとも深くはないのだけれど、コミュとは違う楽さ気分の中で書き散らしている。

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水指のこと  5

水指で見立てというものがあります。もともとは雑器として焼かれていて、普段の生活必需品であったものが、茶人の目にとまり、水指として転用されたものです。典型的なものに種壷があります。腰につけて種をまく時にぶらさげていたもの、種壷として珍重されています。実用品ですので、丈夫でしっかり焼き〆てあり自然釉がかかっているものなど、小間の茶席では水指一つ置きのものとして人気あるところです。

野卑ではあるけど作意のない力強さにあふれている焼物に、茶陶として焼かれたもの以上の力がわびという美意識にかなったものです。もちろんもとの作品がありますので、それに似せたものは焼けるはずです。しかし、名もなき陶工が実用品として作ったもので美しさを意識したものではないはずですが、茶人の心がその上にかぶさると茶陶では見出せなかったわびとかさびとかの美意識の具現化したものになる。今それに似せたものを作ってもらっても、もとのものが持っている美には及びません。

これはもっぱら茶人の心入れがそういうふうな美の表現として認定されたものです。作品そのものの力は勿論あるのでしょうが、もっぱら美を見出す茶人の思いの積算かと思われます。汚い古いもとはタン壷ではなかったかなどと冷やかされながら、茶陶の持っていない、野卑な力強さが時代にあらわれて、いまやわびの権化になっている。これは作品そのものではなく、思いの積算であるとすると、現代の陶工の人が力をこめて作っても時代では及ばない、かなわないということになってしまう。

どれだけよいものを作っても、使う人の思いの積算が作品であると言われれば、いかんともしがたい、どうすりゃいいのだという作陶家のかたもいるわけです。

作品そのものではなく、思いの積算、そんな物語が道具だとすると、作る側のひとが何を目指せばいいのかと悩まれるのはもっともだと思います。

お茶の道具にはもちろん誰がみても素晴らしい、いわゆる客観的な評価ができる美しさもあるけど、さらにものが持っている物語があり、またさらに取り合わせということになると、水指として作品としてとても素晴らしかったとしても、どうにも不満は残る、一体どうしたいと作る側の人につめよられそうだけど、それをわがままと言えなくもないけど、使う側の美意識にかなっている、いないというしかない。

つまりはどんなのがいいのだには答えがないと思うのです。

好きという範疇でしか表現できないのだけど、美意識なんて、その人の持っている経験、知識、思い入れ、などなどから、生まれたもの。

見立てにまで広げると道具の幅がさらに広がり、亡羊とするけれど、だからこそいよいよ深みにはまっていく感じがして、さらに掘り下げたいと思うのです。

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水指のこと  4

水指は今の時期からは水を感じる表面が広いものが涼しげである。ゆったり大きくあいた当然高さは低い水指は、いかにも涼しげ。涼しげなるものが、色が青磁色であったり、染付けであったりすれば、さらに涼しげである。涼しげであるかわりに、時期を間違うと間抜け。ところが青磁や染付けって、涼しげであるともいえるけど形によれば非常に格が高くなる。

正月に祥瑞の水指を使ってあるのにあったけど、正月らしい清清しいと感じる人もいるけど、寒そうと感じる人もいた。こうなると感性の問題であるけど、取り合わせで表現するしかない。口の広い涼しげな水指は、色が暑苦しいものでは困る。こうなると焼物の産地の土色の特徴で、水指が決まってくる。作陶家のかた、土味で使われる時期、場所が決まってくるので、すごく意欲的に今までなかったものをと思われても、土味のよさがいかされるという制約があると思う。それが土味優先になるからか、ある土のものは大体こんな形と決まっていて、面白みが欠けるというか、時代で形がほとんど完成してしまっているのではと思うことも多い。

作陶のかた、自分のオリジナルと思われる気持ちはわかるけど、またそんな意欲的な作品を使いたいとも思うけど、実は伝統的なるものを越えていない、伝統を越えるのはいかに大変かと思う。

ところで美術館にあるような桃山時代みたいな作品を実際にみてみると、写真ではいかにも大きいのではと思う存在感があるのに、実物はこんなに小ぶりだったのと思うことがままある。現代作家のもの、広間使いをイメージしているのか、昔のものに比べると大きい。茶碗にしてもそう。昔は多分男の人がお茶をやってることが多かった。現代では女性が多い。にもかかわらず道具は大きくなっていると思う。存在感を大きさでという安易な考えがあるのかな?

こうやって考えてみると、どんな水指が欲しいのかは、時期、使う部屋、取り合わせ、さまざまな要素あってまとまらなくなってしまう。

でもあまりに思いに相応しいものは、今度はあまりにつきづきしいというわけで、破調を求めたくなるとか、言ってることが自分でもわがままでしかない。

水指のことを考えていると、どんなお茶をしたいのかということに思いをいたすことになっていく。

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水指のこと  3

我が家で茶事した折にいらしたかたで工芸家のかたの話。この人は金沢在住。金沢は仙叟が茶頭として招かれて録をはんでいたことからも、茶の歴史古く、また加賀百万石の細工所も作られていたこともあり、工芸の中味もそりゃ深く歴史もある。

金沢では色々と茶会も催されているし、月釜も色々かけられている。工芸家のかたの話では、この人は蒔絵師さんで加賀蒔絵の伝統をしっかり受け継いでいらっしゃる、お茶の歴史も古く金沢には立派な道具を持っていらっしゃる方も多いようだ、であるからか茶席の道具は例えば仙叟にゆかりのものを用意されるとすると、それにつりあいを取るように道具の選定をなさるのか、それは悪いことでは毛頭ないけど、道具のあれこれが全部古いものばかりで揃えられることが多い。古いものなら古いものばかり、これでは工芸家の方の励みにもならないということで、近作を使っての茶会という話になって、今度はすべての道具が現代作家のものばかりに統一されることが多いということです。

歴史を踏まえて長い年月修行なさって作られた作品が、現代作家のものばかりで出されるときにしか、茶会では使ってもらえないということに不満がありそうでした。意欲的な現代作家のものばかりの世界だけでなく、個人的な好みとして色々なものと組み合わされて茶席で使われることは作る側としては無常の喜びであると。

私は古い立派なものを持っているわけでもなく、またもし持っていたとしても自分の今にはとても似合っているとも思えない。お茶は趣味の世界であるけど、現実の自分の実感、生活を反映したもう一つの世界、実生活の投影だと思っている。私のささやかな道具は自分が働いて得たもので、まったく自分の今でしかない、つまりはどんなにおかしいかはお茶がおかしいのではなく、自分がおかしいのだと思う。

だから道具の取り合わせは自分の今なので、持っている多少は古いものと、現代作家さんで作品がとても好きで取り合わせたとしても、私の中では少しもおかしいわけではありません。古いというものは、特に焼物の場合、割れないで今日まであるというだけで、なんだかすごいと思うこともあるけど、現代作家さんのもので想像の力が豊かで、創造の力がすごいと思うかたもたくさんいらっしゃる、そして私とたまたまご縁があって、さらに私でも購うことができたという私の思い入れが道具です。

古いものが手に入らないからではなく、古いものも新しいものも、時代が違いますので当然感じは違うけど、自分なりの美意識の中では時代は関係ないと思っています。

時代に洗われた灰汁がとれたような道具の素晴らしさは勿論魅力的ではあるけど、現代のものを時代のものと組みあわせてみると、古いものが輝きだし、新しいものが落ち着いてくると感じることもある。それは新しい発見で、作品そのものが持っている力に付加されたと感じる。そんな体験ができれば嬉しい。

古いものと新しいものを本人なりに組み合わせると、その本人が浮かび上がってくる、とっても楽しそうとは前の蒔絵師さんが仰った言葉。

水指にしてももしたまたま古いものでそれなりのものが手にはいったとしよう。それはとても嬉しいことであるけど、他の道具を制約するものではないと思う。

道具の取り合わせ、部屋の大きさ、時期、さまざまであるけど、道具の格は固定されているものとは思わない。どうにか自分の世界を現したいと思っている。

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水指のこと  2

私の茶室は4・5畳。一番標準的な大きさであり、小間であり広間でありというところでしょうか。都合によって小間としての使い方をすることもありますし、広間としての扱いをすることもあります。

教場を開いていらっしゃる方の部屋は多分8畳が多いと思う。小間のお茶の稽古もできるけど、いわゆる七事式といわれる稽古は8畳でないとできないから。稽古に行くと広間ですね。お茶の稽古は個人教授ですので、次々くる弟子の稽古は薄茶の人もいるだろうし、何十年も稽古に通っているので、さまざま複雑な稽古をする人もいる。

水指一つ置きというのは勿論あるけど、都合がいいので棚を使うことが多い。また現代の大寄せ茶会事情では、参加者が多く、一席に何十人もいれる。当然部屋は大きい。大きな部屋を二つも戸を開け放っての茶会では、間がもたないこともあるし、席入りして何も飾り付けていないのは、大きな部屋がいかにも間抜けに見えるという事情もあり、棚を飾り付けてあることが多い。稽古、茶会どちらも棚を使ってということが多い。棚の種類はさまざまである。好み物として家元もたくさん発表されるので、実にたくさんある。それぞれに使い方は少しずつ違ってはいても、下には水指だし、上には棗を飾るわけだし、扱いは多少違っても基本は同じ。

さて棚における水指であるけど、勿論棚に収まることは当然としても、湯杓を棚板の下に斜めに差し入れることが必要なので、高さがあると使えない。斜めに湯杓をいれるので、口が小さいとまた使いにくい。湯尺は炉用と風呂用は当然大きさが違いますので、炉用の湯尺を使う時期にはそれはなかなか使いづらいです。炉用の湯尺がゆったり仕える水指は、棚にはごついと感じることが多いのです。そんな場合は、風呂用の湯尺を転用したりします。棚を重視するか、季節(炉か風呂か)を重視するかの問題になるかもしれません。

棚には桑卓のような高さばかりがあって、板があまり大きくないものは、また細い高さあるものが必要になります。これも口に湯尺がはいるかが問題のなります。

作られるかた、大きさ、棚へのおさまりは気になるところでしょうが、また棚に飾られてまずは部屋に飾られているのは、亭主が出ないさきに存在感が必要ですね。この存在感を求めてちょっと大きくすれば存在感があると勘違いかもという場合もなきにしもあらずです。

大寄せ茶会で客が非常に多いのに、ちんまりとした水指では水が足りなくなるということもあったりします。

私の好みとすれば、あまり大きくないほうが好きです。釜が割合大きく、丸っこい形のものならば、水指は丸い感じではなく、すっきりした高さを感じさせるもののほうがバランスからいって好ましい。釜が高さを感じさせるものなら、たとえば甑口なんかだと、丸っこい高さないほうがいいように思う。

きちんとしたすっきりした大きさがまことに合っている水指は使いやすいし、気持ちいいけど、あまりに合っていると目立たないというか、そこに埋没してしまって存在感を醸していないと感じることもあります。

存在感というのは大きさではなく、その水指が持っている、あるいは醸している力が発現しているということだと思うのです。作った人の力量がにじむというのかな。ただしその力に亭主がまけてしまっているのでは、まことに恥ずかしい。お互いの力量が拮抗していると感じるのは、清清しい。さらにお客様にそれを感じさせない余裕ありと見えれば言うこともなし。

どんな大きさが使いいいのかと聞かれることもあるけど、使いやすいように工夫をこらしていくのも亦楽しいかも。

作られるかたは水指として考えられるのはまことなれど、使う側は水指だけが突出しているというわけではなく、全体の一部ではあり、気持ちを乗せることができる道具、

作られたものの中から選ぶのではないかな。注文で作ってもらっても、それがただちに自分の分身にはなかなかならない。大きさだけの問題でないことは事実です。

ただ棚という縛りがあることを考えて作られるといいのかもしれません。

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道具取り合わせ  水指のこと1

水指のことにつき尋ねられたこともあり、少し自分の考える道具のありようとして考えてみたいと思います。自分の考えることだけであり、きちんとした約束にのっとっていうことではありませんし、正しいとも言えません。私の考える、好きなお茶ではということです。

今日のお稽古は「鴬点て」でした。教則本にも載っていないちょっと洒落た草の点前というべきかも。

指は運び出し、しかも水指の上には袱紗を鴬の形にたたんで持ち出し、点前には鴬の谷渡りとして部屋の隅狙いまでにじってまわるわけ。運び出した時には水指一つ置きのようなものですが、点前にはにじる、まわる。当然大きすぎるものは無理です。さらに亭主と客の距離は相当近くなります。
さらに薄茶ではありますが、教則本にも載っていない手馴れた人同士の時期に応じた応用というべき点前。

こんな点前に使う水指は大きさは、手ごろであまり大きいというだけでなく、庭に鴬も鳴きました、そこでちょっとお薄をという次第ですので、使い込んだような手馴れた形もそう変わっていないほうがいいように思う。稽古場では田山方南の飴釉に近い渦巻きの紋様があったもの。筒型であった。

鴬点てでは、水指は置きとしての役割もあるけど、谷渡りと称して部屋の隅狙いにまわるので、当然運びの役割も。置き水指の存在感と同時に手馴れた同志の軽いお茶なので、軽やかさもあったほうがと趣は分裂した思いを同時に満たしてくれるような水指であってほしい。

絵の描いてあるような派手なものは遠慮したい。鴬が蓋に乗っているので、蓋は一文字であらまほしい。手馴れた点前ですので、あまり若く感じるはつらつとしたような焼物は遠慮したい。さらに軽いお茶なので、ここ一番みたいな立派な水指も遠慮したい。

こんなこと考えていると面白いのだけれど、実際は持っているものの中での選択なのでいまいちだわと思いつつ妥協。

実際の茶会では持っているものの中でのあれこれ、そんなにあるわけでもなく、こんなのがあればいいなのたわごとであります。

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金沢なるところ(一座建立ー工芸家と茶人の続き)ミクシーの転載

かって五木寛之は、自分にとって「金沢は怖ろしい町だった」と書いているそう。しかもそれを知ったのは。住み慣れた金沢を離れ、講演で関東のある地方都市へ出かけた時のことだったとして、さらに次のように書いているとのこと。
「そこでお茶が出た。ごく普通の茶である。だが私はその茶を一口飲んで、なんとまずい茶だろう、と感じた。次に、出された菓子を食べ、その砂糖のしつこい甘さに閉口した。<いやな茶碗だ>と、私は思い、そう思った自分にひどく驚いた。東京にいた頃はプラスチックの茶碗を何とも思わず、菓子といえば今川焼きか追分団子が一番うまいと信じていた私である。」

つまり、ここで愕然とするのは、いつのまにか金沢が「私を犯していた」という事実に、五木自身はじめて気がついたからであった。風土的な影響、ここでは金沢の、もっとも顕著な一例を見ることができよう。
(「北陸名作の舞台」より「朱鷺の墓」の部分)


先日の茶事のおりの正客をしていただいた蒔絵師のかたは、「加賀藩細工所」の流れをひく蒔絵師さんである。

五木寛之の金沢という風土が人間にどう侵食しているかということが、前に頂いた手紙のあとに、さらにいただいた手紙に色濃く現れているように思う。いかにも金沢というか、金沢なるところがよくわかり、その深さに驚嘆したので、さらに私信であるけど載せたい。


前略
 また筆を継がせていただきます。ご無礼をお許し下さい。

茶の湯の事は不勉強でして、何も存じ上げないに等しいのですが
お茶事の夜咄はそれとして夜の茶事も色々にあったように思われます。季節を問わず灯火一本のもと かすかに煌く光は、漆も土ものも唐かねも金銀の閃光であり、水指の水面、茶碗の闇に浮かび上がるやはらかなまた炭火にみゆる生命の原点に在る色だったかもしれません。

見ることから離れ、姿(お点前)から離れ、人の五感の交わりごとをもってなされたように思っております。

動きなき時の気配や呼吸 絹ずれ 松籟 ゆこぼしの音、お手だけ見ゆるお点前の闇に浮かぶ掬われた茶 茶筅ずれの音
闇に走る主客の眼光 立ち上る香気など

見ていたときに観えなかったものが顕かに浮かび上がる深い交歓の一刻
手達であればあるほどに深まるものが大きいものかもしれません。
武士の茶の一隅であったことでしょう。
全て不出来な正客と反省しきりの今日です。

お濃茶の一服のお茶碗を手にした時、両手に戴いたとき、一切見えずともお焼や様々なこと、充分にお察し申し上げたくてご亭主とやりとりができましたらより一層深いやりとり(言葉でのはなし)が可能なのだろうと実感しておりました。

あまりに見る事ばかりに頼る今日にあって、見えぬ時に観る事こそ肝要と全く幽玄な一刻を持たせていただきました。
お礼を申し上げたく墨を重ねさせていただきました。

                 草々  再拝
                        ○○○

夜のしじまの中での黒茶碗、肌合い、海の中、
すべて五感で味わうべきもの
それを亭主の私が色々いいましたことどもが、余計なことであったと反省しております。
見るから観ずる世界に。
五感をとぎすます、夜のしじまの茶。

まさに五木寛之が金沢から知らずうちに、受け取っていた深い金沢なる世界、金沢で生まれ、育ち、工芸の世界にいらっしゃるかたには、本当に色濃く精神的な世界を深めることを私自身習ったと思っています。
本当に茶の世界の深さを再認識しました、今回の経験でした。
いつまでも心であたためております。

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夜咄の茶事(撫子さんのページより)

中立ちで元の待合席に戻り、暖を取ったり話をしたりして鳴り物を待ち受けていたのですが、やがてご亭主が自らお迎えに。
お茶室が遠くてせっかくの喚鐘の音が届きませんでした。あせあせ(飛び散る汗)


       写真

      後座は掛け物がはずされ、床の中央に石菖鉢が
      置かれていました。
      後座の空気を清める働きがあり、ご亭主は苦心
      をして整えられたそうです。


       写真

      続き薄のお点前で濃茶・薄茶と進んで、薄茶は
      幾つもお茶碗が用意されて好みのもので2服も
      いただきました。


       写真

      マイミクのザビエル鬼さんの筒茶碗が紅一点で
      華やいだ雰囲気を作っていました。
      あんな綺麗な赤はどうして発色するのでしょう。


       写真

      珍しく棚使いでしたが、なんという棚か忘れました。あせあせ(飛び散る汗)

       
      充分に懐石とお茶をいただいて、眼福もものにして
      待合へ戻ったところでご亭主から課題が出されました。

      軸装された白紙の掛け物に、何かを書けという
      難問が。。。

      さぁ困った。がく~(落胆した顔)絵心も字心も無い自分。ふらふら
      何か有りそうだとは思っていたのですが、まさか
      達人たちと同じ土俵で末席を汚すことになろうとは。

       
       写真

      まず木工作家のH氏が絵筆をとってメインとなる
      石菖鉢を中程にさらさらと。

       写真

      次々に促されて、マインドコントロールをされた
      ように書いてしまいました。

       写真

       
       写真

      最後にご亭主が名前をしたためて完成。exclamation ×2ぴかぴか(新しい)


       写真

      見事な合筆が出来上がりました。

      ひとしきり話しに花が咲いてなかなかその場を
      去りがたく、また何時の日かお目にかかれることを
      約してお宅を辞したのは午前零時に近い時間でした。


      茶の湯を語れる方々と一堂に会して三刻をも共にした
      得がたい機会を作ってくださった蜆子さんに感謝、感謝。

      蜆子さんはここを見てくれるでしょうか。
      お知らせしておこうっと。

      まだ書き足りないことがありますが、言葉を尽くしても
      臨場感は表現しきれません。
      昔興に乗っておこなってみた夜咄の小道具をひっぱり
      出して、私も試みてみたい気持ちが起きてきました。

      カレンダーを広げてみるのですが、なかなかその余裕は
      ありそうにもなく・・・。涙
      忙しい中からこれだけの準備を整えられた蜆子さんに
      大いに敬服の意を表した節分の日でした。

      蜆子さん ありがとう。揺れるハート




       
      


      
       

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夜咄の茶事(撫子さんのページより)

2月3日、節分の日に蜆子さんのお茶室へ夜咄の茶事のお招きを受けました。
蜆子さんとは敢えてマイミクのやりとりはしておりませんが、学生時代を共に過ごした同期の桜で、卒業後もお茶を通じて生で長~いおつきあいがあります。
mixiはお互いに勝手に見たいときに訪問しあってコメントを書いたりしております。ウインク

蜆子さんは並々ならぬお茶への意欲の持ち主で、毎年何度かお茶事を催して招いてくださいます。もう何十回お招きを受けたことでしょう。

今回は是非夜咄に挑戦してみたいとお聞きしたのがもう半年ほど前だったでしょうか。きっと心に閃く何か素敵なものが手に入ったのだなと私は密かに想像をめぐらせておりました。

蜆子さんに代わって、お客の立場で彼女の渾身の茶事のレポートをさせていただきます。写真掲載は蜆子さんの許可を受けてあります。

さて当日は午後5時半の席入り。
早めに到着された男性二人と私を含めた女性三人、それに蜆子さんのご子息が加わってお客は六人でした。
いずれも巧者の面々、緊張が走ります。


       写真

      まずは待合で生姜湯をいただく。
      マイミクのとくさんの器は柔らかく、それでいて
      口べりが薄くまことに呑み安い湯のみでした。


       写真

      節分の日とはいえ、極寒の寒空、廊下に湯桶を置いて
      蹲を設えてありました。


       写真

      お客に寒い思いをさせないために、室内で手燭の交換。


       写真

      入席後前茶がふるまわれる。
      「おもあいで」と六人が2碗の薄茶を分け合って
      いただく。

       
       写真

       お炭手前。
       灯火の明りのみなので、炭がことさら暖かく
       感じられる。


       写真

      香合拝見。もう少し明るいといいのになぁ~。
      利休さんの時代は不自由だったでしょうね。あせあせ(飛び散る汗)


       写真

      やがて膳燭が持ち出され、懐石が始まる。
      静かな会話が行き交う。


       写真

      中立ちで名残に掛け物を拝見してフラッシュをたいて
      写しました。遠州流小堀宗中の書。目


       写真

      そして芦屋釜。
      釜に短冊の型があり、文字があるけど暗くて読めない。
      明るくても読めない。あせあせ


                その2につづく

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お客様と楽しんだお茶

22日横浜から中村やダン之助さまご夫妻が、富山に「海王丸」の展帆ボランテアにいらっしゃるにつき、我が家でのお茶を所望、さらに本人も我が家で点ててみたいとの所望。そこで茶室を設えました。

Dscf0048 25日は「中秋の名月」 季節はやはり月見、

待合として座敷に月の絵をかけました。本日のテーマは月見ですというわけ。

Dscf0052 お客さまがお茶を点てたいとの所望。お客さまはお茶を習い始めて半年。略盆点てで薄茶ということで、広間をそんなふうに設えました。

 まゆなべの ほのかにぬくし 十三夜   金尾梅の門

お客様がいらしたのメインが23日、ちょうど十三夜です。

Dscf0067 Dscf0061

車軸の瓶掛けに手取り釜、珍しがっておられまいした。

棗 初代西村松逸  平棗 色紙蒔絵秋草の図
茶碗   長谷川塑人  銅彩 葡萄の図

向こうに薄に月見団子のお供え
月見団子は、当地高岡の祭り(5月1日 御車山祭り  秀吉拝領の車を山車にして練り歩く、)にちなんだ 山町筋という丸金つばで。
菓子鉢  鬼さん作成、菊の図 

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本席の掛け物

頼山陽  「鳥声」という七言絶句

香合  月にひかれて牛にのった佳人が、笛をふきならしている図、

頼山陽の詩は、朝あけてみれば、秋の嵐にふかれ庭は落花狼藉、暁煙のなかを鳥がするどい声でなき、気持ちがしゃんとするといったような、秋の朝の気分を歌ったもの。

十三夜の夜から朝までの時間の流れを今回の月見のテーマとして表現したつもり。

Dscf0065 本席  時代鉄風呂  宮崎寒雉5代 尚行作(ちなみに現在の寒雉は14代)

柏の絵の時代の風呂
水指、 鬼さん作  有情賛歌
ブログにきてくださって知り合いになった人、是非紹介したいと思ったもの。

茶碗  石黒宗麿 天目釉茶碗
宗麿は新湊出身、お客様は新湊にいらしたもの、そこで紹介したいと思った。宗麿は富山県が誇る陶人、人間国宝に選ばれている。

茶入れ  朝鮮唐津

Dscf0058 Dscf0059   

主菓子、月見
葡萄蒔絵沈金大平

干菓子  すずめ 稲穂  金沢金箔

Dscf0064 お茶は楽しんでいただいたよしよかったです。

中秋というのに、なんとも暑い。冷たい果物をどうぞ。
とくさん作の薄の絵の皿です。
お客様は着物持参でいらっしゃり、緊張して点前をなさっていた。
なれた茶人のかたとのいっかいとは趣の違う楽しい一時でした。

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懐石料理

なにげなしについているテレビをみれば、「あの人は何をたべていたか」という番組、足利将軍の,義政をとりあげていた。興味につられて見たのだが面白かった。足利義政、応仁の乱をひきおこし、以後戦国時代を招来し、政治的にはあまり能力がなかったとされている将軍であるが、今日の座敷やさまざまな文化の元となった東山文化の推進者であり、銀閣寺を建てた人としても知られている。非常に文化のセンスの高い人であった。

その時代の将軍というのは、江戸時代の将軍のような地位が確立されてはいず、管領という人もおり、かく小大名の糸を結び、地位を安泰にするのに、ほとんど食事を介在したコネ作りが義政の政治のほとんどであったということらしい。

応仁の乱の端緒になったのも、訪ねると約束した大名の家に出向かず、他の大名の家に出向いていたということで、応仁の乱になった直接の動機だったと伝えていた。

そこで食事に出向く、そのご馳走という品数は、その料理人をつとめた子孫の家に伝わる伝書によれば、17献までもあり、ゆうに100品もあったとのこと。これが仕事だから、ほとんど毎日政権を安定させるための贅沢な食事の日々であったらしい。もうあきあきして、自分が好んだ食事というのは、湯漬けであったとのこと。さてその湯漬けというのは、姫飯を水洗いしてねばりをとり,さらさらにした飯に昆布、しいたけを一晩つけてとった出汁をかけた贅沢とも思える湯漬けであったとか。

昆布やシイタケからの出汁をとり、新鮮な野菜の素材のおいしさを、食事としてしておいしいという状況にしたのは、義政、そして禅宗のお坊さんであったとのこと。それまでの時代というのは、素材のおいしさというよりも、乾物にしてものをいただくということが多かったらしい。なによりも出汁をとるというのはこの時代になってのことであり、さらに、食べ物にあれやこれやをいうのははしたないこととされ、食べ物の追求ということがおおっぴらにされたのはこの時代であったとのこと。

それが今日の懐石料理の起源らしい。食べ物というのは、素材の命を戴くということであり、食べるということに非常に意味を見出していったようである。

懐石料理というのは、素材の命を戴き、自分の命として消化する。そんなこともあるけど、空腹をごまかすために温石をかかえる、そんな粗末な食事、あるいはおなかのすく料理ではなく、非常に哲学的な意味をこめているなということ。さらに、贅沢な17献もある100品ものこの世の贅を尽くしたあとの簡素な食事であるということ。つまり、豊かのはてに到達した貧ということであったことをあらためて勉強した。

円満具足の欠けたるところのない完璧のはてにいたる、欠けた、粗末な、満ち足りない食事、それが懐石料理。

日本の美意識にぴったり符合することに驚いたものです。

懐石料理をお出ししようとすると、もちろん私の料理下手もあるけど、なにか違うと感じていたのは、完全を味わいつくしたあとの質素、つまり余裕がないので、私が作った料理は惣菜から前にでないんだなと納得してしまった。

料理ではあるけど、やはり日本の伝統的な美意識が外に現れているのが懐石料理なんだなと思ったのだった。

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閑不徹

Dscf0065 知り合いの書家の方に書いてもらったもの。

雲在嶺頭閑不徹
水流澗下太忙生

の句の一部。「破れ虚堂」の墨蹟で名高い南宋末の虚堂智行った説法の終わりの一句だそう

「雲は嶺頭に在って閑不徹、水は澗下に流れて太忙生」
「数辺の白雲が嶺の頂にぽっかりとかかっているが。悠々として動かず閑静其の物である。これに対して渓川の水は一瞬の休みもなく。サラサラと音をたてて流れ、まことに忙しげである」ということになる。

景色として考えれば、雲の閑ないし静と、水の忙ないし動とを対置して、大自然の円満な真理を説いたもの

景色として考えるならば、まことに対置がよく、わかりやすい。ただ虚堂智愚の説法の一部と考えるならば、いかにも深い意味がありそう。ただ言葉どおりに受け取るのも解釈が浅いかも。さらに「不」という否定の言葉が、徹に結びつくと、否定ではなく、深く沈潜する、徹しきるという意味だと知ったときに、是非この言葉を軸にしたいものと思ったものだ。さらに字体も、少しひねりをいれて自分のこだわりを表わしたい。
そんなわけで、てんしょなどという字体にしてもらった。

閑雅に徹する、閑に徹しきる、怠惰ではなく、閑に徹しきって、そこに新しい積極的な意味を見出したいと思っている。
さしずめ、お茶などはまさに閑に徹しきる、そんな意味で行いたいと思っている。暇ではなく閑。あれやこれやの様々な意味ではなく、実に閑に徹しきりたい。なかなか理屈を後追いしたりして、軸にかけた思いは実行はできていないような思いもあるが、気持ちとすれば「閑不徹」である。この場合は雲が嶺にあるなんていうことは関係ないので、こんな一部だけの文言を軸にしたのは、なんのことかわからないという人もいるけど、自分では結構思い入れがある。

禅のお坊さんが長い間習練されて、到達された境地とは、ほど遠いだろうし、それをわかったように使うのはおこがましい。さらに、私の先生も禅とは少し距離があった。禅語は一行物として茶席ではおなじみ。でも表層的な言葉として捕らえるのは、なんだか違和感がある。さりとて、習練したわけでもないので、しっかり中味を把握して胸におちたという感じでもない。禅語というものはむずかしいし、どう対処していいかなかなかわからない。

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先生の話  8

先生の話から自分を振り返ろうとしたのだけれど、只今、自分のやってるお茶というのは、思っていること、多少の茶道具、気持ちの傾け、どこをとっても現実の自分そのものだと思っていたけど、考えてみると、さして進歩もしてないなと思うし、どこに向っているかも危ういものだとも思う。

ただ淡々とした日常があるのみで、何にこだわっていたのかな、なにをめざしうとしていたのかな、そんなことはどうでもいいことではないかなと思うようになった。只今のところは、目を吊り上げるというものではなく、楽しい、その一語に尽きる。生来の好奇心旺盛と知りたがり屋の癖は相変わらずで、落ち着かないことおびただしいが、それもひっくるめて楽しい、それだけである。

お茶は、長年の習練があって、その習練の為というか、型がたくさんある。毎週珍しい型を習得したいとか、あるいは免許の種類でこの型の練習をしてもよいとか、さまざまにあるけれど、今はその型の習練てどうでもいいとは言わないけど、難しい型も初心者むけの練習もいっしょだと思うのでというのは言い訳になるかもしれないが、座ってお茶に関することを語り合う、そんな先生との一時がお茶になってしまって、点前手順はよく間違えてしまう。

昔言われたことがあった。お稽古にいらっしゃる方は、やることに合理性をもとめるというか、何故?という質問をなさり、そして一生懸命覚えるということをほとんどの人がなさるけれど、まったく覚えようとしなかった人はあなたが始めてでした。赤面ものであるけれど、いまに至るもお茶って覚えるものとは思っていず、ために私が人に教えるということには絶対できないと思ったことでもあった。

結局同好の人との一座建立、それが楽しくてというだけである。数寄者の高橋箒庵は、お茶というのは趣味だけであると言ったけれど、生意気にもそうだろうなと思うばかりである。

精神的な支柱をたてたい、求道者でありたいなどと願ったけれど、なんだか楽しければそれでよしになりつつある。自分なりの楽しさである。道具を見る楽しさ、組み合わせの巧みな配置、心を道具に載せてとか、楽しさのポイントはさまざまであるが、全体に楽しけりゃいいわ、ということは変わらない。

長いことかかって、何も得たことはないと言えば、様々に私にかかわって下さった人には大変失礼かもしれないけど、「べつになし」ということは、自分自身がそうであるだけでなく、習ったこともそうであるといえるかもしれない。はじめから進歩はなしというのではなく、めぐってきた結果、お茶の景色には別に・・・というようなことしかないというのが結論みたいな気がする。

ふりかえって、自分を掘りすすめたいと思ったけれど、掘るというほどのものはないということに気がつくばかりである。

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先生の話  7

私がお茶というものに特別な思いをよせるようになったのは、大学で学んだ日本人的美意識というものに多いに興味をわいたからである。「笈の小文」には、歌、俳句、さらにお茶、利休にいたるまでの道は「一なり」とあった。この中の一つでも、自家薬篭中のものにできれば、日本人的美意識を体現できるにちがいない。さらにそれがわかるということにおいて、頭でわかるというのではなく、自分の血肉にできれば・・・学校で学んだことを、実践というかたちで一生涯かかって、おいかけていきたい。

追いかけ続けることができたなら、机の上で学んだこと、そのときに頭でしかわかっていなかったことが、実践を通してずっと勉強できるにちがいない、楽しく勉強できることがある、そして、自分の精神的な支柱を建てたい、これがお茶をやって追求したいと思ったことである。

子供の時分になにもわからないまま、今やってる流派とは違う流派の先生のところに少々通っていたことも興味を覚えることには繋がっていた。その時の先生は子供相手に行儀、礼法を教えるということが主眼であった。

自分の目標は、一生涯かかって日本的な美意識の追求と、さらに生き方の精神的な支柱を建てるということが主軸であったので、行儀茶道には近づくまいと思い、師匠を訪ねたいと思ったけれど、縁というのは不思議なもので、ごく近所に住んでいらした現先生により、私のお茶に対する思いは叶えられたと思うし、38年ぐらい通い続けることで、当初の思いを少しもぐらつかせることはなく、少しは深化したのではないかと思っている。

大学の時の同級生で、現在ある国立大学の教授をしている友達が、漱石の英文学のTASTEになぞらえて、生き方、美学、広範な世界を網羅した世界にずっと貫いたことをよしとして脱帽といってくれたけれど、その言葉は望外の喜びであった。

学校で学んだことをそのまま職業にいかせるということはなく、でも内実のことでは、ずっと学校で学んだことを追いかけてきたと思うし、その視点で現実を眺めているので、ものを見る視点には少しもぶれたことはなかったと思う。頑固かもしれない。気にいって買い求めた「養愚」という掛け物があるが、愚を養い続けてきたという思いがある。

私の日常はそんなに変わったものではなかろうが、精神的な自由を得たい、心は軽くありたいと願っていたので、心の軽さは心の自由から持たされる、それならば自由であるためには、なるべく自尊自立でなければ自由を標榜する意味もなかろうと思い、まずは経済的な自立をはかることからと、どっちかというと自立にむけて意地になっていたかもしれない。意地になって体をこわし、何度も入院の憂き目にあったのは、自分でもあほとしか言いようがないが、自分で納得した生き方ではあった。

現実にはむきになっている少しもスマートではない生き方、それに比して先生のところにいくと、心がいつもしんと静まったものである。ぶれないゆったりしたそれでも大元ではきちんとした生き方、いつも心の軌道をなおしつつ、話し合うことでそれこそ私にとっては、「洗心」というものであった。ところが先生では、現実の風を持っていく私は少しの刺激を持ち込んでいたのだと思う。

そんなかかわりの長い付き合いである。

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先生の話  6

先生が倒れたのは、どっちかというと確信犯みたいな趣があったかもしれない。なにしろ他力本願、生かされている自分というのが確たる信念なので、人工的な力というのを極力排除した生き方をしてらしたからである。風邪をひけば、ただ布団をかぶって休むだけ、腹がいたけりゃ物を食べないで休むだけという、およそ現代では考えれない日常の送り方であったから。そして細い人ではあったが、それだけ丈夫であったので、およそ稽古の日などを違えるとうこともほとんどされなかった、熱があっても黙って座っているだけなんていう人であったから。

自然にまかせて生きてはいっても、それ以上の人工的な力を加えるとか、肉体的な努力などは生かされているという考えからするならば、生き方が違ってくるとでも思っていたようなところがあったから。

私には、そんな生き方は本人なりの信念に基づいた生き方であって、尊重される生き方かもしれないけど、それは個人の好みの問題であって、私が真似のできる生き方でもないとは思っていた。でも、信念のある生き方はある意味すがすがしくもあり、それはそれとしてというものであった。

私はあがらいがたい運命というものはたしかにあるとは思うけど、それにいたるまでは様々、必死になってなにかないかと悩み、奮闘し、思い切った決断をせざるをえない、という日常をづっと経験し、それでうまくいったか、失敗だったかという、どっちかというとジエットコースターのような人生を送らざるをえなかったであったという、その決断もほとんど自分でしなければならないという自分では望んでいたわけでもない、少しは波乱のある人生の連続であった。こんなのは自分の器に応じた苦労でしかなく、たいしたことでもなかっただろうけど、先生にすれば、きった、はったの生臭い人生の風をいつも持ち込んでくる相手であり、それは自分が経験できない人生の諸相を勉強する相手として見て下さったので、変な意味で話が多いにあったのであった。

私にしても、日常はジエットコースター如き心休まる時とてないざわざわした日々であったが、先生の所に長い間通い続けることで、ざわざわした殺風景な日常を緩和して、心を建てて自分らしさを追い続ける日々の大きな柱になっていった教場通いであった。

野蛮なる日常をそれはそれとして、心は一心にというのが私の立場であり、先生の立場では、世にあまり交わらない諦念のような生き方に、いつも熱風をふきこんでくる私の存在は、迷惑であったかもしれないが、いつもようこそという言葉でのしめくくりであったので、生き方が違っていて、かえってお互い存在していることに意味があったと思う。

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先生の話  5

先生が倒れられたということで、先生の茶感をふりかえり、私が教えてもらい、そして私自身がささやかでも築きあげていった茶感をふりかえりたいと思った。

先生自身が大切にしてらっしゃると思うバックボーン

1 世の中は有為転変するものであるという、一種の無常観があると思う。
  それは1で述べてきたような先生自身の個人的な背景がある。有為転変する世の中に反抗するというものでもなく、またすねるというものでもなく、時代に深く沈潜するという生き方に結実したものではなかろうか。

2 小さい時からの空気のごとくある阿弥陀信仰に支えられた、佛教観があると思う。これは吸う息、吐く息がそのままの佛教であって、頭で考えたものであったり、理性的に考えた結果というのではなく、体全体が阿弥陀さんのおかげでという素朴な年寄りから受け継いだものであったろうが、後年、暁烏 敏に傾倒して勉強されたことから見ると、生得の佛教がさらに深まったであろうと思う。

3 就いたお茶の先生ならびに教場が、家元じきじきの中に百万石という文化を加味した教場であって、非常に古風というか精神性の高い教場であったこと。それが本人の気質にあっていて、自分を掘り続ける、一種の求道に近いお茶であったと思う。

4 家族の協力というよりも、家族の人たちが一緒の価値観を共有することになるという、非常にうらやましくも長い時間の醸成があったと思う。

以上4つのことがあいまって、先生のお茶は、よく考えてみるとやはり「道」ということになっていくと思う。
それがついには、家族のためだけのお茶にもなっていった一面があると思う。
自分たちが服みたい道具を購う、その道具で毎日、炭をおこし火をいれ、花を生け、床を飾り、それらの道具でお茶を喫する。これ以上望めない贅沢というものであろう。こんな話をすると奇異にうつるらしく、おかしいと言う人もいたけれど、それはたんなる日常であると当人は言われたものである。生活がお茶になったというべきではなかろうか。

道の果てには、別になにもなく、ただお茶を服む日常があるといったものかもしれない。通えるかぎりはきちんと教場に通い続ける、それも何をならってくるというものではなく、一服よばれてくるだけになって、これも日常ではあろう。平坦な家族と、そして通い続ける弟子たちとの普通のお茶があるだけ。なにほどのこともなしといった有様である。

稽古に通い続けたというと、稽古というのは、なにか本番みたいな発表会があるのかと言う人もいるけど、通い続けたのは稽古ではなく、そのつどの真剣なる、でもゆったりした時間の流れの中でのお茶そのものに会いに行っていたのだと思う。お茶の先生のなかには、教授者として立派な人が多いと思う。伝統につらなるものとして、後継の育成者という観点からすれば立派であるのだと思うし、後継を鍛える、知識は旺盛というかたをたくさん見る。それはそれで立派と思うものの、私の先生はそんな意味ではまったく違っていたように思う。不甲斐ない弟子たちが育たなかったという言い方もできようが、目指すところがまるで違っていたように思う。

今、弟子たちが言い合っている。先生の存在そのものがお茶であったと。さて、こんな教場に通い続けてきた私。自分をふりかってみたいと思う。

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先生の話  4

先生と家族とのかかわりなどを。

先生には二人の息子さん。二人とも歯科医である。長男家族とは同じ敷地内に別棟の家で暮らしていらっしゃる。私は38年も通い続けているので、息子さんたちが子供の時から知っていた。男の子というのは、反抗期や屈折した時期もあるものだし、それなりに嘆いていらしたこともあった。もちろん、それはこっちも一緒で、お茶の話題よりも子育ての話に夢中でいったいなにしに行ってきたものやらという日々もあった。

反抗期、何を考えているかわからない、進学のあれこれの迷い、就職、さらに開業と、私も共に歩んだような気がする。今では立派な歯医者さんで、長男は町でも有数な歯医者さんになられたものである。次男は水戸市で開業、その歯医者さんも随分はやっているらしい。今ではなんの心配もなさそうである。

この息子さんたちとのかかわりが実にうまくいっている。親というのは、子供のことを心配するけれど、先生のありかたは心配はされたろうけど、息子のほうが親のことを心配しているというふうに見える。先生のことを、ご主人も息子さんたちも、先生が心配しているよりも、連れ合いならびに子供たちのほうが気遣っているといったほうがあたっている。そんなに頼りなく見えるのかな?家族全員にいたわられているというふうに見える。弟子たちはなんで先生ってあんなに偉いんだなどと言っているけど、家族全員から大事にされていらして羨ましい。

大事にするといっても、先生の家のありかたは、生き方を尊重するといったほうがいい。

私たちの今の教場は息子さんが建築されたものであるが、その前の教場は先生のご主人が建築されたもの。どっちもお茶の稽古をまず考えて建てられていた。待合、水屋、稽古場としての茶室。家の一番中心を稽古場として占拠。随分贅沢な教場である。とくに今の教場は、冠木門を通り、庭伝いに茶室だけの玄関に。庭には蹲から水を滴らせている。待合から部屋は3間続きなのだが、その部屋回りは今時珍しい土縁で、檜の縁側がついている。なんとも贅沢な教場を使わせてもらっているのだが、この教場の建築には、先生には一切相談はなかったとのこと。お金を出して建築されたのは息子さんなので、それには一切口をはさむことはなかった。してくれるというからどんなふうにするものやら、見ているだけですわ。仕上がって入居できるまで、一度も覗きに行かれることもなかった。見事に信頼するといえば、まったくのおまかせであった。

息子さん、信頼にこたえてというか、随分お茶のことを勉強されたのではなかろうか。部屋の作り、間取り、庭からのアプローチのしかた。さらに庭木のさまざま、きちんとしているというよりも自分の感性が生きていると感じる、居心地のいい空間になっています。

まったく話し合うことは見事に一切なかった、それなのに、若いときには親を理解していらっしゃるとも思えなかった息子さんが、見事に親の生き方、感性をそのまま受け継いだもののごとくであった。

その後、その部屋には、息子さんが購ってこられた道具が次々持ち込まれるのである。自分の感性でのお茶、それをお金をかけて購う道具は、急速にお茶にはいりこんだもののようであった。自分が飾りたい道具であり、自分が飲みたい茶碗であり、水指である。長い間、お茶につかってきたのではなく、空気としてのお茶、それを先生という親よりから長い時間かかって体得されたのであろう。数寄というお茶であると思う。

今や、毎週どんな道具が出るか楽しみである。先生はどこかで席を持つということはなさらないので、折角の道具は毎週の稽古にでてくる。一番好きなのは、たぶん田山方南、方南のものは何十点もある。先生の家で、初代の大樋長左衛門の茶碗でお茶を点てたこともあった。

毎週の稽古、それを続ける、自分を掘り続ける、それがお茶といわれて、毎週の稽古がすべてと道具も惜しげもなく、精一杯の道具の設えであったし、なによりも結局稽古ではなく、毎週真剣なというかゆったりした茶会そのものであったと思う。

毎日、息子さん夫婦に湯をわかし点前をしてお茶をふるまう。その時間がなによりの時間で、それに使われていた道具のあまりを使わせてもらっていたようなものである。

結局、毎日家族の為の茶会。それが究極のお茶になっていったものである。あまりにも個人的な、自分を掘り続けるお茶、それが親子の茶会であり、そんな茶会が毎日行われていた。珍しいお茶の形かもしれない。

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先生の話  3

先生が師事されていたかたは、まずは近くの市内に住んでいらしたかたであったが、最初の先生とは子供時代からお茶の点前手順を習われたのであろうが、それ以上の教えにはいかなかったようだ。あまりに生き方が違っていた先生であったので、ついていけなかったのかもしれない。

その次に師事した先生には、お茶の何たるかを深く体得なさることができた師弟関係になるかもしれない。金沢には11代玄々斎が前田家に招かれて茶頭をつとめていらしたことがあったそうだが、その玄々斎の弟子でお茶にかかわり続け、生涯独身のまま過ごされたとかいう完全なお茶人の野島乃庵というかたがいらした。玄々斎が金沢を去られても。金沢でのお茶につくされた茶人であるということである。

乃庵は養子を迎えられて、その家は現在に至るもお茶の家柄である。私の先生が師事された先生は、家元の業躰であるだけでなく、老分もつとめられたと聞いている。その先生の弟子に加えていただいたのであった。もともと気の小さい先生は、田舎者が家元に直結する格調たかいお茶に加えていただいたことを恐縮しきりであり、生来の引っ込み思案にさらに磨きがかかって、ひたすら隅にそっとすわり、その場に流れる空気をいつも黙ってかぎ続けてきて、それを自分のうちにためてくる、それが稽古であったと思う。

金沢きっての道場ではあり、家そのものがお茶を中心に作られている、いってみるならお茶室に家族が住まわせていただいているような作りの家での習練。しかもその道場には、金沢の百万石の深い文化に支えれている、精神性の深いお茶が展開されていたようである。しかもなにせ古いし、茶人そのものの稽古場に通うかたは、名家のかたが多く、何十年も通い続けるかたばかりで、ゆるやかでなごやかな空気が通っていても、さまざまな百万石の奥の深い文化を体得なさっているかたが多い稽古場は、一見なごやかではあっても緊張感の漂う、深いお茶の世界であったらしい。

そこでは別になにを教えているということではなかったようである。たくさんのお弟子さんが次々稽古をなさっていく有様は、前の弟子から習慣が次々継承されていき、なにをいう人もいないけど、形は昔のままに継承されていったようである。御免下さいと玄関を訪ねるところから、退出する時まで、時間をたがえて勝手にくる人もいなければ、足袋のはきかえ、稽古の手順など、業躰先生はあまりにはいらっしゃらなかったといおうことであったが、なにせ、その家の存在、家の人のありかたすべてがお茶であったと思う。

さて何十年も通い続ける、そもそも点前手順は完全にできていらしても、「そこに教場があるかぎり、きちんと決められた時間に通い続ける、それこそがお茶、修養のすべてであると思う、だから行けるかぎりは通い続ける、それが私の習ったお茶である」と、いつか私に言ってらしたことがある。そして、その言葉どおり、倒れる寸前の週までいつもとかわらず通い続けていらしたものである。何十年も隣の県である。電車の駅まで歩きつづけ、気持ちがあたふたしてはいけないと特急に乗り、一年中着物を着て稽古に通い続けていらした。先生のご主人が都合つくかぎり、駅まではかならず、送迎はなさっていた。そういう生き方をお互い尊重してらしたのだと思うが、何十年もよくぞまあ続いたものだと思う。

年をとってくると、稽古はしてくるわけではなく、きちんと座ってご挨拶をして「お薄、一服、ニ服をいただいてくる。それでも通うことは楽しく、それを止めることはないですね。」そんな稽古のありかたを、私も見習いたい、それを続けることこそお茶の真髄につながるに違いないと、一心に私も通い続けた。いつも「よう来てくれたね。ありがとう。ありがとう」の言葉での稽古の日常である。

私の感想ではあるが、そこでのお茶というのは明治以降の行儀見習いといった趣のお茶ではなく、また、最近の大寄せを中心とした大掛かりな設え中心のお茶でもなく、日本人的美を習練の中に掘り続けるということが、伝統的にまだ残っているという教場ではなかったろうかと思うのである。

それを先生の性格に加味して、私たちの道場は、もし望むなら精神的に深い道の追求のできる道場であった。もちろんそんなことを言われるはずもなく、何事も本人の気持ち次第で「お茶なんて教えられるものではない。本人の生き方で体得していくものだと思いますよ」とはいつも私と語り合った言葉である。「だからといって楽しみがないというわけではない。人に応じての楽しみ、それもまた素晴らしい」「お茶なんて、一人一人のものですね。やってるだけで、何を教えてあげられるものでもないのに、ようこそ来ていただいて」というのが、先生の信条であった。

この信条にささえられて、私もそんな道を歩み続けたいと思ってきた。この頃の華やかな大寄せの席での発表会もない私たちの教場は、ある意味、愛想がなくて、自分よりも経験が少ない人が、茶会ではなばなしく活躍なさっている姿を見て、なんだかおいてけぼりのようでつまらないという人も勿論いるけど、自分を掘り続けるということを主体に考えると、まことに良い先生であった。

金沢で活躍の業躰先生は、もちろん金沢のお茶の世界での重鎮であり、席も色々持たれるのであろうが、そのお弟子さんたちはそれこそ長い間お茶をなさって、それぞれの自宅に帰られれば、その地域の一人者であろうが、てんでにお茶をやって行き来はしていらっしゃるようだけれど、大きい席主さんになられるということはないようですね、と言う話である。良くも悪くも、ひっそりと自分の分に応じて、目立つことをしない。その教場には通い続ける、それこそがお茶であるといった雰囲気らしい。

それが先生の性格ともにあいまって、とても居心地のいい空間であったのだろう。

良い師というのは、生き方そのものが自分の人生観にあっている人で、しかもそのかたが先達で、深い影響力を行使できる人であるということが大きいと思う。そういう意味ではよい先生にというか、先達に恵まれたということがいえると思う。

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先生の話  2

毎年ひな祭りの季節になると、先生宅では古い、江戸時代だか明治時代だかの泥人形が飾られる。石炭箱にはいって蔵の奥からでてきたとのこと。懐かしい細面のお雛様である。先生のお雛様は、立派なものであったらしいが、戦後売られたとのことである。蔵の奥深くに眠っていた古格を感じさせるお雛さまのほうが、馴染みではある。そのお雛様は、蒔絵された蜀台に飾られ、かならずお茶を供えてある。茶席のお雛様という感じで私はとても好きなのであるが、先生は立派なお雛様は売られ、土蔵の隅からでてきたお雛様で恥ずかしい、などといわれるけれど、お雛様一つとってみても、その家の歴史が如実に見てとれるのである。

有為転変、なにごとも当てにはならないものである、ということが、先生の人生観の一方であるとするなら、もう一つは祖母、曾祖母と脈々と流れる仏教であったと思う。大きな立派な仏壇は、私たちの地方では家の格に従い、当たり前にあるものであるが、毎朝、毎夕、仏さんを拝む習慣は小さい時から培われていたものであり、それは理屈をこえたものであった。後年、暁鳥、敏に深く傾倒、能登にあるとかいう墓参りにもいってらしたし、お茶よりも仏さんのほうがはるかに身近であると言ってらした。

それかあらぬか、お茶の稽古にはいつも掛け物がかけられているが、それは茶席にいつも本には一番お茶にふさわしいと書いてある禅語などの一行物というのは、ほとんどなかったように思う。

それは禅宗ではなく、浄土真宗に頭ではなく体全部がとっぷりつかってしまっているので、禅語の本文というのは、頭でしかわからない、実感につながらないというものであったので、あまり手にされなかったのではないかと思うのである。

そして気がつけば、私も禅語の一行物という物々しいものにはあまり惹かれないのである。言葉としてはわからないものではない、解説を読むための本も色々あるが、その言葉が自分の実感にしっくりなじむというところまではいけない。言葉の中味にはいたれない、かなわないと思うのである。多分、長い間、先生の考え方に馴染んできた影響ではないかと思う。

それにかわってたくさんあったのが、江戸時代の加賀で活躍した、桜井梅室、直山大夢の俳句、画賛、絵、などは、季節ごとに随分たくさんあった。先生自身は、前田普羅につき俳句を学んだ人であり、そういう趣味的な軸が好きであったというだけでなく、自分の身に応じた、頭でわかるだけでなく、実感として体得できるお茶をしめしていらしたのではと思う。大上段に説明するお茶ではなく、そのまま身にしみてくる洒落た、数寄というお茶を習ってきたと思う。お茶というのは、その人生をバックにした生き方そのものである。その道を掘り続ける。それはてんでの人生を深く考えることであって、今考えると、別になにも習ってきたのではない。何十年も、いっしょに歩み続けてきた道そのものであったなと思うのです。

有為転変の世はそれとしてあるものであり、その世の中を歩み続けるバックボーンは阿弥陀に帰依して、安心立命する世界であった。利休の教えがとか、代々の家元がという話はあまりなかったように思う。

お茶の点前手順は習ったけれど、それ以外には習ったというよりも、それが空気として私のほうに流れてきていたという感じである。

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先生の話  1

私のお茶の先生、73歳。その先生の家に通い続けて38年。お茶の先生というよりも、人生の先達の指針という感じで、自分の人生のなかでは一番大きい存在の方である。細いかたであるが、お稽古は自分の都合で休まれたことは一度もなく、体をこわしたのでという話もなかった。続けるということがそもそもお茶というか、道をいうなら当然という感じだったので、稽古は楽しみ、未来永劫続くとは思わないけど、まだまだ大丈夫と思っていた。

ところが倒れて入院、稽古はしばらく休みますと、家族のかたから電話あり、驚いている。事態はむずかしそうだ。なんともせつない。是非是非回復して欲しいと心から祈っている。

どうなるかわからないけど、先生の人柄を通して、先生のお茶がどんなものか、私の受け取った範囲の中であるけど、振り返ってみようと思う。それが私のお茶ともいえると思うので。

先生の祖父という人は、町になったときの町長を務めたかたと聞いている。町に唯一つ、町を代表する繊維、糸の会社が今でもあるが、そこの社長を務めていらしたとか、銀行を設立されたとか、要するに町を代表する人であり、町きっての旧家といえるかもしれない。先生は大家族、祖父母、曾祖母、たんぼをするおとこさ、おなごしにかしずかれて育った典型的なお嬢様であったようだ。

先生の父親と言う人は、その親にも似ず、病弱でほとんど家から出ることもない線の細い繊細な人であったらしい。仕事などできるはずのない人であった。病弱で仕事のできぬ人に、山のほうから選ばれて嫁いできたのが先生の母親である。以後、病人の世話と家の存続に獅子奮迅の活躍をなさった人であったが、その家の歴史からいうと、働くだけという、その前の代の女性のありかたからいくと異質であった。そのおばあちゃんのおかげで家は乗り切っていくということになるのだけれど。

事業にあれこれと手腕を発揮した祖父がなくなり、父親の代になると、広大な農地をバックにした安定した家であったはずが、戦後の農地解放で、いわゆる不在地主で農地のほとんどは、小作のものになり、その農地を耕すのもおとこさという人もいなくなってしまった。典型的なお嬢様であった先生の価値観がひっくりかえる経験をされたのである。病弱な夫をかかえ、舅亡き後、家のたんぼを耕し一心に働いたのが先生のおかあさんである。なにせ前の代のおばあさんなんていう人たちは、働くということがわからなかった世代であったから。

病弱で繊細な心を持っていたという父親に似たのが先生であった。そのかたは先生が子供の時になくなった、栄華のあとの、おじいさん、おばあさん、そして父親など、次々になくなり、昔のこととて、父親には兄弟もたくさんいて、それなりに家とすればしなければならないし、要するに人も羨む子供の時代を経験していたのに、まったく正反対に時代は暗転、それを経験してきたのが先生である。時代の風潮からいえば、小さな下克上、戦国時代のような経験をみずからなさったのが先生であった。時代で誰でも経験する以上の激しい体験をしてきた先生のバックボーンは、人生というのは有為転変するものであるという、言葉ではない人生そのものに打ち込まれた経験、それが人生観の深い根幹をなしているようであった。

さらに年寄りにかしずかれて可愛がられて病弱な父親に寄り添っていた、子供時代、繊細で家にとじこもってすごしていた子供時代だったので、学校にいっても、何もいえず、先生にあてられると、それだけで涙があふれて答えられたことなどはなかったと後年話してらした。

人生というのは、あてにならないものである、有為転変な世の中をいとう気持ちの強い人であったが、一方で母親という現実対処に働くだけがとりえのような生きる力の強い人の遺伝子を受け継いでいる人でもあったので、辛抱つよい人でもあった。

子供のとき、青春時代、母親に反発ばかりしていたと言ってらしたことがあったが、母親と言う人は本当に働き者で、そしてなによりも、娘を守ってこの家を存続させることに命をかけてらした感じであった。本当にあのおばあちゃんのおかげだと、私のような他人にもそう見えたものであった。

先生はいわゆる婿取りさんで、縁あっていらした先生のご主人は高校の教師をしてらしたが、先生とは本当によいコンビになられたものだ。
なによりも、先生のご主人と言う人も、その父親というひとは大学の教授をしてらしたし、広大な農地をバックにした旧家の人であったが、やはり価値観がひっくりかえった経験をしてらしたし、その先生の母親と言う人が若くしてなくなり、いわゆる後妻さんい育てられた人であったので、私の先生の人生ってあてにならないものであるという価値観では深く一致してらしたのだと思う。

この先生コンビは、なによりも生きていかなきゃならないから、働かなきゃならないし、しなきゃならないことはされるけれど、それは深い無常観に裏打ちされているようなところがあって、がつがつしたところがまったくなく、目立つことをなにより嫌がってらしたところがあった。生きていくのに積極的ではないが、努力はおしまずなさったけれど、人を押しのける、前に出るなんていうことは絶対できない人たちであった。戦後うまく生きていった人が多いけど、そういうことには無縁な人たちであった。見ててはがゆい思いをしたことも何度もあったような。

先生のご主人という人も、子供を一人前になさって見届けた時点で、定年をまたずに退職なさったものである。

人間として、本当に上品であった人たちであった。人を押しのける、前に出る、目立つということから無縁な人で、現代では珍しい人である。そんな人間として品がいい、それに品がよくなりたいけど、実際はそうもいってられず品格では問題ありそうな弟子たちはひかれている、そんな集まりが私たちの稽古場の人たちであるかもしれない。

人間の品格というのは、その人の生き方、時代の波の被り方で、醸成されたものであると思う。先生の人生観を形成された一つが、時代とそのまわりの人たちとのかかわりから生まれたものだろうと思う。

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思い出

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古い茶碗です。この茶碗田山方南が晩年に身近において愛用していたという茶碗です。先生所持。方南の作品については、茶碗、水指を中心に何十も持ってらして、毎週なにかしらのものは出ていて、使っています。方南の作品が好きということで、こんどは方南愛用のものまでがコレクションに。

赤楽に見えるのですが、こげの景色も見えてるから焼締め?最近一番好きな茶碗なのですが、小さな高台といい、土味がこまかいのでつるつるしているし、何よりも抱える部分が丸くカーブしているので、片手でお出しするのは大変。両手で頂くまで緊張します。見た目のなにげなさと、小さななんでもない抱え込むようなほっこりした茶碗、こういうのが方南が好きで愛用していたのかと思うと感慨深い。方南の茶碗は、色々であるけど、特徴とすれば、さりげなく品がいいということだと思う。野心的ではなく、十分にこなれての作風といえると思う。そういう人が愛用していたという茶碗、やはりさりげなく、しかし、なかなかの存在感を持っている。

一見なんでもなく、しかし、きちんとした技術に支えられた人間性も仄見える茶碗、愛用の茶碗もそして本人が目指している方向もそうなんだろうと思う。

焼き物は、人間性そのものではなかろうかと思っている。

それにしても、大勢の人間が毎週洗ったり、飲んだり、拭きあげたりしていると、茶碗の表情というのは少しずつ変わっていくのです。こういうのを育っていくというのかな。そして、いい育ちというのは、ただたんに洗ったり、拭いたり、飲んだりし続けるというだけではなく、気持ちの傾け方に関係してくるのではなどと最近思うようになってます。ただ私の思いすごしかもしれないけど、かわいがられる茶碗と、そこにただおかれている茶碗というのは、あきらかに表情が違ってくると感じます。

この茶碗は、先生が飲みやすいということで気にいってますと言われ、それならばと私も使う機会が多い茶碗。丸いかかえこむ部分が滑りやすく、決して扱いやすい茶碗ではないけど、そこにあれば一番さりげないにぶい光を放っている茶碗です。

茶碗は作った人がわかるということはあるけど、誰が使っていたのかになると、目もくらむような来歴を持つ茶碗はいざしらず、一般にはわからない。使っていた人のわかる今回の茶碗、持ち主の人間性がすけてみえて、道具はその人とともにあるということを一層深く思うのです。

お茶を頂きながら、あるいは点てながら、その人に思いをはせる、お茶の味もいっそうおいしくなるというものです。そして、その席ではその茶碗を使っていらした人って、こんな人かな、あんな話もありますかね、と話題を広げて楽しんでいます。道具を仲立ちにしての話の広がり方、これもお茶の醍醐味といえるかもしれません。

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道具

木地の職人さん蒔絵師さんなどと話していると、道具の程度ってとなるほどと思うことが多々ある。

使い道具としての道具、茶箱用に小板、木据えを作ってもらったのだが、木地は茶箱にあわせて黒柿、もちろん大きさをあわせるのはもちろんで、出来上がってきた時には本体に丁度あっていると嬉しかったけど、それはそれだけ。職人さんが揃ったときに、作った本人からの言葉はなるほどと思えるものであった。作ってもらった板は、使い道具であるから、木目のもっと細かく揃っている、言ってみるなら上等の木はないわけではないけど、本体の調和を乱すことなく、しかもその木だけが目立ってしまうことがない、つまりは使い道具の位置を考えれば、ここらあたりの木目があっているのではと思ったよし。もっと変わった木目はいくらもありますよ。

先日あるかたの茶杓展を拝見した。斬新なかわった竹の紋様がいろいろで、それにあった銘もなかなか面白いものであった。竹の根の目のつまったの、腐りがはいって穴があき、面白い景色が見えてるのなど、これらの竹を訪ねられるのも大変であろうと思ったものである。

翌日、木の職人さんと話し合ったのだが、職人というのはどこまでも追求して、誰も持っていないもの、誰も作っていないようなものをの思いで追求したい気持ちにかられるものであること。そしてそういうものが一般に人気があるということなども語っていった。

一つ一つは力一杯の仕事の結果である、でもそれってみんなの調和を考えるとどうなのと思ってしまう。伝統工芸展にいくと、一点一点があまりに力一杯で、全体になるとてんでの力を殺いでしまって、拝見すると疲れるだけでなく、印象がまとまらなくなってしまって見にいってきましたになってしまいがち。これは発表の場であるから仕方ないのであるが、実際のお茶に使う道具、控えめなものでありながら、みんなではきれいなハーモニーを奏でるものになって欲しい。

作り手の人でお茶をやっていらっしゃる人の作品て使いやすいということがよくある。その作品の位置を認識していらっしゃるからに違いない。沈潜しながらきっちり自己主張をしている内なる力をひめた作品、そんなのに出会いたいと思う。

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稽古条々

茶友が訪ねてきた。稽古場では一度もあったことがない。お互い何十年も同じ先生についているのに何故かなとは思っていた。話を聞いて驚いた。その人は仕事は戸大工さん、お茶の道具の木地の仕事もしている。お茶を習いにいった理由は、戸大工というのは新しく建てた家にお邪魔することが多い。人が丹精こめて建てた家にお邪魔する際の気持ちの傾け方、さらにその際の具体的な行儀のありかたを習いたいために、茶道教室に伺いたいと申し出たとのことであった。どちらかというと、点前手順を習いたいわけではないとのことを初めから申し出て、点前の準備、さらに終わってからの水屋のありかた、道具のしまいつけなどをきちんと習いたいと先生に申しでたとのことであった。

そんな点前手順の前後の用意、しまいつけは先生の仕事。茶事を実施する際には、ほとんど手探りで、こうでもあろうか、あ~でもあろうか、お客様の気持ちはどこらへんに・・・・などと推し量りつつ、まったく自分で失敗を重ねながら自習したような気がする。それを習いたい、そんな稽古の仕方ってあったのねと今更驚く。

さて、そんな稽古条々は多分県内にはないであろうけど、私も勉強です。やってみましょうと先生は言われた由。

稽古に伺うほうも、稽古をつけるほうも大変である。用意には庭の掃除、部屋の設えからとて、稽古には朝5時半に伺っていたとのことであった。先生にはもちろん家族もいらっしゃるわけで、5時半から弟子が来るというのは大変なものであったろうと推察する。水屋の道具の準備、部屋の掃除、内弟子というべきではないの。なんとこんな稽古を20年も続けていたのだという。

なるほど茶会でご一緒したことは何度もあるが、そんな時、ほとんど私が主導権であれこれをしたい、してほしいとの無理難題の注文が多かったように思う、そんなときいつでも「職人だから自分で考えるよりも、むずかしい注文をしてもらい、それにどう応えるか、工夫のかぎりはどこにあるか考えるのは楽しいから、なんでも言ってみて」などと言われるものだから、思いつくかぎりのことを言い、私が思った以上に表現して下さり、本当に楽しかったことを思い出す。

片付けの稽古のときは夕方から夜遅くにまでと稽古の時間はあったそう。いずれにしても習ったほうも立派だけど、先生のほうはもっと大変だったろうと思う。なるほど、いつか今国の重文に指定されているお寺をおかりして茶会をしたおり、「道具はないから、こまごましたことはまかせて」といわれてお任せしておいたことがあった。寺の境内の広大な場所、これではまるでおまぬけ。その日になって驚いた。杭をうちこんで幕をはっての茶席作り、野点の趣向でやりたいといっていたので、大きな竹を3本くんで藤弦でしばりあげ、釣りがまである、水差しは昔のつるべそのまま、蓋を作ってきてくださったし、中はもるので厳重に中をビニールで包んであるのだが外からは一切みえない、置き風呂を覆っている枠はその前年台風でおれた土地の銘木毘沙門杉の枝をくみあわせてであった。この設えは私の思いつきを形にして下さった出色のできであったが、それよりも驚いたのは、雑巾をあれこれように5種類も縫っていらしたこと、さらに箒の種類は竹箒からはじまって、風呂のまわりを掃く小箒まで5種類も用意してらして、心底驚いたものである。いるかもしれないと硯、紙まで用意してあった。

あれだけの心の配りよう、どうしてできるのか不思議であったし、お茶って見えてる部分を支える準備、心の在り様って大変なもの、と本当に大きな勉強になったものである。

そんな稽古条々であったのかと全然知らなかったので、今更大変に驚いている。二十年も弟子も先生もようこそ辛抱なさったものと感心しきりである。

今稽古にはきていらっしゃらない。その理由も聞いて驚いた。本業のほうの師匠が倒れて非常に忙しくなったことで、それだけの気持ちをかたむけて毎週半日はすごしている時間がとりにくくなったことを申し上げたところ、少しだけ気持ちを傾けているのでは、仕事もお茶も中途半端になるから、お茶は中断して休んだほうがいいと言われた由。お茶は余暇の利用ではないということなのである。どっちも真剣勝負である。

そんなわけで長い中断である。しかし、20年鍛えられたお茶はゆるがせにもなっていないと感じた。

この人とはお茶を語り合える、昨年我が家の茶事にきてもらった。しまいつけとうかお詰めを任せられるひとはいないんだから、と誘いの言葉である。

お茶の稽古条々は、点前の稽古が主、あきないようにというわけでもなかろうが、実にさまざまな稽古の形が。

でも仕事の中味からの茶の稽古、こしの座った稽古のありよう。いつも言われていることであるが、山に登る道はさまざま。登れば景色はいっしょです。同じ景色を見ているのであろうか。

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感想

先だっての「風天庵待合」を読んでくださっての感想を寄せてくださったかたが何人も。まずいところを指摘してくださったかたもいらっしゃる。本当にそうだわと思えることが多々あり、あらためて感謝である。

もちろん関係者のかたやごく親しいかたに贈ったので、好意的な意見をよせて下さるのは当たり前だよという人もいるけど、私が意図している以上に理解してくださって本当に嬉しいということもあった。

学生時代の同級生が書いてくれた感想

趣味、茶味という言葉に心ひかれました。漱石の使う趣味も英文学からきたようで(TASTEですが)なかなか幅の広いことばです。その人の人格は趣味の実現だといっていますので、美や倫理も入るようです。それに相当するように茶味があるのかもしれませんね。なかなか奥の深いことばです。学生時代から全くブレていない趣味の一貫性に脱帽です。

漱石の使う趣味というのは、どこに書いてあるのか、今度教えてもらいましょう。人格は趣味の実現、この言葉に非常に心うたれています。人格までは思っていなかったけど、自分を掘り下げるもの、自分を支えているものがお茶であると思ってまとめてみたので、拙いものであってもある意味の自分史と考えていた。それを指摘してくれたの思いが深い。

さらに、その世界では大家といわれる方からの和紙に書かれた丁寧な手紙も感激であった。

さらにさまざまに教えてくださったかた、赤面するような誉め言葉を書いて下さったかたなど、いついつまでも心が豊かになれる今回の経験であった。
ありがとうございました。

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私の失敗談  5

失敗談というよりも疑問に思っていることなど。

茶席には花はかかせない。花は野にあるようには、茶室というのは山家を自然のなかにあるように見立てたものであるから、野にあるようにはそれに相応しいというわけ。つまりは空間として、自然をそのまま部屋として見立てるわけであるから、そこに自然そのままのようにという花の生けようであるし、また、時間的には季節を切り取った自然のありようを現すわけであるから、野にそして時期をあらわす素材が花である。

山家をあらわしているのであるから、つつまいし山家にふさわしつつましい花でありながら、その時間というか季節をきりとったものとしての主張である花はつつましくはありながら、またちゃんと主張するりんとした花でありたい。

山家であるから、引き算が原則である。足していくのではなく、そぎ落としたその芯で、季節、そして会をあらわしたいものである。

ところが現実には、珍しい花を馳走するのがもてなしになっていることが多いにあると思う。それかあらぬか、花を見て、季節を瑞々しい花であらわしていただいて・・・・なんてのはなくて、花の名前を聞くのがお約束みたいになっている。さらに、見たこともないような花が一杯。聞いて紙に書き付けていらっしゃる人も多い。山家にそんな珍しい花なんて、咲いているのかななどと思うのだけど、花って一般にはりきりすぎているになっていないかな。

花には嫌われているのですなんていう言い訳は、私がどうも花の名前を覚えられないからである。季節の切り取り方、花生けとのバランス、開きかかっていながら、いまだしの花のつつましさ、それでいいんじゃないか。花です、などと言っていたら駄目かな、などと不遜なことを思う。

野にあるような花は、どっちかというと、土がこえてはいないから大輪咲ではなく、ひっそりとした花、そんなのが好ましい。

茶席の花、ひっそりとしながらりんとしている。花がたしかにはいっていますね、もう花の名前を覚えられないごまめの歯軋りである。

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私の失敗談  4

お客さまをお迎えする時には水を打っておきましょう、たっぷりと。それはわかっているのですが、土の庭で飛び石があり、緑の草木が・・・・そういう庭ならば、たっぷりと水を打ち、草からは水が滴り、露がきらめいている。そんな庭ならば、飛び石の水の打ち方、木々への水の打ち方、それぞれは難しいだろうけど、またやりがいもあるだろうとは思うのです。

でもそんな茶庭があり、そしてを茶室が望むべくもないと、水を打つのは玄関でコンクリートです。コンクリートの上は水はけがよく考えられていて、つまりは水を打ちすぎると水が溜まるし、少々だとすぐ乾いてしまう。我が家なんて店先ですから、水をうっておいても、車をいれると結局かえって汚らしくなるのですね。もう水をうつのは止めました。朝早くおきて、なんどもなんども水を打ち、タイヤのあとにも気を配り疲れ果てたのに、お客様は気もつかないなんてこともあったりして、水を打つのは止めです。

コンクリートの玄関に水をうつのは、本当に客の来る時間との兼ね合いでなかなか難しいと自分の経験上で知っていますので、先日訪ねた家には見事に水を打ってあり、相当な習練であると感心したものです。

きれいに水も打ってもらいましてと挨拶すべきなのでしょうね。どこまで挨拶したものか迷います。あまりにあれやこれやの挨拶をすると、相手のあら捜しをしているふうにならないかななどと思うこともありますし、気遣いの中心だけをさらっとしているほうがスマートかなとも思いますし、それはその時その時の気のありかたによってのこととしています。が、なかなか難しいです。

失敗談とはいえないけど、いつも心のどこかで気にかかっていることです。あるかたが茶事の手伝いを頼まれて、「水でも打たせていただきます。」といったら、後日、水を打つのは簡単なことではなく、「水でも打たせていただきます」などという言い方は間違っていますと指摘されたと苦笑まじりに話されたことがありました。

ホースでまきちらす水ではなく、しっとりと水を打つ、失敗にもならないさきにできていません。本のような水を打ってある茶庭憧れのまんまです。

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私の失敗談  3

今日の失敗談だけは、本当はいいたくなかった。恥ずかしいし、無念さもあります。自分でも許しがたいという失敗談です。

縁あって古天命の釜を手にいれました。形はまったく一番ありそうな霰釜。なんだか渋すぎて自分の手には負えそうにもないと思ったのでしたが、古天命の釜にそう出会える機会もあるとも思えず、まあ、自分では思い切ったわけです。

この釜を割ったというか、裂けてしまったんです。これだけ古いと、ガラスのようにもろいもの、そんな釜の扱い方を知らなかったということで、自分を責めています。お茶をやってるものの風上にもおけないというか、恥ずかしいです。しかも茶事をやろうという時に。お客様はもう見えられる。私は訪問着も着て、準備は整っているはずでした。お手つだいをして下さる人を頼んでありました。はい、熱湯を彼女が注いだんです。もちろん彼女の責任ではありませんね。私がいわなかったのだから。本当に恐ろしい光景でした。釜が裂けて、熱湯が飛び散りました。幸いやけどをした人はいませんでした。また、炉の上でやったわけではないので、灰神楽も免れました。別の釜を急遽出しました。心臓がどきどきしました。お客様、それから懐石を頼んだ料理屋ももう来ます。

どうにか気持ちを落ち着けて、茶事を始めたのですが、気持ちを立て直すことは不可能と感じました。どうにか茶事は続行、楽しかったと仰ってくださったのですが、一番自分が納得できない茶事でした。

なにもかも準備は整えた、それで茶事はできるはず。それなのに本当に大事件、勿体無いというよりも、自分が情けなかったです。

くだんの釜は、今ではなかなかいらっしゃらないとのことでしたが、昔の通りに直すかたが見つかりました。地元で。大きな傷がついています。時代をこえてきていた釜だったのに、私がこわしてしまった。まだ気持ちが収まらなくて、以後、その釜は使ったことはありません。釜に責められているというよりも、自分が情けなくてです。

釜って鉄でできているのですが、時代が古びてくると、まるでガラスのようです。粘性はないのですね。裂けるのです。鉄粉と漆で直すのでした。
持つ資格のないものが手にいれたばっかりに・・・
こんな失敗はあるものだよ。それで、覚えていくのだから。慰められていますが、恥ずかしいし、勿体ないです。
大きな失敗談です。

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私の失敗談  2

5月、風呂の季節である。さわやかな薫風を感じながらのお茶、一年で一番気持ちいいと感じる。

さて風呂には、実にさまざま、唐銅、鉄、焼き物、木の板風呂、銀、材料もさまざまなら、形もさまざま。いろいろ楽しめるのであるが、これを本で勉強するとさまざまで攻略する楽しみもあるといえると思う。

まずは風呂には灰をいれなきゃならない。これも形もいろいろあり、木灰をお茶で色揚げし、なんどもだんだん細かい箕でならして、灰をつくるのも大変である。どうにか灰はできて、灰形はひたすらぺたぺた、切れ上がるようにいれたいとはかない望みを抱きながらの作業である。奉書をおって底にひき、敷き瓦、五徳とのつりあい、高さ、もう満足にできたことがないという有様。ここまでは練習である。どうにか灰はできたとして、また灰形の練習はできるのであるが、実際は、これに火をいれなきゃならない、炭点前はそれはそれでまた練習である。熱心に練習をかさねても、灰形がきれいにできるようになっても、さらに炭点前がすらすらとできても、ここまでは練習。これを全部あわせるのは、茶事本番でしかない。

炭はどれだけ買っても、規定の寸法の炭なんてほとんどないから、道具炭を買うしかない。そんな炭を使っての練習は、実際の火ははいっていず、形だけの練習しかできない。火ははいってない練習はちゃんとしているのですが、現実に火がはいると、灰形は崩れてくる、なによりも釜をのせるとすっと落ち着いたことがない。灰だけで高さを調整するのは至難の技。ようやく五徳の下に瓦をしいて、高さを調整するが、静まりかえっている部屋で釜をおくと炭が一部高かったりして、もう必死になって押し付ける仕儀。炭点前がきちんとできていたのに、なんだか横に平べったい炭の有様である。

私に限らず、ベテランのかたでも、炭点前がきちんとはなっていたのに、釜をのせたら、崩れて、火がつかなかったという仕儀をなんども経験したし、見たこともある。なに、ベテランだから、ごまかすことは知っているのです。炭点前が終わり、懐石がおわり、仲立ちしたときには別に用意しておいた熱湯にいれかえ、火おこしで大急ぎでガス台でおこし、あたふたした顔を見せないようにとはやってます。

分解した稽古条々は、熱心にしようと思えばできるのだけれど、本番にしか体験できないことはさまざま。

灰は形をきれいにすることを習うけれど、実際の茶事に使おうとすると、普段の勉強とは形が違うと感じます。見た目で美しいのは、炭をいれるとたいてい灰が浅すぎるのです。深くすると多少不恰好ではあるけれど、炭が落ち着きます。

切れ上がるような灰形も大事だけど、実際につかえる形って違うんじゃないのと思っています。本当にきれいにできたのに、炭おしつけて崩れました。どうぞ、見ないで下さいなんて有様です。

練習はいくらでもすればいいけど、本番では違うよと思うのは私だけ?

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茶事つれづれ、私の失敗談 1

そんなにネットサーフインしているわけではないけど、PCをやってらっしゃる方は若い方がおおいかも。
お茶に関しても、概ね熱心に勉強なさっていらっしゃるかたがネットにいらっしゃるのだと思う。勉強をかさねていらっしゃるかたを垣間見ると、熱心ですねと思いながら、また、いろいろ本で勉強していたことが、現実には自分が粗忽であるという事情もあるけど、失敗することも多く、これって実践してみないとわからないことも多かったねと、失敗を振り返ってみたいと思った。

まず、利休の時代の茶室は壁、戸障子でできている。さらに一般的な茶書は、京都、江戸を中心にすえている。
私が住んでいるところは、北陸、雪国である。建物は兼好によれば、夏を旨とすべし、ということだが、当地方では雪対策はかかせない。茶室とすれば、細い柱、朽ちているような風情も好ましいのだけれど、そして待庵の樋などは竹でできているのだけれど、雪対策が必要な当地では、茶室だというのに頑丈さが必要だし、隙間風はとんでもないということになる。

さて我が家で茶事を実施、木と障子の茶室みたいな気持ちでいると、暖かいのだけれど、全員が一酸化中毒になるかもという状態になる。ネットで心中を呼びかけて心中するのが問題になっているけど、それにあやうくなりかけである。
      炭置くはたとへ習ひにそむくとも湯のよくたぎる炭は炭なり
と利休百首にあるので、それっとばかり、炭をどんどんおこすと、ものの見事に一酸化炭素中毒予備軍。

亭主たる私は、立ったり座ったり、部屋の出入りをしょっちゅうするので、気づかないこともあって、お客様をあやうく一酸化中毒させそうになったことがあります。きちんと座っていると、お客様も気づかないのですね。さらに部屋に一度に冷気が流れ込むということになるかもしれないので、なかなか部屋の換気がいかないということがあるのです。

木と障子でできている茶室の換気は、実に自然でゆるやかで気持ちいいものです。でもアルミサッシでできた現代の部屋の換気は、難しいし、一時の空気入れ替えであんまり気持ちいい空間にはなりません。練習場とうか教場は大勢の人が出入りするし、八畳間の部屋でないとできない練習形態もあり、基本的には大きな和室が使われている。だもんで、換気はそんなに問題にはならない。茶室は小間である。換気の問題は重要である。さらに、風土にねづいた部屋は頑丈にせざるをえない。華奢な茶室もあるにはあるが、そんな茶室には鞘堂のようなものがある。そんな贅沢なことはいってられない。すると茶書みたいな話にはなかなかならない。

部屋の換気問題。部屋の頑丈さはどうして野暮にはなるのです。

こんな事情で失敗をするのだけれど、この失敗って、茶書を標準に考えているからだと思う。やってみたら失敗であるが、これから自分にあった工夫を考えるのである。

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出版記念会?

Dscf0047_1 初めての本が出来上がってきて、できはどうあれ、すこぶる気持ちいい。
そこで出版記念会と称して、主人、息子とも食事会、
フルコースにワインとすこぶるデラックスにしたのだけれど、
あれ~、これって私が食事代払ったぞ!
好き勝手なことをしているのを家族に認めさせるお詫び会?

感想
 息子、へ~本当に本になってるやん。なるんだね~本に!
  主人、売ってこいというなら、40冊までしか引き受けられんぞ。
売れるような本ではありませんて。でも売ってくれるなら、またしてもやってやろうかな。

今回の本はA6版、248ページである。
もっと量がふえるなら、版の大きさをもっと大きくすべきだな、とか写真はもっときれいに撮らないと無理だなとか、色々の反省点がみえてくる。本は好きでほとんどの日は、なにかしら本を読んでいる。大きさと量の比とか、まとめる基本とか、本の要諦がみえてきた。面白い経験である。

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稽古場

中村屋ダン之助さまが、現在ある会社の迎賓館を作られるにさいし、現場監督をつとめていらっしゃるとのことである。その中に茶室も作られるとのことで、さて私がいっている先生とjころの茶室というか、稽古場はどうなっていたのだったかなと写真を撮らせてもらってきました。

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Dscf0003_4 まずは冠木門みたいな門があり、ここはお稽古の人だけが出入りする門です。中にはいると、庭を通り、玄関に。

Dscf0004_6 玄関をはいると、コートなどをいれておく乱れ箱がおいてあり、ここに着てきたものを脱いで。

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庭を眺めながら入ります。まずは水屋にも利用できますが、ここで手をすすいで中に入ります。

Dscf0007_4 庭にはきちんとした蹲があります。蹲にいき、手を洗ったり、口をゆすいだりはなかなかしませんが。

Dscf0008_3 茶室の外まわりの庭です。茶室の外側には、見事なケヤキ材の縁があります。そして外縁が。ガラス戸は、柱と柱の間が大きな一面ガラスで、外はそのまますぐに見えます。

Dscf0009_2 待合です。ここにも乱れ箱がおいてあり、ハンドバッグなどをおいておいたり、靴下、足袋を履き替えたりします。

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今週の稽古は、風呂での始めての点前です。床には

  吹く音に 心いさめや 幣幟
                 南無庵 大夢
      江戸期の加賀の俳人  兜の絵があり、俳画です。

二枚目と4枚目は、水屋です。

ここで用意して、それぞれが薄茶とか濃茶とかを点てます。

塗りの丸蜀には、染付けの小さい水指でした。田山方南所蔵であったという非常に古いものでした。

稽古をさせてもらっているところは、5年ぐらい前に、家を建て替えられたおりに、まったく稽古を目的として建てられたもので、家族の生活の場とはまったく離れていて、玄関も門も全部そのために建てられています。そとまわりは全部茶庭になっているという贅沢な空間。

茶室を建てるという話で、もう一回、稽古場を見直してみました。柱は杉の面取り、床の間は松ではないかな、二間もある一枚板、床柱は赤松の皮付、待合から水屋までよく考えられている配置、贅沢な稽古場を使わせてもらっているとあらためて感謝です。

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座礼

裏千家当代家元が、「座礼」様式の茶道を発表されたと新聞に報道されていた。なんでも明治時代に、たくさんの外国人が招かれてきて、その時代にあった「立礼」という様式を発表されてより、初めての新しい様式とのことである。何百年の歴史の中でも、あぐらをかいてのお茶の様式は初めてのことであるとのことである。

あぐらをかく姿は、楽であるとか、ゆったりしているとか、くつろいでいるというイメージではある。私の子供のときは、父親は仕事から帰ると、必ず着物に着替え、卓袱台にみな座り、そこにはあぐらをかいた父の姿はあった。いかにも一家団欒、くつろぎというイメージであるが、今や食卓は畳に座るではなく、テーブルに椅子に座る、あぐらをみたことない風景である。

先日我が家で茶事を実施したが、初めて息子が参加したのだが、なにしろ足は痺れ、拷問ではあったのだが、じゃあぐらをかけるかになるとこれが全然駄目、あぐらなんてかいたことがないのですね。背中が曲がる、そっくりかえっていく感じ。あぐらはくつろぎにはまったくならない。お客さまで男のかたで、あぐらがさまになるのは、職人さん。ふだんあぐらをかいていらっしゃるので、さまになる。

あぐらをかいた姿にあわせて低いテーブルというか、棚も考案されているようであるが、今の時代、あぐらをかくのはほとんど正座ほどの拷問ではなかろうかと思ってしまう。朝鮮のかたのように、方膝をたてるという文化もあろうけど、あぐらっていう座り方は、他所の国ではどうなんだろう。

何百年の歴史の中で、あぐらをかくという様式は画期的であるとのことだが、正座が女性、男性にかぎらず苦手になっていき、そしてあぐらも同じようなものかもしれない。

あぐらの様式のお茶、受けるのか?

生活様式が違ってきて、お茶は正座が基本なので、精神的な意味ではなく修行になっている。修行も楽しいという人にしか受けないのだろうか。お茶の行く末ってどうなっていくのかなと思う。

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花の季節の茶会

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Dscf0013_4 春爛漫、桜の花が真っ盛り、花の季節に撫子さんが、茶りTEA茶会を実施されました。

城端別院の樹齢350年の糸桜を愛でる茶会です。別院では普段閉じられている式内門をひらいて、その糸桜をみせていらっしゃいます。老木は世話により、かろうじて命をつないでいる桜でした。

別院では寺宝も公開してのおもてなし。

そこで撫子庵の軸
     山寺の宝物みるや 花に雨
                                               高浜虚子
軸にふさわしいのか、軸のせいなのか、花ににわかに雨がたまに降るという天気でした。

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花にふさわしく、菓子器には桜が散らされている鬼さんの皿、御菓子はもちろん桜でした。

棗は城端で有名な小原治五右衛門16代の桜の蒔絵、この城端蒔絵は白漆が特徴です。棗に白が使われているのは、多くは卵の殻をはったものなのですが、この蒔絵の白は一子相伝と伝えられています。薄ピンクの上品な色の蒔絵で、席主さん初使いのものでした。茶杓の銘は「花吹雪」とか、さらに主茶碗の赤楽の茶碗は「み吉野」となずけられた、雲霞をおもわせるきれいな茶碗でした。

茶会会場に向かう途中、小矢部河畔の桜並木を堪能し、別院の糸桜も堪能、さらに、茶会会場ではさらに花を堪能、目までピンクに染まりました。

たまに雨が降ったけど、だいたいはぼっこりした花曇の日、春の一日、まさに桜花爛漫を十分に楽しんだのでした。

撫子さん、お疲れさまでした。

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行く春を・・・・

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Dscf0005 行く春を近江の人と惜しんだのは芭蕉でした。

お茶の世界では4月までが炉の季節、五月になりますと風呂になって、初夏のよそおいになります。

もう行く春です。今週の稽古風景です。炉には透木釜(11月からもう半年、炉にいっつも火をおこしていれていますと、灰がいっぱい、そこで釜は釣り釜になったり、桜の透木でひらったい釜を使ったりするのです。)が。

水指がお客様のほうの畳にあります。流し点てです。炉の名残というか、炉ももう御仕舞い、趣味的なさらさらとした点前が好まれます。花は母子草、掛け物は、竹内栖鳳のツバメ図です。

夏近し、行く春を惜しむ、というお茶です。

お茶は季節に結びついているのは、道具はもちろんですが、また花、御菓子などは申すに及ばず、季節の雰囲気をつかむということも大事だろうと思います。炉の終わりごろ、緊張したきちんとしたお茶ではなく、さらさらと動くというか草のお茶がふさわしかろうと思われる季節の感じを演出いたします。

草のお茶、さらさらとというわけで、今日は薄茶を点ててきました。こんな時は掛け物も一行物なんていうものものしいのじゃなく、待合掛けみたいな絵、あるいは画賛なんてのがいいと思っています。

さて季節を感じていただけるものになってますでしょうか?

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茶事

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Dscf0039 後入りなさって緊張の正客さん、正客さんは仕事柄もありましょうが、また金沢という土地柄もありましょう、お茶にはとてもくわしく、また色々くみとって下さり、非常に心楽しい正客さまです。

亭主、重ね茶碗を持ち出し、濃い茶を練っております。今回は正客さん夫婦、私のお茶の先生、茶友の撫子さん、Tさん、それに息子が加わり6名のお客さま。重ねた茶碗は、「春の夜の月」という歌がついている、伊羅保茶碗、畠山是閑のもの、大きさの関係で下になったのは、御本である。

Dscf0042 後炭の様子、正客さんが蒔絵師さんなので、香合は時期からいえば焼き物であるが、蒔絵の四角のものを使った。炭でかいたような蒔絵であるが、とぎきり蒔絵というのだと教えていただいた。丸いものと違って、四角のものは仕事が非常にむずかしいとのことであった。亡き姑が蒔絵が好きで残しておいてくれたものである、見ていただいてよかったと思う。

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Dscf0051 薄茶の様子、すっかりくつろいでなごやかな雰囲気が漂う。

干菓子盆は、前回の茶事にいらした折に、私の名前を回りに蒔絵で書いてくださり、作って持ってきてくださったものである。今回、お客さまに初めて披露したものである。溜め塗りといっていたけど、なかに金が塗りこんであるとのこと、使い込めば金色が浮かび上がってくるらしい、木地は前にいらしたHさん作とのこと、薄つくりの素晴らしい干菓子盆である。末客さんのところでも写真なので、一個ずつしかのってないけど、重ねてのせてあったときは、色合いがきれいであった。
桜、早蕨、蝶をかいたせんべいである、三種。

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名残見をなさっているのは、私の先生、さらに息子である。初めての茶事、足がしびれて拷問であったらしいが、実に心楽しい時の過ごし方であると喜んでいた。

Dscf0060 そして、みなお帰りになった茶室である。

森閑としているが、どこか空気が暖かい。

きてくださったかたとの一座建立、本当に楽しかった。

明日、ぶったおれている私に主人曰く、「もう無理なんじゃ」お茶って、どうにかできるようになると、足が、腰が・・・になって軽々とできるというわけにはいかないのです。

今回はお客様にきてくださっている撫子さんが、私のカメラで撮って下さいました。

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茶事

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Dscf0029 懐石は円能斎の掛け物にちなんで、向こうは鰆の一塩、汁はこいもとあおのり、煮物椀、赤大根、かも、ふきのとう、なめこ汁仕立て

と書いてあったとおりの料理である。煮物椀なんて田舎っぽくないかと思ったけれど、これがなかなかおいしいと評判がよかったのである。なめこ汁仕立てなので、味噌仕立てである。赤カブはよく聞くけど、赤大根である。

小吸い物は書いてあったとおり、ぎんなんである。小吸い物にぎんなんを使うなんて新鮮であった。ぎんなんを蒸して、細くきっていれてあった。

焼ものは、湯葉とあってびっくり。あなごを湯葉で巻いて、その湯葉に焦げ目をつけてあって、なかなかであった。

さてあの時代、文字通り一汁三菜である。しかし、進肴は二種作ってもらった。円能斎の時代、懐石って、文字通りの懐石であったらしい。貴重な体験であった、今時の料理と違って新鮮であった。料理屋は頑張ってくれた。

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主菓子は、「山の春」中尾清月堂製

菓子器は小伊万里の蓋物を使った。

Dscf0036 銅鑼で後入り、床の間の花

ひゅうがみずき と わびすけ椿である。
花生けは、銅です。

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茶事

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Dscf0016_1 4月1日我が家で茶事を実施いたしました。季節は春、花の季節ですが、今回はあえて「遺徳を偲ぶ」というテーマで茶事を実施しました。

まずは寄り付き、座敷です。「遺徳を偲ぶ」本席の掛け物にちなみ、ここでは大津絵の代表的な絵柄「鬼の念仏」をかけました。泥絵の具で稚拙な感じの絵ですが、三井寺参詣の土産になっていたという絵、土産ですので、大事にされていたというわけではなく、古い大津絵はなかなかないのだということです。こんな稚拙な絵?なかなか決心がつかなかったのですが、今回は本席と連動しているかな?

今回は正客さんは、金沢の蒔絵師N さん夫婦、そんなわけで蒔絵の文台、硯箱を飾りつけ、お出迎えです。

Dscf0018_1季節は春、桜茶の香煎で口をさっぱりしてもらいます。

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待合にすすんでもらいます。

待合の掛け物は、円能斎の茶事の懐石の献立を書いたものが手にはいったので、それをかけました。

春の網椀  隅きり折敷 と一行目にあります。今回は、料理屋さんにこの料理を再現してもらうことにしたのです。頑張ってみますとの言葉、さてどんな料理になってくるか?

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本席の有様です。本席の掛け物

西本願寺の門主 大谷光瑞(大谷探検隊を組織してシルクロードを探検)の 玉葉満枝明 の色紙
西本願寺の連枝寺で、国の重文に指定されている、伏木勝興寺の18世、金剛院沢映の歌短冊二枚の張り混ぜ、ちなみに勝興寺は現在22世である。一首はおうちの木の歌、一首は梅を読んだ歌。

本願寺、念仏ということで待合に鬼の念仏を選んだものである。

さらに、塗り板に飾ってある水指は、弁柄に金銀をやきつけ蓮の紋柄の鬼さんのものである。作者さんは花生けに作られたらしいが、絶対水指、しかも塗板にと思ったものである、蓋は塗りの少し落とした蓋、お茶やにおよれば違うとのことであるが、高さからいっても、絶対少し落としたほうがと私が粘ったものである。風呂先は蒔絵、松竹梅の図柄。本願寺は禅宗の寺と違って、親鸞からの直系とおいうこともあって、貴族的というか華やかな感じがする、そこで華やかな水指、また華やかな飾りつけがいいかもと思ったのであるが。

Dscf0026 炭点前、今回は釣り釜、こあげ、おおあげも忘れず、炭点前はすすんでいった、のちほど、後炭もしてみたのだが、緊張感がとぎれたこともあり、ミスを連発、後炭は亭主の力量が求められるなんていうのは、本当のことでした。

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パーテー

Dscf0002_4 穴窯を使って焼き物をしてらっしゃる作家さんの個展が開かれ、その打ち上げパーテーにいってきました。

この作家さんを応援している道具屋は、作品はその使い方次第で作品がいきあがると信じていますので、大きな花生けには豪快に椿をざっくりと。

Dscf0006_1 葉型皿、向こう付けにいいかも。葉型皿は使いやすいというか、モチーフとしては大抵の作家さんがとりかかっていらっしゃるようですが、小さい皿ではなく、大きな俎板皿にちかい葉型皿には牡丹餅があり、豪快でした。見るのも楽しいけど、料理が盛られていました。

Dscf0008_6 でっかい鉢には煮物山々、この鉢は生地があつく、煮物がいつまでも冷めないのでまことにいいものでした。この鉢、つぎ何に使う?と聞いたら、風呂にいいかもとか花を生けたらとか、発想はまことに柔軟、容器とか作品とかは作家の手から離れたら、その使い道は手にいれた人のセンス、これは生き方によるねという話です。

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料理さまざま。この道具屋の料理はある意味最高の贅沢というか、材料は全部あの人、この人が作ったという地産地消のさいたるもの。おにぎりの米は今時めずらしい、はさぼし、地方のものはそうかというだけど、都会の出版社の人なんかだと感激して涙物だぞという話でした。

実際おいしい、玄人の料理とは違うけどほんとにおいしいのです。

さてこの道具屋でならったことは、焼き物は作品そのものではなく、実際に使う人の生き方、センスに裏打ちされて色々な使い方がされてこそ意味があるという話です。鎌倉時代の窯跡からでたという、熱でねじまがった大きく欠けた鉢に、座りが悪いので座布団にすわらせて、ざっくりと花が生けられていたのを見たことありますが、このわれた鉢に入る釜をみつけた、名残に侘びた風情でいいよという話も聞いて、またしても興味津々です。

作家さんに土味のこと、穴窯と登り窯の違いや特徴など話はつきませんが、もちっと勉強するようにといわれたのは痛かった。

道具好きの仲間とまたしても会い、あれやこれやの話はつきず、でもおいしいので腹いっぱい食べて、腹も心も満ち足りた一夜でした。

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建国記念の日

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Dscf0003_2 今日は建国記念の日、

支部の初釜に参加してきました。

建国記念の日にふさわしく、濃茶席の床

近衛忠煕卿筆  懐紙  詠  寄国祝
    あおぐとも いやたかかれや くもりなき
      この日本の くにのひかりは

花入れ  古銅象耳付
花     牡丹
と格調の高いもの

参列者のみなさま、熱心に道具に見いっていらっしゃいました。

初釜ではなく、花見の茶会のような天気で嬉しくもあり、心配でもありと席主さんの挨拶でした。

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掛け物

Dscf0003_1 暗めの画像でよくわかりません。油絵のようにも見えます。実際油絵ならば、こんな画像もあるかもしれないけど、日本画、しかも座敷、床の間を飾る掛け物に、こんな画像ある?あんまり珍しいので撮らせていただきました。

画像、トマトの絵、トマトだらけ、トマトが万年豊作という絵です。この軸を持ってらっしゃる家は、稲、野菜を作っていらっしゃる農家なんです。その家の近所に引越しなさっていらしたかた、いわゆる町の画伯、日展にも何度か入選なさったことがあるとか、まあ画家としてはまあまあかな、其の方と懇意になり、手持ち無沙汰なので絵をかかせて欲しいといわれたらしい、軸とか絵にはまったく知識なし、そこで其の家のかあさん、「百姓をしている自分にふさわしい、野菜を描いてもらったらどうだろう。トマトが好きだから、トマトの絵を」かたや町の画伯「いいでしょう。描きましょう」というわけで、力作、「仕上がってきたから、見にきて」

12畳もあるでっかい座敷に鎮座している軸は、其の横がまたでっかい200代もある仏壇の横、拝見、絶句しました。

篭にもられたおいしそうなトマトなんてのではなく、全面トマトだらけ、トマトが何十あるのか、あるいは何百かもしれない、トマト、トマト、トマトだけ。彼女「もっとおいしそうに真っ赤に熟れたトマトにしたほうがいいのでは」「それは上品にならないので」というわけ。緑と赤って補色、クリスマスカラーではありますが、一番落ち着かない色の取り合わせ、そんなわけで青いトマトが、びっしりと、そしてほんのり色づいたトマトがいくつか、という構図

思うにまったく知識のない彼女の注文に、町の画伯、注文主の期待に忠実にそのまんまこたえた図ではあると思います。

知識ある人ならば、きっとこんな注文はしないでしょう。そして描く人がプロならば、こんな描き方はしないだろうなと思ってしまうのです。だから見ると見たことがない図柄で構図なのです。

でも油彩のような掛け物、妙に力強いのです。でっかい座敷に、しかも柱、天井など全部漆塗りという重さが感じられる座敷に似合っているというか、茶掛けのような繊細さとか、枯淡な洒脱さというのではまるでないけれど、農家の座敷にふさわしく、また其の家の生きかたまでわかるというか、とってもふさわしいのではとしげしげ眺めたものでした。

プロならばこんな絵を軸に描かないだろうなと思いつつ、新鮮な創造の力というのは、既成にあるものを美しくなぞるのではなく、いってみるなら素人の発想と素人の無茶で成り立つのではと思ったものです。

補色という実に落ち着かない色の取り合わせ、下品になりがちな色の取り合わせが大きさと部屋の様子で力強いものにかわったのを拝見した気になったものです。これはこれで傑作なのかもと思ったものです。

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炉開きの茶事   7

後礼

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今回の茶事を終えた次の日に、ご丁寧に後礼にいらしたかたが二人いらっしゃいました。そして手作りの品、作品を御持ち下さいました。

最初の写真、ほうずきの香合、左側のはまったくほうずきのまま、何も塗料は塗ってありません。そうなので少し色がさめた感じですが、また自然の美しさかなと思います。ほうずきを半分に切り、中を麻の布をはって漆でかためたとのことです。座り部分も漆でかためてありすわりもいいものです。右がうすく何かはわかりませんが、塗料は塗ってあるとのことです。細い幹があぶなっかしく、折れては大変、しまっておくのも大変です。

二枚目の写真、干菓子盆です。とても軽く、まわりに字を書いてあるのですがなんと読むのかわからない、こんどまたお客さまに来てもらい、その時に本人さんから解説してもらう楽しみにとっておきましょう。軽い薄手のしかしきりっとした美しい盆です。心をこめて作られた作品を下さったわけです。

茶事当日、皆様それぞれに心をつかってくださり水屋にまでこころをかたむけてくださり恐縮だったのですが、また楽しかったと翌日訪ねてくださるというのは、今回はじめて体験しました。後礼は手紙で行うこと多く、当然そんなものと翌日は留守にしており、ほかにいる場所を尋ねてくださったのですが、余韻のないことをしてしまったと反省しております。茶事、翌日にいたるも余韻を楽しむ、茶事本来の姿を思い起こす機会になりました。本来は余韻を楽しみ、茶室にお通しすべきでしょうが、茶室は夢の跡と化し、炉には火もはいっていずという有様、しまったと思ったことでした。ほかの場所で、しみじみと私は心はほっこりと、でもへろへろになってぼんやりとしていたのでした。

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後礼にいただいた礼状です。最初の礼状、大きな和紙に立派な絵があり、散らしも美しい墨書きの手紙です。こんどの茶事には、時代の消息をかけましたが、時代のてなれた候文の散らし書きもよかったけど、こころのこもった手のかかった手紙をいただき、ありがとうといわれると本当にお呼びしてよかったと思います。そして充足感でいっぱいになるのです。一芸に秀でた方ってなんでも器用にこなされるんですね。絵の具もいつも用意なさっていらっしゃるのでしょうか、嬉しい礼状でした。

二枚目、巻紙に認められた礼状です。巻紙って用意してあるというだけでなく、散らしも美しく、こんなのを水茎うるわしいというのではないかなと思います。こんな礼状をお茶と関係のない人に見せたりすると、習字から習いにいかなくてはという話になって、そんなことをしなきゃならないならやりたくない、あるいは浮世離れしているなどと言われたりすることもあって、なかなか真意を伝えることはできません。巻紙でなくては、あるいは絵を書かなきゃとか、あるいは歌の一つもなどと思うと敷居が高くなって楽しめません。今回のお客様はみな心得ていらっしゃるかたばかりだったので、こんな形にはなりましたが、自分のできる範囲で感想を素直に述べたい、そんな気持ちで臨みたいと思っています。立派にと気持ちばかりがたち、どうしようか、明日こそ、明後日こそと思っているうちに日だけが過ぎていき、実は心はあるのですが、表現できませんでしたといういいわけは見苦しいだけです。上手にかけないのなら時間だけでもと、手紙の旬を守りたい、それだけの気持ちでいいかなと思っています。何回も茶事をしていますが、来るとも来ないとも返事なく(当然来るからなのか)終わってからもなんの感想もないのはなんとも味気なく、そんなお客さまは絶対二度と呼ばないと思ってしまうのです。

今回はみな気持ちのいいお客様ばかりで、心底楽しめました。満ち足りた思いです。あまりに満ち足りて、こころが一杯、そんなわけでブログになかなか向かえませんでした。一種の虚脱感です。連客にこころせよという言葉の重さを今回ほど感じたことはありません。亭主八部お客二部などとも言われます。私が楽しんだことをお客様に感謝したいと思っています。

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炉開きの茶事  6

後入り、濃茶

銅鑼で後入りしていただきました。今回お客様は五人、大小中中大と銅鑼をならしました。粛々と皆さん後入り、床は掛け物をはずし掛け釘に竹の花生け、椿をいけました。前日雨の中をつみにいってくださった椿のうち、祐閑寺名月、これは津幡の町の文化財になっているものとか、さらに加賀侘び助をピンクと白です。

釜  古天命霰釜
    この時代の古い釜の霰は凹凸が薄く、後の時代のするどいつくつくし    
た霰とは随分違い、古い特徴ですねとは正客さんの言葉でした。鉄が一部はがれたようになっていて取り扱いがあぶなっかしい釜です。

水指を一つ置きに、水指のまえには茶入れを飾って

Dscf0007_5 この写真は水指のまえに茶碗、茶入れを置きあわせたところです。

水指は常滑焼、種壷です。蓋は塗り蓋をあわせています。種壷、室町時代のもの、もちろん種壷として使用されていたもの、作られた時代に日常的に他の用途に作られた雑器であったもの、いわゆる茶道用に作られた水指とは全く違い。、いかにもごつい、しかし焼き締めたもので灰のかぶったところが一部ビードロ化していかにも侘びていて、この季節にふさわしいと感じだしてみました。

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茶入れです。この茶入れは随分前から所有しているのですが、今回箱が壊れてしまいどのように直してもらったものか、はたまた新しい箱を作るべきか道具屋に相談しにいったところ、私は失念していたのですが、箱の裏に箱書きがあり、それを調べたり茶入れを見てもらったりしたところ、掛け物をだした小堀遠州の次男の小堀権十郎のものと判明、年代も貞享とありこれは元禄の前の年号、325年ほど前に箱書きされたものと判明、いままでなんということもなく使っていたのですが、花押、年代みんなはっきりしてなんだかひどく得した気分です。茶入れもおもわず輝いてみえる感じです。それも偶然とはいえ、親子のものをお出しできなにか因縁めいたものを感じます。今回の茶事は薄茶のところで使う茶箱、この中身を蒔絵の工芸家のかたの三代にわたる品物をそろえて、初代のかたからいただいていた宿題を三代目さんに見てもらいたいという思いがあったものですから、濃茶まで親子のものを取り揃えることができたのは偶然ではありましたけど、本当に嬉しいことでした。道具屋では目が利いているというより、幸運ですねと。お客様は執着する思いが引き寄せたのですねと。

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濃茶をお出しした茶碗です。最初の茶碗は古萩、この茶碗は金継ぎが何箇所もあり、その金継ぎがあたかも景色のようになっています。目跡もきれいな景色になっており、あらためてお客様にみていただきました。大振りで円が歪んでいますが、たっぷりとしたしかも堂々とした姿の茶碗かと。陶芸のTさんから釉薬のかけ方の妙味、高台、いろいろ見所をおしえてもらい、皆さん話に花開いたものです。

ニ椀目、陶芸家で一号の人間国宝になった当地出身の石黒宗麿の天目釉の茶椀です。茶碗の縁のそりが薄く、すこしそりあがっていることで茶碗に力強さがでてしかも飲みやすい、鉄釉のながれが美しいなどとTさんの解説がありさらに盛り上がったものです。

今回は亭主が出した道具につき、専門家の詳しいかたばかりでの茶事、亭主つまり私はほうそうですかなどと感心して嬉しがっているという、いつもの茶事とは大違い、道具に一つ一つが嬉しがっていきあがっていると感じました。とかく茶事といえば、一方的に亭主の道具でそれにあまりあれやこれや言ってはいけないような感じで、お互い緊張のうちにということが多く、そうなので大寄せの茶会でもあれあやこれやいってはいけないと思われるのか、終わってからあれはなんですか、これはなんですか・・・・になりがちです。今回は道具がそれぞれ参加しましたというかんじで、とても面白いと思いました。

時はうつろい、濃茶が終わってから、もう一回中立ちをしてもらいました。

薄茶

部屋は広間におこしいただき、再度の後入り、
薄茶です、今回はお客様全員に色々な意味で参加していただき、茶箱、月点前での薄茶です。

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床のかけもの、

山里にすめど茶菓子に毎足りる
     松風の音  落雁の声  
            馬琴
丸い月と思われるあるいは円相といっても、そのなかに雁がわたっていく絵がかかれています。

Dscf0014_3 薄茶席でお出しした煙草盆

昔のおじいさんが持っていたような茶入れとキセル、これはいつか使いたいと道具屋で買い求めて持っていたもの、さてそのキセルをどんな形でだしたらいいものか、ずっと考えていまして、あまりにぴったりなお盆をみつけました。我谷盆です。白州正子が用の美でなによりお美しいと絶賛して、本物がほとんどなくなってしまったという盆です。我谷村というのは山中からずっと山にはいったところで、現在ダムの底に沈んだと聞いております。栗の木で山のひとが冬仕事に、のみだけで木からほりあげていったというぬくもりのある、ごっついお盆なのです。火入れは伊万里の古いものです。キセル一式は紙縒りを編み、それを漆でかためたものであるとのこと、雁首は銀で彫刻してあり、メノウの珠もおちないようについています。今は使われなくなった愛着ある道具、今度茶事に使ってみましたが、アイデア抜群とけっこう受けたものでした。

Dscf0021_4 茶箱です。

棗、香合の蒔絵  正客のNさん
振り出し    Nさんのおじいさん
茶巾筒、  煤竹に蒔絵  蒔絵はNさんのお父さん
結界、木据え  Oさん
棗、香合は黒柿で挽いてもらって作ってもらったもの  Hさん
お茶  撫子さんちの「機の音」

Dscf0011_5 茶碗は各種

茶箱には古唐津、この茶碗は唐津の見所をすべて備えているとのことで、たとえば皮鯨、稚拙にみえる絵、はじき、縮緬皺高台のところなど、箱があまりに傷んでいるので今回外箱を作ってもらいました。塗りの箱、次第がととのっていきます。外箱に書く字体は中味の茶碗によって違うのだそうで、どんなのが?と聞かれ、お任せしますとしかいえなかったけど、約束ごとは色々あります。

この写真は石黒宗麿といっしょに人間国宝にえらばれた民芸の浜田庄司の茶碗です、沖縄でやかれたもの、ざんぐりとした茶碗、どうみてもご飯茶碗にしか見えない、

色々な茶碗をお出しして、それぞれリクエストで二服、三服とあがっていただきました。

そして茶室では名残をのこし、べつの部屋に移動していただいて、水菓子とお番茶で、さらに話はもりあがり、皆さんそれぞれ思っていらっしゃることさまざま、お茶をやってる撫子さん、手伝いの友達、さらに私の三人は普段はきけない道具作りのさまざまを興味深く聞く機会であり、工芸のかたがたは使っている現場というものを聞く機会であり、双方話はつきず、談論風発あんまりたのしくて時間はどんどん過ぎ、気がつけば晩秋の日はとっぷりくれたのでした。

本当に楽しい茶事でした。

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炉開きの茶事   5

炭点前

ろだんに種火が3っつ、この種火に手順どおり炭をいれていき炭で景色を描きます。胴炭、ぎっちょ、管炭、点炭、さらに白い枝炭できれいな景色を描きます、さらに湿灰で景色に変化をもたせます。

炭点前が時間通りきちんと行われないと上手に火はおきず湯はわきません。あまり早いと火は十分おきていず、遅いと灰になってしまってまたおきません。お客さんの席入りと火をおこす関係は微妙です。あまり早くいらっしゃると火はまだですし、遅いと火はすでに灰になっているかも。席入りをきちんと決めて何時にお越し下さいというのには大いなるわけがあるのです。何時ごろというのではなく、きちんと指定される、しかも時間は厳守する必要があるのには次々こなしていくことに合理的な意味があるからです。ですので時間指定で居丈高に感じる方がいらしたとしても、なんとしても時間は厳守したいものです。今回は皆さんきちんと時間をお守りくださり、予定通りすすみました。

炭で景色を描いてから香をたきます。今回使った香合は染付け手のついた隅田川という型物香合でした。お客様のTさんが現在香合を作っていらっしゃるとのこと、蓋の合わせ目のゆとり、大きさ、使用感などをたしかめていらっしゃいました。参考になったとのことよかったです。

懐石

炭がおき湯がわく間の時間を利用して懐石をお出しする。折敷を一人一人に持ち出します。一文字のご飯と汁をいただき腹をおちつかせて、向こう付けでまずは一献、向こう付けは志野四方深向こう、こんどの茶事のまえに調べてもらったら江戸後期の志野と判明したもの、中味はふぐの紅白まきでした。料理は今回は料理屋さんにきてもらいました。何回もお願いしてしていますし、茶室の前まで運んでくれる水屋手伝いの人とも呼吸があうようになりまして、スムーズにいくようになりました。

煮物椀  乾漆六歌仙柄椀  かにみそ豆腐
焼き物  さわら西京焼き  お客様のTさんの葉型皿、朴の葉とのことでし  
     た。
預け鉢二種  たきあわせ 葡萄絵沈金輪島沈金大平に
         和え物    京焼き椿紋鉢
小吸い物   八寸 烏賊の黄金焼、ゆりね  香の物  など

今回男の方のお客様が多かったので酒をたっぷり用意し、預け徳利(北出塔次郎)もお出ししましたが、この頃の時勢、さらにみなさん緊張なさり酒をあまりあがられなかたのは残念なことでした。

Dscf0020_4 お菓子をあがっていただきました。大野屋御製「通天」となずけられた紅葉の練り菓子

菓子器、瀬戸焼州浜、江戸中期のものであろうかと。

そして中立ちをしていただきました。

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炉開きの茶事  4

待合

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待合の掛け物、狩野探雪「布袋図」寄付きで季節を感じていただきましたので、さらに季のものを重ねるのはまずいというわけで、布袋図を。

待合では本来花は生けないのですが、たくさんいただいた花を無下にしたくなくたくさんの花を。花生けは漆桶。この部屋では火鉢に火をおこしていれました。もっと寒くなると火鉢ぐらいの火では暖かさは足りないでしょうが、見た目の温かさと火鉢の暖かさでほっこりした気分になったものです。

ここで湯をあがっていただき、口をさっぱりしてもらって、本席にはいっていただきます。

茶室

Dscf0006 本席の軸

小堀遠州消息、淀や宛て

小短冊殊に見へ申上候
江州いは山
  やへやへのおとらと
                   存申候
雨天前 昭乗いよいよ快気と申来候
又いつぞやよそからかり申候
物の本
   うつさせ給候へと
申人出来候処
  ぬしよりとりに来り申候
          かしく
  玄箇庵      宗甫
              座下

この軸を読むにつけ、解読にはK先生をお願いいたしました。急にお願いしましたが、その場で読み下してくださりおおいに助かったのですが、茶会が終わってからさらに懇切丁寧な説明にまた訪ねて下さいました。いろいろな事情も仄見え楽しかったのですが、さらにこの消息の中に出てくる昭乗のことにつき、遠州が伏見奉行をしていたおり、昭乗を伏見によび名医による治療を受けさせたという史実があり、昭乗(1584-1639)の晩年のこととして考えられ、この消息は1630年代後半に書かれたものでしょうと、Yさんが教えて下さいました。そしてこの消息がかかれてやがて400年近くなるのですねといわれ、あらためて驚いております。

前に、石川県立美術館で「畠山記念館展」が開かれたおり、国宝の茶碗の「早舩」についている消息で、美術館の学芸員のかたから、言葉の一言を頼りに書かれた年代、出てくる人物の年齢を推定して、文言の中味に深く立ち入ることを教えてもらいましたが、今回も史実をてがかりに書かれた年代を推定して、その人とのつながりなどを推量することをあらためて教えてもらった気がしています。古筆の消息などは、ただただ、その作者を思ってかけているだけと思っていたのですが、本来の消息というのは当事者同士のやりとりなわけで、そんな中味に立ち入ることができるのは実に面白いと感じました。掛け物をみて、は~遠州ですか、なんていうだけではなく昔の人の息吹を感じる、あらためて消息の面白さを教えてもらった感じです。

いろいろ物知りのかた、勉強をしていらっしゃるかたと知り合いになれてたくさんのことを教えてもらう楽しみもまたお茶を通しての楽しみです。

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炉開きの茶事

11月12日(日)炉開きの茶事を実施しました。

お客さまは、Nさん加賀蒔絵師
        Hさん城端木地ロクロ師、Nさんの棗などを挽いていらっしゃる
                 Tさん九谷陶芸
        Oさん 指物師
        撫子さん、かねてよりの学友

今回使う茶箱は30数年前に手にいれたもの、茶箱には中味がまったくはいっていませんでした。その中味を整えていくのは究極のお茶の道具集めの楽しみであると言われますが、30数年前にはそんなことには無頓着でした。ただ道具の手ほどきをしていただいたNさんのおじいさん、初代の蒔絵師のかたは、「なかなか揃えていくのは難しいでしょう、できますかね」などと言われ、それならやってみましょうと小さな闘志をもやしたものでした。いわゆる利休型ではなく、少し小さめ、そうすると中にはいる道具は探しても探してもみつからない、そして茶箱は黒柿に蒔絵、多分100年はたっていようというもの、時代と材料の按配も考えなきゃならない、こんなことを納得して外装にふさわしい中味を整えるのは楽しみではありましたが、30数年かかりました。

結局Hさんに棗を挽いてもらい、そして香合も挽いてもらい、Nさんに蒔絵を描いてもらうことになりました。茶箱の秋草の柄にあわせ棗には鈴虫を、香合には遠山に雁が飛んでいるさまを描いてもらったのでした。

さらに茶箱の中にはNさんのおじいさん、お父さん、そして本人と三代の蒔絵がそろい、出来上がった茶箱の発表会の趣

今回の茶事には、道具にまつわる工芸のかたがたの作品がお互いにどう結びついているかそれを見ていただきたいと思ったのでした。茶事というと席主とお客さまという立場で、一方的に立場が固定されているけれど、そうではなく全員が茶事に参加する、全員が席主で全員がお客、一座建立ということをやってみたいと思ったのでした。撫子さんのお茶をいただきながらです。

皆さんのそれぞれの仕事がお互いをいかしあって、それを私が統合する面白さ、主役は誰でもなければ、また道具が一つだけ突出しているわけでもない、

30数年かかってようやくゴールできたかと思う茶箱の完成、その道具に携わってくださったかたがたと語り合う面白さ、それはまた工芸のかたが実際に使われる立場に立ち会うことでもあり、またほかの道具とのつりあい、引き立てつつきちんと自己主張している道具がほかのかたのものに負けないという自負心もみられ、本当におもしろい機会となりました。

製作者と道具と使う人とのごく短い距離、昔は当たり前にできたことが今ではできなくなったこと、それを統合してみたい、そんな人とお茶をやってみたい、今回の茶事はまずはそういうところが目的でしたが、それはお互いとても面白く、ある意味勉強会の趣でもありましたが、いわゆる茶人との茶会とは全然ちがい、でもかえって茶味を十分感じる茶会になったと思います。

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一番目の写真が茶箱と其の中味

二番目の写真、茶会の2日前に出来上がってきた棗、鉛で鈴虫を描いてある、香合は蓋裏に雁が一羽、箕に小さなちっさな遠い山に雁が5羽とんでいるという繊細な柄、香合の大きさは3CMしかない

三番目の写真、振り出しが初代の松逸の蒔絵、茶巾筒は煤竹、それに薄の蒔絵、露に銀の粒が、これは二代目松逸の作品、棗と香合が三代目優さんの作品、

これに茶碗は古唐津、替え茶碗が、おいでいただいた方々の作品など。

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茶事によせて  7

さあ明日になった。花はじつはとても準備しにくい、そもそも茶花は育てていないし、花には嫌われているような気もしてます。花の名前を覚えられない、そんなわけで花はたいてい人に頼み込むことに

朝から時雨模様の中を合羽をきて椿を探しにいってくださったかたがいます。私のお茶を応援してくださるかたです。とても珍しい椿を持ってきて下さいました。祐閑寺名月は津幡町の文化財になっているそう、白の椿で先がほんのりピンクになっているさても上品な椿、加賀侘び助、西王母と豪華にも三種類、あ~、悩んでしまう、どの椿をいれよう、花生けは竹の一重切り、後入りのときに当然掛けることに、

花は用意が大変だけど、こんどは花を丹精していらっしゃる人に頼むので、それは大切そうに色々な種類が届けられる、椿の人とは違うひとに頼んだところ8っ種類もの花が届いた。その心を無下にしたくないので、本来は待合にはいけないのだけど、ままよと備前焼の船虫徳利をだしていけて見る、

薄茶席の花生けは漆桶、口が大きいので五種類の花をいれることに

茶席の花は足すのではなく、引く、たくさんの花を前にしてばっさりとはさみをいれる心苦しさ、

季節からいうと冬をまえにしての残花、少しの花をいれ、ゆく季節を愛でるという気持ちからすると、もりもりの花はまずい、でもきれいな花がいっぱい寄せられたんです。心はちじに乱れるなんてのは大袈裟ですが、とかく過ぎたることになりがちな花、少しの花で大きな自然を暗示する、そんな茶花の目的を再確認しつつ、今の季節をあらわす茶花、茶席の一部として演出したいと思ってます。

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道具屋の茶事

男同士の真剣勝負

11月2日の夜、ある道具屋さんの茶事に呼ばれていってきました。正客は平成の名椀100椀にも選ばれていらっしゃる伊羅保茶碗の名手であるHZ先生、其の先生の弟子にあたる人二人、美術館の学芸員をしている人、道具屋の同業の人、ならびに其の奥さん、道具の収集家のお医者さん、茶人一人、それに私、ほとんどは顔見知りの仲間内、そのなかにいれてもらいました。

男同士の真っ向勝負というような茶会、はじめて経験しました。まずは掛け物は前田利長消息、月にちなんではまあいいとしても、脇にかけられていたのは千代女の、親友以上の友をなくして、あとには秋の花がのこるだけというような愛惜あふれる俳句、名残を美しいというような中味でなく、人の死を悼むというような俳句でその名残をあらわしているというような、ひねくれた取り方、こころあたりから、よくよく見ないとというような有様、しかも花生けは平安時代の須恵器、それに糸菊を一輪、船板にはおおやつれの鉄風呂、瓢箪形の釜が、備前の水指でした。

なにより驚いたのは、出された菓子器、白鳳時代とかいう青銅器にしかみえなかったけど、中味は赤銅か?、正倉院御物の一つではないのといったていのもの、撥高台がなどとどなたかが言ってましたが、私は恐れ入るばかりでした。

茶碗は斗斗屋をはじめとして、もうわけがわからない、鎌倉時代の山茶碗なんて私は初めて手にしました。

あかどべの丹波の大きな壷に白玉椿が一輪だけというのもしゃれていました。

食事は亭主が山にいって自らとってきたという自然薯、客の一人が自分の船をだして釣ってきたという魚、一畝に一つもとれないという巨大なサトイモが椀のなかにどっしりと、ようするに徹底的に食材にこだわったというある種の美食クラブの趣、酒はなんとかの酒でしたが、酒器にはこだわりが、初めて鶏龍山という焼き物の徳利を見ました。本でだけ知ってました。朝鮮のものだそうで、これで酒を飲むとそれは味まで違うのだそうです。てんでの酒盃を好きなのをどうぞといわれ、私が手にしたのは青木木米のものでしたが、正客さん、宋時代の盃をてにしてこれでは酒がおいしくない、この酒器には絶対唐津などといい、指図されてそんなの出すわけもなく、どうだと出してこられてみんな爆笑したのは、古染付けのこれって茶入れにするのではというようなもの、これで飲めるか、お~飲んでみせようといきりかえって飲んでらっしゃいました。

古染付けの向こう付けはてんでに色々、次々出される料理は朝鮮の焼き物、桃山かというような鉢に次々と盛られて、そのつど教えてもらったのだけど、もうわけがわからない

圧倒的に知識該博な正客と亭主がもう切り結んでいるような茶会でした。どうだと出せば、なんのこれしき、じゃこれでどうだといわんばかり、

真剣な男の勝負、しかも遊び、じつに面白い経験でした。

もしかして数寄者といわれる人の茶会ってあんな感じかなと思ったのでした。

何十年お茶を続けていても、それは手前手順を何十年も続けているだけのことになってる場合も多いわけで、女性の行儀のいいお茶とはまったく違う茶の世界もあるのだと経験しました。

真剣勝負の遊びと感じました。面白い人との付き合いができてまた面白いです。

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茶事によせて  5

心に残った茶事

今まで何度も色々な茶事に呼ばれたことがあります。みんなそれぞれにすばらしく色々な思い出があり、心が豊かになる思いです。新しく茶室を建てられ、茶室開きに呼ばれたこと、新しく釘をうたれ、木の香のする茶室で心入れの新しい道具に包まれた緊張感あふれる茶事であったなとか、道具屋の道具遊びというか、打ち込んできたような茶事も面白かったしとさまざまな茶事を思うのですが、ゆったりと心がほっこりしてくるような茶事ってあれだなと思います。

茶事に呼ばれて、その席では本当に立派な道具のあれこれ、さらに席主さんが炭手前から濃茶、薄茶はもちろんですが、懐石まで自宅でお作りになり本当に心をいれてもてなしを受けたことは、勿論嬉しく感激でした。それも勿論でしたが部屋にはいったなり、畳も新しくなっており、障子も張り替えられ、すがすがしさが満ち満ちていたことが心に残りました。帰宅してからすぐ礼状を認めました。心入れに対しての感謝に、畳、障子のことまで書いておりましたら、「自分の心をこんなにも掬ってくださって本当に嬉しい、ゆっくり語りたいのでお越しになりませんか?」とまたしても嬉しいお誘い、

文字通り一客一亭のお茶を経験しました。きちんとした設え、そしてまたしても見たことがなかった大事な茶碗を使ってのもてなしでした。一客一亭あこがれていましたが、ひょんなことから実現しました。ゆったりお互いの心が流れていくような気がしました。お茶を点ててもらっただけではなく、また亭主のために私が点ててあげました。お菓子をいただき、お茶の楽しみを語り合うひと時、お茶の醍醐味があったと思います。

たった二人ですが、こんなのを一座建立というのではなかろうかと思ったものです。

自分が席主になるとき、あんな気持ちが流れる席を持ちたいと強く思ったものです。一人一人に向き合う茶会でありたいと思っています。できるかな、自信はないけど、私が経験したあんな気持ちを来ていただくお客さまに持っていただきたい、そんな風に考えています。工夫、心入れ、自分なりに頑張りたいと思っています。

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茶事によせて  4

窯元は?

茶席で焼き物の「お窯元は?」と聞かれることはしばしば、新しいものでは作家や釉薬などを話題にしています。この頃では作家さんが時期によっては色々な釉薬を使ってさまざまな焼き物をなさるかたも多いので。

昔のものでは窯元という言い方で話題にすることが多いです。こんどの茶事に使おうと思っていたもので、いわゆる焼き物の産地はこうだろうと思っていたもので、時代性とか、釉薬とかどうなんだろうと焼き物に詳しいかたにそのものの写真をとり見てもらいました。私はさしたる知識あるわけではなく、いってみるなら感というか、呼ばれたような感覚とそれから勿論私が手をだすことができる価格ということが大きな要因になっており、使うようになってから、さてこの焼き物は?という有様

詳しいかたに教えてもらうことはまことに楽しいだけではなく、時代による窯の有様とか、それゆえに焼き物にでてくる特徴が時代と密接にかかわっていること、釉薬の特長とか、そしてその釉薬がなんと呼ばれているのとか、さらに土から焼かれたところまで推察していただき、そうするとその時代も当然推察できるわけで、本当に面白くわくわくしてしまいました。さらにそのかたの推察をまた一方の専門家に実物を見てもらい、そのかたの推察をあとおいしてもらうにいたり、焼き物に夢中になられる理由の一端を知った気になりました。

茶席で「お窯元は?」ということの意味の面白さを再発見した感じです。同じく何何焼きといっても、その土、釉薬、時代による窯の形の変遷、もろもろの事情でたんに何何焼きではすまないこと、そんなことは全然わかっていなかったけれど、また今でもわからないけれど、本当に面白い視点があるものだと感心しています。そしてとても詳しいかたと知りあいになっている幸せを思います。お茶を長いことやっていて、お茶そのものというより、お茶をささえているものの専門家と知り合いになり、気楽に教えてもらえることができる、お茶の面白さもとっても深いのです。

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茶事によせて  3

Dscf0032_3 今度の茶事につかう掛け物を解読してもらっています。解読をしてくださっている人は、県内では古筆とくに仮名、歌、俳句などを専門にしていらっしゃる俳人のKさんです。Kさんは若いときから俳句、とくに連句を作ることを趣味になさっていつのまにか古筆を解読なさることが得意になられたかた、石川県の津幡市は連句がさかんなところ、3年ぐらい前までは連句全国大会が毎年開催されていましたが、財政の問題で現在は行われていません。その最終の大会の時、このKさんがよまれた発句
      難読の幅広げおり 秋の昼
を発句にして歌仙がまかれたのですが、その歌仙は其の年の優秀賞に輝かれました。じつはその難読の幅をひろげていた相手が私で、賞をいただいたと仰り、その発句を色紙に書いて持ってきてくださったことがあります。

困った時のお救い人、いつも頼りにしています。今回掛けようと思っているのは消息、個人的な手紙ですのでほとんど走り書き、もちろん候文、この消息にはすでに読んでみましたという紙がはいっているのですが、さてそれさえも優美なかな書きたらたら、それさえも読めない、Kさんに助けてもらわなきゃというわけでお訪ねしました。まずはその消息に登場する人物のこと、差し出した方と相手との関係などは、あらかじめ図書館で調べておきました。その両人の間には消息のやりとりは割合あり、図書館にはそれを解説したものなどはありました。さてどうにか読んでもらったのですが、読み下せばそれで終わりにはならない。消息ですので多分それで当人同士では十分意味が通じるのでしょうが、後世の事情をわからない我ら、なんのことでしょう?という有様、ここは馴れていらっしゃるKさん、さらに其の前に時代に詳しい人からの聞きかじりなど、知識をフル動員、なんとなくこうではあるまいかという状況までこぎつけました。

ものに詳しい人が身近にいらして、色々個人的なレクチャーをうける楽しみ、贅沢さはいわんかたなしというところでしょうか。もっとも伺っている間、まわりには様々な辞典を積み、あれやこれやとない知恵をふりしぼり、そして最近こんな古書を読み通しましたという話も色々きけて楽しいのですが、内実は普段使っていない脳の部分を使い、かえって来る頃には疲れ果てるのです。連句をいっしょにやりませんか、頭の体操にはいいですよとはよく言われるのですが、丁重にお断りしております。

最近もKさんは地区の新聞に大きく載っていらっしゃいました。井波に瑞泉寺という連枝寺で格式の高い寺があるのですが、このてらの浪化上人というかたがいらしたのですがこのひとは芭蕉を非常に敬愛、ようやく弟子になられたのでしたがそれからしばらくして芭蕉は没したのでした。そこで墓の石を持ち帰り井波に芭蕉塚をたて、黒髪を持ち帰りいまも黒髪庵というのがあります。そんなわけで俳句がさかんになり、井波俳壇というものが形成されました。旦那衆のたしなみになったものでしょう。そんなわけで全国の俳人からの手紙、あるいは俳句会を実施、俳句百韻などというものがたくさんある旧家があるのです、それらの資料を解読、井波俳壇の様子を解説したと新聞にでられたのですが、この資料の原本も見せていただき、例によって頭をふりしぼってきたのでした。

私のブレーンみたいによく教えてくださるかた、色々な世界のかたとの交流はとても楽しい、これもお茶を続けてきたおかげで知り合えたご縁なのです。

掛け物書いてあるとおりですと言ってるだけでなく、深く勉強する楽しみ、これも非常に物知りのかたとの交流あればこそです。お茶を続けてきて良かったと思います。お茶はご存知ではないけど、私のお茶を支えて下さる人の一人です。

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茶事によせて  2

茶事に対しての思いはどれだけでも先にできるのですが、実際の準備というとそう早くもできない。そこで灰からはじめました。ろだんは多分今では御茶屋にはないかもしれないと思うほどの深い炉、灰はたっぷりはいります。ろだんの壁を塗り返すなどと、ものの本にはあるけど、知り合いの人、塗り替えしたのはいいけど、火をいれたら少しずつはがれてきて往生したなどという話も見聞きし、また我が家の茶室は茶事にしか使っていないので、まだ大丈夫、

ろだんにいれる灰、今度は別に風炉も使うし、さらに季節も秋は深まり、火も恋しいかもと、火鉢もだしてみる、さらに天気よければ外で腰掛も使ってもらおうか、そうすると煙草盆は3つ使うことになり、なににせよ灰はたっぷりいるのです。知り合いの大工さんに木灰はたくさん用意してもらってある、大工さんの曰く、ほとんどは檜の灰です、これを箕でふるってきれいにはしてあるのですが、もっと粒子のこまかいふわっとした灰にしたい

そんなわけで細かい箕で灰をふるいだしました。根気が一番、単純仕事、なんだか禅僧にでもなった気分、家の中は灰だらけ、わたしは灰で真っ白け、家中の大掃除、そして風呂をたてての身体潔斎まで。

灰なんて火があれば当たり前にあり、気にもとめない存在のものですが、大事なものです。なんでもものの本によれば、家元ではもしや火事がおこれば必ずや持ち出すべき大事なものと考えれているとのこと、何十年も、何百年も練れたそれはすばらしい灰があるということであります。私の灰は私がそう練ったものではないけど、大工さんの家では何十回も焼かれたので練れているだろうということです。人の力に負んぶです。

こんな所から準備は始っています。灰がはいると気持ちまでほっこりします。それにしても私が習っている流派、灰はそのまんまのものでいいのですが、ほかの流派では、霰灰などという難しそうな灰を作られていたのも見たことがあります。

こんな灰まみれも自分のやりたいこととなると楽しいと感じます。関係のない人からみるときっとものぐるほしいと思われると思えば、なんだかおかしくなります。

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茶事によせて  1

Dscf0030 11月に茶事を実施することにしました。ご案内したお客さまから、喜んで来ます、との返事がきています。写真はその一部、水茎うるわしいとはこのこと、どの方の返事も硯を擦って筆で書かれていて恐縮しております。一番上にあるかたなどは巻紙、現代では筆で字を書くことなどは滅多にあることではなく、筆で書かれた返事はひとしお嬉しく感じます。茶事を実施するについては、是非水茎うるわしい手紙を差し出したいものと思ってはいるものの、生来の悪筆、手紙を書くのはとっても好きなのですが、本当に冷や汗三斗から茶事がはじまります。若い時には少しでも字をうまくなりたいものとは思いましたが、さっぱり上手になりません。大学の時、少しは上手になりたいと書道を選択、楷書、行書、草書、隷書、てんしょまで習ったのに上手になれずじまい、それどころか、あろうことか書道教員の免許までもらってしまいました。単位さえとれば免許はいただけましたので。、さらにとっても就職難の時代、もらった免許全部書き並べておけばどうにかなるかもしれない、というわけで書いておりました。さて就職した学校には、県内でも有数の仮名の名人の先生がいらっしゃいました。「あ~免許もってらっしゃいますね、どこかで持ってもらいましょうか。」冷や汗三斗どころではありません、「本業で頑張りますので、どうぞ免許あることはお忘れ下さい」それ以来書道はますます苦手に、というより、もうこうなると敵にでもなった気分、まったく字は下手なまんま。それならば味のある字を目指したい、これってもっと難しい、

お便りくださったかた、ただたんに上手というよりそれぞれ個性あふれる味のある字、ならびに文面を寄せてくださったかたがたばかりです。

茶事は長い時間をかけて実施にこぎつけるものですが、少しずつ気持ちも高揚しますし、また気持ちも引き締まっていくのです。自分で実施するというより、お客さまになってくださるかたに背をおしてもらい、お客さまとともにあるということを実感しながらの準備に入っています。

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茶味  14

灰外達夫さんのこと 1

Dscf0028_2 この茶碗は石川県在住の灰外達夫さんの作品です。楽茶碗とあるのですが、なんとこの茶碗、口径12・5CM,高さ7CM,そんなに小さい茶碗ではないのですが、重さが250GMしかないのです。見た目で茶碗を持ち上げて、其の軽さに驚きましたが、存在感はそんなに軽いものではありません。

この茶碗の軽さ、それはこの茶碗の土がなんと珪藻土だからです。珪藻土って昔のこんろにしていたあの土、こんろにするような土で抹茶椀!、たしかな作りと存在感、それにひかれて買ったのでした。

その後、作者の灰外さんとお話する機会が何度もありまして、その制作話あまりにも面白くてこの茶碗がいっそう楽しくなってきました。灰外さんではない作家さんの個展で珪藻土の茶碗持ってるという話をしましたら、ありえない、珪藻土は土といってるけど、貝の化石が堆積したもので、どんなにしても茶碗になんかならないと言われたんです。そこで灰外さんに会う機会があったとき、そこんところを聞いてみました。たしかに珪藻土というのは、化石を主体にした土、これに何をどれだけ混ぜるかはいえないけど、その茶碗にするのに、珪藻土をいじりまわすこと10年もかかったとのこと、灰外さんは珠洲市の出身、市からどれだけでもとれる珪藻土、こんろではなく、何か商品にならないかと相談され、どうにかしましょうと答えたとのこと。約束したからには何が何でも商品に、そんなわけで10年も土をねぶり、ついに茶碗にこぎつけたとのこと、そしてその製法は特許を日本だけではなく、アメリカ、ドイツでもとってあるとのこと

10年もかかって、一応の成果がでたので、もう興味はないとのこと、男として約束を果たすのが物作りに携わっているものとして精一杯やってみただけのこと、軽い茶碗てただ面白くてではなく、どっしりとした存在感はあるのです。艶をけしたような独特のマットな黒の光沢、誰でのでもない独特の灰外さんの世界がこの茶碗にはあります。

存在感の重さと実際の重さが反している世界

たぶん珪藻土でできた茶碗は、灰外さん以外にはない茶碗と思います。10年もかかって作り上げた土でできた茶碗、持ちあげたとき、だまされた感じはするものの、そんな長年の苦労などは微塵も感じさせないすっきりした茶碗、現代の茶味かなと思っています。

楽の茶碗とは土味がまったく違うけど、こんな楽茶碗もあるのでした。

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茶味  13

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これも書いてもらった軸です。

世阿弥の「風姿花伝」にある「失わざる花」もしくは「花を失わず」を軸にしたものです。年来の花、「風姿花伝」の花は芸術上の花、美しさとして記述してありますが、まことに便利な言葉、

娘が大学を卒業し、社会人として巣立つときに餞として選んだ文言です。茶味とは関係ないけど、娘は大病をしたことがあり、無事に社会人になり就職もできた喜びはいう言葉もないほどでした。心の花を満ち続けられたらと願い選んだ言葉でした。

花、この軸を私の花甲の祝いの茶会にもかけました。こんな年になって花とはずうずうしいとは思いましたが、花伝書には年来の稽古でいくつになっても花を咲かせ続けることが書いてありますので、ひそみに習おうかなというところでした。

茶会は個人的な事情、行事にお客さまを巻き込んでよく考えてみれば、とても迷惑な話ではあろうけど、またそれをともに楽しんでくださる同好の方との語らいでもあったり、またふしふしの成長や個人的な喜びでお互いの無事に感謝したり、忙しい日常からやや離れて今の状態を確認したり、喜び合ったりと個人的な繋がりを重視して、小さな茶会を実施しているだけです。

とても茶味にはならないけど、個人の思い入れ、そのこころを表してくれる文言にであうととても嬉しくなります。

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季節の移ろい

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十月になりました。風炉の名残の季節です。十月はお茶の世界では、季節の移ろい、侘びた季節にともなう侘びた道具のしつらえなど、工夫も色々できますし楽しみな季節です。茶巧者を見せる季節といえるかもしれません。

今日のお稽古です。中置になりました。たんぱんの美しい黄瀬戸の細水指が今日のメインでした。中置用の細水指につくったつもりだったのに、気がつけば花生けとして売ってあったという作者さんの嘆きを聞いたことがあります。11月は炉開きの季節、風炉の名残には火がややお客さまに近づいてきます。水指はお客さまからは遠ざかっています。鉄風炉、板風炉などがでてきまして、いかにも侘びたやつれを演出いたします。風炉先も蘆ではなく萩、しかも煤竹季節の移ろいをここでも感じます。

軸は桜井梅室、84翁とあり、字もまっすぐではなく傾いています。

  はきよせた落ち葉動くや 蟻の穴

とあります。84歳でなんと繊細な目の動き、しかも真っ直ぐにも書けていない、季節の軸でもあるけれど、いかにも侘びた感じではなかろうか、名残の季節にふさわしい軸であると思います。

お菓子はそうでした、十五夜でした。兎まんじゅう、しかも菓子器のまわりは波模様、波の上を飛び跳ねる兎、当地は天気悪く月見はできません、無月の空の底あかり、でさえなく残念ですが、兎饅頭で月見の気分だけを味わいました。

花は季節、白と紫のほととぎす、田山方南の花生けです。

名残の季節はなかなか難しいと言われていて、それならばとかえって挑戦してみようと茶事を実施したことがあります。枯淡な味、侘びた風情をと思ったけど、なかなか難しいというか、たとえば焼き次の茶碗などを使ったのですが、なんだかわざとらしかったかなと思っています。またいつかと思っています。

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茶味  12

創造的な茶味

Dscf0023_2 この軸はある書家のかたが平成7年ニューヨークで「現代茶の美術展」という展覧会が開かれた折に、会場に作られていた茶室の床の間に飾られたもの、帰国されて日本で凱旋展覧されたときに買ったものです。

軸にしては珍しく二字、前衛的な雄渾な筆使い、「己愛」と書いてあります。聖書の中のあまりにも有名な文言、己を愛するが如く人を愛せよ、クリスチャンのかたに聞きましたら、聖書のあちこちにこの文言はあるそうです。愛をとくキリスト教の教えの中心主題ではなかろうかと、

ニューヨークでの現代茶の紹介、その作者さんは軸にどんな文言を書こうかと随分悩まれたあとで、ニューヨークの人にも必ずや伝わる聖書の中心主題を書こうと決められたとのこと、日本では愛などと書いた軸は考えられないのですが、ニューヨークで日本の茶を表現したいという感じではなかなかの文言ではなかろうかと思います。しかも己愛とのみあり、人を愛せよの部分は知る人の想像にゆだねてあるなど、表現したいことを全部言い表さず、おぼめかすといういかにも日本的な表現の仕方、

この作者の心意気を多いに感じ、日本での展覧会では一番の気にいりの作品でした。

そしてその心意気を自分のものにというわけで、この軸をお茶の正月といわれる、炉開きの11月の茶事にかけてみました。それは加賀前田藩の家老の家であったという「西田家」の玉泉園をお借りしての茶会でしたが、百万石の家老の家であったという風格に少しも負けてはいないと感じました。作者さんの心意気、そして長い軸にニ字という配置のバランスの悪さを雄渾な字で書き上げた作者さんの力、

こんな字体、そしてこんな文言、茶味があるとはいえないかもしれませんが、現代でしかもよその国で紹介したい茶、現代における創造的な茶味と感じています。わび、さびといわれる枯淡な美しさとは対極にあるけど、いま枯淡といわれているものも、それが書かれたときにはきわめて野心的なものであったやもしれず、こんな軸にも茶味を見つけたいと思うのです。

茶味があるという禅僧の墨蹟、仏の教えを字句にしてかかれているものです、仏教の教えが字句として書かれたときに茶味があるというならば、宗教の違いでよその宗教の文言、これも茶味あるというべきかも。

この字句、茶室で使ったのもさることながら、娘の結納のときに床の間にかけました。娘へのはなむけの言葉でした。とっても便利な掛け物となりました。

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茶味  11

道具作成  軸

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この軸は7年ぐらい前だったか新聞に11月3日の文化の日、宮中で雅楽演奏会があり、申し込み抽選でその場にいけるとありました。勿論祈るような気持ちで申し込んだところ、運良くあたり、宮中雅楽殿での演奏会を堪能できました。その感激を形に残しておきたい、そこでその当日の演目の文言を書家に書いてもらったものです。

雅楽というものを「源氏物語」の世界ぐらいでしか知らず、憧れてはいました。右舞とか左舞とか、あるいは雅楽器についての解説などを聞き、ほんものを見聞きして、そのすばらしさに圧倒されただけではなく、そのすばらしい思い出をなんとか形にしてとどめておきたい、そこで演目にありました、「新撰朗詠集」の中の「源道済」の「紅葉」という

 紅葉亦紅葉   連峰嵐浅深
 蘆花亦蘆花   斜岸雪遠近

五言絶句の歌が当日のメインでした。知り合いの書家の方に依頼、私の気持ちを汲んでくださって精一杯のものにしてみますと仰り、一年後出来上がってきました。

私の思い出は少しも褪せることはなく、この軸の中でよみがえる

たしかにそうなのですが、字は上手ですし、きれいに仕上がってはいるのです。でもなんとなく茶味に欠けるのです。私が宮中で味わった感激は、なんども源氏物語を読み、そのつど公達が華麗に舞い、天と地をつなぐという竜笛の音、天女が舞う姿を眼前にみたような至福のとき、その思いが強すぎるのか、なんとなく私の思いが表れていないと感じています。

思うに、いつも思うのですが書家の字というのは、多分この軸を仕上げられるのに、どれだけ書かれたものかはわからないほどに書かれたらしい、すると字はだんだん練れていくのですが、そしてある意味完成度は高くなっていくのですが、その場で受けた感激、衝撃のようなものからどんどん遠ざかっていくのではと思うのです。こんなにすんなりした通り一編の思い出ではありません、というのが私の気持ちです。

書家の字というのはどうもきれい過ぎるというか、まとまりすぎているというか、完成度が高いわりには、そのかたの人間性が伝わってこないとい感じがします。字は人なりという言葉がありますが、その人が見えてこない気がします。

例えば禅僧の墨蹟を珍重しますが、それは中味の文言の意味が持っている世界が広く、心を打つということはもちろんありますが、またその書いた人の人間性というか修行なさっていらっしゃる年限と、そのかたが修行なさって習得なさった世界を字をとおしてかいま見ることができる、あるいはその世界がもれみえてきたという実感を持つことができるので、その軸の存在感がいっそう大きくなるのだろうと思うのです。

軸装のすばらしさももちろんあります。中まわしの金襴の古びた美しさ、一文字に使われている緞子のにぶい光、露にいたるまで神経がいきわたり、軸装が中味とマッチし、お互い軸装が中味をひきたて、中味が軸装に映える、そんなすばらしい装丁にため息をもらし、軸の美しさと存在感に圧倒される、

書家の書かれたもの、それは練れたきれいな字ではあるけど、茶味に欠けるというのは贅沢でしょうか?

そんなわけでこの軸は私の思い出をお茶の中にゆっくり溶かしていく筈でしたが、結果、あんまり茶味がないな~になってしまいました。

自分の好きとか思い入れだけでも茶味にはならぬと実感しています。紅葉という時期には、この五言絶句の美しい風景は眼前に見えたように感じますので、秋にはかけてはいますが、どうも私の要求する段階まではいけなかった軸です。

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茶味  10

道具作成失敗談

道具つくりを面白がって夢中になっていたときの失敗談

姑の実家がとうの昔にこわされて、木々がまだ残されていました。そんな木地を使ってなんとかならないものかと思い巡らしました。其の中に風呂桶を壊したものが一縛り、材料はさわら、何十年も何千回も水にさらされた木、木肌は水にさらされてばさばさしていたけど、削れば木のあくがすっかりぬけきった木の真髄にちがいないとうきうき

風呂桶ですから木はもちろん丸みあり、しかも幅はそう広くない、しかし水にさらされ続けた木地の面白さをなんとかいかしたい、いろんな棚を作ることにしました。いろんな棚、棚そのものはそう茶味があるとも思えないけど、特に広間で使うのにはいろんな棚があると便利ですし、お茶の幅も広がりそう

でも棚を作るのは指物の方の仕事ですが、今のようにサイズ、工法がよくわからないというか情報がない時代でした。なにより指物のかた、今ならば信頼のおけるかたとも知り合いになって意を汲んでくださることはできるのですが、さて何十年も前のこと、私自身もあまり自信のない話、指物のかたもなにもかにもわかっていらっしゃる方とはいえなかった、

おまかせしたのですが、仕上がったいくつかの棚、いまでは電話台、部屋の隅の置き台にしかなってません、茶室で使えない最大の理由、木地の面白さが生きていない、茶味が感じられない、これにつきます。

棚は何代かの家元が好んで作られたものですが、やはり、寸法、木地、これはなんとなく見ているけど、きちんとした有機的なサイズ、さらにその棚そのもの好まれた意味、すなわち物語がついてまわるのですが、やはり、それにはそれなりの意味があり、いい加減の私の知識とさらによくわからないまま作ってしまった職人さんとのコンビ悪かったというしかない有様でした。

木地で作ったものに、なんぼ話しておまかせしたからといって、ある棚にはウレタン塗装まで施してあり、足には真っ黒の塗装までしてあったものまで、こんなのなんぼ私でも自分好みですといえるはずもなく、げっそり

たしか六種類の棚ができましたが全部そのまんまです。棚ってなんだかきちんとはしているものの、今ひとつ茶味の感じられるものがない、自分なりの思い入れを加味して自分なりの棚を作ってみたいと思ったけど、まったく失敗でした。

思うに生半可な知識で作ったのが最大の要因でしたが、棚ってサイズが決まっているし、用材も一応の規範があり、そういう制約の中で使うことが決められているもので、茶味を加えるなんてできないのではと、悔し紛れに思っています。今、既製の棚いくつか持ってはいるのですが、棚にはどうも満足できません。棚にいつか挑戦したいとは思わなくなってしまいました。あきらかな失敗談です。

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茶味  9

茶道具制作、銘

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茶杓と茶杓筒、

前の結界と同じ竹です。一本の煤竹をいただいたのですが、茶杓と、筒もおなじ竹で作られました。非常に乾いた古い竹ですので、削るのは大変らしかったです。これは結界を作ってもらった指物のかたに削ってもらいました。使って大丈夫ですかといわれていますが、乾ききった竹、非常に軽く、棗の上におくと、かすかな風でゆらゆらと動きます。

茶杓筒は、竹が曲がっていた関係で、筒にしてもらったところ、面白い窓が開きました。削った側が曲がっていて、薄くなったところが削られて窓になったものです。瞬間、利休の位牌のようだといわれている、織部の「泪」という銘の茶杓を思いました。

この茶杓には「家守」いえもり という銘をつけました。100年猶予も天井の高いところにあり、家の歴史を見守り、家の守ともいうべき竹ではなかったかと思い、いえもり、となずけました。筒に銘を書きたいのですが、作成してくださった人は、指物のかた、道具屋に相談したところ、どなたかお寺さんにでも書いてもらえば、と言われるのですが、どなたか書いてくださるかたをご存知ありませんか?そんなこっちで決めた銘では、書いていただけないのでしょうか?それよりも、私自身の思い入れでつけた銘、こんなのでもいいのかなとは思っているのです。

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この茶杓は、五箇山で長い間、繭の蚕棚のところで使われていた竹をもらったもの、自分で削りました。銘を「山繭」となずけています。これは茶杓だけで、同じ竹の筒はとれませんでした。本来は同じ竹で、茶杓、筒と作るものと聞いていますが、これには筒はありません。ほかの筒を作ってもいいのかなと思ったり、好きで自分が使うだけだから、まあいいかと思いつつ、使っています。「山繭」という銘も、この竹の出自を考えれば、良い銘かもと自画自賛しています。

煤竹が飴色になり、艶も十分にでて、景色もおもしろいという竹は、このごろでは滅多にないということのようです。色あげしてある竹がほとんどと聞いています。

この茶杓の竹も、相当の年月はたっているのですが、十分の飴色にはなっていません。こっくりとした飴色、しかも艶もふきあげただけで出ている色できれいなものってなかなかないんだと聞いています。何十年の月日、しかも、それがつねずねふきあげられて初めて美しい茶杓の竹になる、しかもあまりに乾きすぎていると、われかねない、

茶杓は、お茶を掬うスプーンであり、使う道具なのに、茶席では最後までお客様の前に披露されていて、いっかいの茶会を締める大事な道具、どこにでもある竹を利用して、さりげない道具であると思っていたけど、なかなか重きをなす道具であるというだけでなく、たかがの竹には、それぞれの出自、来歴があるものだとあらためて感心しています。

ある席で、とても古い有名な茶人の茶杓にあったことがあります。その茶人と時代をこえて握手したんですね~と席主のお坊さんの話、茶杓って先人と握手できる、あるいは息吹を直接感じる道具、やはり大変なものでした。そんな茶杓、我が身のものにはそうそうできるものではないけれど、自作の拙い思い入れのみの茶杓、そんなにも茶味をみつけたいと願っています。

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茶味  8

思い入れ、道具作成

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わかりにくい画像ですが、結界です。この結果の材料は茶事にお招きした人が30年も前にある人が昔の家をこわして、新築なさるにつけ、天井に上がっていた竹をもらったもの、何かに使えますか?と私に下さったもの、30数年前にこわしたのですが、其の家は非常に古い家であったとのこと、多分100年以上前から、天井にあがっていた竹と思われます。

知り合いの細工のかたと相談、なにしろ100年はたっていようという竹、虫ははいっていなかったのですが、乾きすぎてば~~んといきそう、その竹の来歴をいかそうと、下の台のあたりは神代杉、それを鉈ではつってあります。それは竹の来歴の家は、古い枠の内作り、そんな家は鉈ではつって作ってあったもの、そして時代を感じさせる色、それが神代杉、それをいかして、さらに砺波平野のはるか向こうには連山が、それを景色としてついた山の形に、そして昔の家の作り方、釘は使ってなかった、そこでわざと竹釘を飛び出したように作ってもらいました。縄目の模様はそのままに

古いあったもの利用といえばそうなんですが、来歴を最大限にいかして、さらにこの結界は、その竹を下さったかたを正客としてお招きして、初めて披露したものです。

お茶には、たとえばいただいた茶碗を飾って、茶碗かざり、茶筅かざりなどという点前がありますが、そのときには結界かざりなどといえるかもという茶席でした。

もちろん、竹を下さったかたは大変喜んでくださったものです。呼んだほう、呼ばれたほう、心の通う茶席になりました。こんなのも茶味あふれる道具になります。

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この写真も見にくいのですが、やはり結界です。

この結界は、亡き姑の実家の囲炉裏にかけられていたものです。主人のおじいちゃんという人はまことにまめな人で、煤のついた竹を毎日磨いていた人で、その竹を切ってもらって結界にしてもらったのですが、もう30年以上はたっているのですが、まったくつやつや、きれいな飴色は少しも色も、艶も失せることはありません。

この結界を使うたびに、主人のおじいちゃんのことを思い出します。毎日、毎日、何十年も磨き続けてきた歴史、そのおじいちゃんは98歳まで存命でした。

結界って、そう目立つ主役という道具ではないけれど、98歳まで存命であった祖父の面影を思い起こすよすがとしての道具になっています。

既成のものではない、個人的な歴史と思いいれのある道具、これも大切な道具です。

わたしにとってはまことに茶味のある一品です。

茶味って本人の思い入れがほとんどってことになると、自分勝手ではあろうけど、好きこそと思っているのです。

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茶味  7

エキゾシズム、転用、見立て

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 これはタイ、あるいはカンボジアのものだと思います。抱き桶です。あついところではこの桶の中に水をいれ、手にというか膝にかかえて暑さをしのぐものということです。銅の打ち出し、一枚の銅をたたいてたたいて引き伸ばし、形に成型して入れ物にしたものです。箱にはモールとあります。箱、あるいは打ち出しの柄の間の白くなっている部分などをみれば、多分、南蛮貿易でもたらされたものとおもわれます。何百年もたっていると思われます。

これはその時代では、珍しいエキゾシズムに満ちたものであったろうと思います。それが茶人の目にとまり、水指として転用されたものです。大きなまるい蓋のつまみ、蓋の丸みは水指とすれば、茶巾を上に置きたかったので、滑り落ちないか、どこにおけばいいのかと迷ったりはしましたが、水指として、昨年夏、朝茶事に使ってみました。涼を求める道具であったわけですから、夏の朝茶事にふさわしかろうと思ったからです。

時代がついているということもありますが、本来の道具をこえて、茶席では茶味のあるちょっとエキゾチックな道具として違和感は少しもありません。

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そしていつかの茶人が、共蓋のかわりの塗り蓋をつけたのです。

落ち着いた塗り蓋の水指になっています。私の好みとすれば、共蓋のほうが使いにくいのですが、面白いと思っています。

本来の道具の使いからから離れて、というか、そのものに茶味をみつけて転用する、道具にはこんな茶味あふれる使い方があります。

茶味というのは、伝統的なわび、さびなどの日本古来のものの美しさだけではなく、自由闊達な美の再発見ということもあるということになります。美を何に見つけるか、

茶味というのは固定的な硬直した美ではなく、変化していく、あるいは掬い上げる美しさ、これには鍛えられた感性が必要ではあろうけど、日々誰かが発見していく、流れる、かろやかな美しさではなかろうかと思います。

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そして先人に学び、私が転用している、見立てとしての美しさとして使っています、銀器です。これはトルコを旅行したときに手にいれたものですが、銀の打ち出し、つまみがぷらぷら動く、多分トルコでは宗教的な行事に使われたいたものではなかろうか、果物のようです。銀の棗というのはわりとありますが、こまかい柄が打ち出されたいかにも手作りという薄器は、夏には重宝します、そして茶味が感じられます。

見立てという美、本来のものの転用って、間に合わせではなく、あたらしくそのものに美しさを見出す、センスある茶味ある茶人は新しく美を構築する能力のある人をいうのではなかろうかと思うのです。

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茶味  6

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今週のお茶

13世円能斎好みの御所籠を用いて、14世淡々斎が創案されたという色紙点前

軸は秋がきましたというわけで、「秋気清藍天」の文言、薄の絵、田山方南の字、この軸は今日始めて披露されたもの、さすがに方南の字は行書がとくに端正で今日は富山は32.5度もあったのですが、部屋にはいり、軸を拝見するとす~~っと汗がひいていく気持ちです。花は、姫菖蒲の実、まるで蕾のように見えますが、時期が菖蒲とはまったく違うのですが、これが実になってると秋を演出してくれます。それと桔梗、籠にいけられた小さな秋です。

色紙点ての言葉通り、色紙をならべたように四角のものがずらっとならんでいます。茶碗をへだてをいれて重ね、其の上に棗が仕組まれ、紫の縮緬の大の大津袋、茶巾は茶巾箱、身の部分に茶巾をいれ、蓋部分に茶筅が入っています。4枚の古袱紗、赤の二枚の古袱紗は茶碗を出すときの出し袱紗、紫の塩瀬のものの上で茶を点てます。白茶地蜀杷のような生地のものの上には棗、茶杓を置きます。写真は籠の中のものを全部だして、主の茶碗のお茶が一服点ったところです。色紙がずらっとならんでいる感じです。

籠の中に茶碗をかさね、その中に棗と、ちまちましたきれいな手の動きが涼しげなのですが、無骨な大きな手ではいささか難渋いたします。ようやく色紙点てまできました。鉄瓶はもうしまいつけかもしれません。行く夏を惜しむ気持ちもあります。鉄瓶をしまいつけると、じきに10月、そうすると中置になったり、板風呂になったり、季節の移ろいをしみじみ感じる設らいになります。年々のことですが、まずは軸から季節は移ろっていきます。

茶味

三月でしたか茶事に呼ばれました、その時、季節とて煮物椀には「鶯宿梅」と三つの輪の中にそんな字が書かれており、紅梅が散らされていた季節にふさわしい、はなやかなきれいな煮物椀でした。「鶯は紅梅に寄るといいますから、鶯が宿る梅ですね」という話、にこやかに聞いてはいましたが、鶯って本当に紅梅が好き?白梅にはよらない?ちょっとした疑問、気になってあるBBSで聞いてみたところ、博識の鬼さんからの返事、

鶯は色によるのではなく、匂いによるもの、なにより黒の漆には赤の漆、紅梅がきれいだろうが、白梅というか白の漆というのはないというか、漆そのものではなく、何かをまぜたもの、仕事の都合上赤がきれい、赤のほうが仕事しやすい、それを鶯が・・・・とかという話に茶人が無理やりしている話です、ぶっちゃければあんまり夢のない話ですということでした。

さてそんな話で、紅梅に鶯が、これは茶人がものを知らなくて言ったことではなく、私は美しさを真実としてとらえたものとして考えたいです。事実はたしかに仕事上のことでしかなく、紅梅というのはただ単に見た目がきれいだろうというものかもしれませんが、鶯が紅梅に・・・・・こんな話で季節のはなやかさや心意気をお互い感じとり楽しむ、

事実が重要なのではなく、真実、この場合は美しさの表現ということが大事なのだろうと思うのです。なにによらず創作上の工夫というのは、事実を深めるということだけど、それって美しさの追求、それが真実なのだということになると思うのです。事実とは違う、それって嘘っていうことになるかもしれないけど、事実以上のことを伝える、美しさの核、これが真実になると思うのです。

茶席で語られる言葉、事実を重んじる人にとってはなんとも空々しい嘘というか、つけたりに見えたり、聞こえたりということが多いにあるかもしれない、それは相手の心を感じたい、物の中に真実の核があるやもという思いでの会話であると認識したいと思ってます。

そうすると茶味というのは、実際にあるものではなく、感じる心ということになってしまっておかしいということになってしまう、実際にあるものなのか、はたまた感じる心、幻なのかになってしまいますね。茶味って?限定できません。

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茶味  5

これって茶味なの?というものですが、茶人がみつけた茶味について。

お茶をいただいたあとの茶碗、そこに少しお茶が残っています。この残ったお茶を茶碗の景色として眺める、これっていつもやってること、陶芸をなさっていらっしゃる人からの質問、いわゆる茶溜まりは、茶碗を焼くときに必要なものだろうかという話なんです。

茶溜まりは、ろくろをひいてそれを糸でひくと真ん中がすっと引っ込む、それが茶溜まりなんですとプロの陶芸のかたから聞きました。ろくろ成型で必然的にできたもので、作ろうとした景色でもなく、もっと大きくとか、なくなるようにとかはできないものなですね。技術的な問題。

ところが席に出て、お茶をいただくとそこのすっと引っ込んだところにお茶が溜まり、茶碗を拝見しようとすると、それが景色になってるわけ、お茶が少しく残っている状態で茶碗を拝見しますから、飲んだ軌跡とともに、真ん中に少しお茶が残っているのは、おいしくいただいたその名残のように景色が見えるわけで、亭主になってますと、おいしくいただけただろうかと、茶碗をみるとわかりますし、客になってると、その茶たまりをお茶をいただいた名残として茶碗をかえすわけで、本来、偶然でもできてしまったくぼみが、非常にお茶味として味わい深いものになるわけです。

そうすると、くぼみが茶味としてあるのかという話になってしまって、指で凹みをつけたというか、わざとらしい茶たまりがある茶碗もあるわけです。ろくろ成型の問題ですから、土のかたさとか、土の性質で、凹みがたくまずできるものもあれば、できないものもあるわけで、自然にできたその景色を愛でる茶人がいたとして、それが人工的に作らなきゃならないものか、と陶芸のかたからの質問でした。

濃茶は練るですから、ちっちゃい茶溜まりはあまり関係なく、薄茶は啜ったあとに少し残る景色としての茶溜まりですから、残ったお茶がつつましく真ん中によってるのは、きれいなものですが、それも偶然というか作る側からいえば必然の所産、

作る側からの技術的な問題を、名残の景色として愛でる、これは茶人がみつけた茶味ではなかろうか、茶味って新しい価値の発見ということにもなるかもしれません。なんでもないものにも新しい美を発見する、本来の用途をこえて新しく美をを発見する、それも茶味というものかもしれないと思います。そうなると、茶味って発見できるひとには発見できるけれど、ひそかに埋まっているものにもあるやもしれずと思うのです。

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茶味  3

茶味のある人になりたいもさることながら、たとえば焼き物、茶味があるな~とうなずき、ある茶碗を大分前に買いました。・・・代目、・・・・という茶碗、その時はいい茶碗だわ、これこそ茶味があるよなとほくそえんだものでした。何十年か前のもの、

ところが今みてみると、茶味と感じた部分て、これってただたんに昔のものの写しではないの?と思い始めました。いつかどこかで見た感じ、よくもなく、悪くもなく、亡羊と平凡な感じ、写しとは書いてないけど、黒織部なのですが、柄のはいりかた、線のいれかた、茶碗の沓形のくずしかたなどなど、茶味があると感じた茶碗の草の美しさは、作者が作り出した独自の美しさではなく、昔からあるものの写しではないのと思うと茶味と感じた部分は、なんだかお茶のでがらしみたいに思ってしまったのです。

若いときは茶味って、時代のついた感じをまず思い浮かべていたのですが、時代の当初のオリジナルはそれまでにはなかった息吹がまずあり、その時代では流行の先端というか、それまでは美しいと認められていなかったものが、ある先人の美意識にかない、それが美しさとして認められ、それが時代の美しさとなり、そしてそれが茶味として時代がついていったのだと思うのです。

そしてある美しさが茶味として認められると、茶味がひとり立ちしてしまって、その茶味にあわせて焼き物が作られていってしまったのでは、いつか見た感じ、いつかどこかで手にした感じ、

若い時には、まだよくわかっていなかったというか、その茶味にこれだと思ったのだけれど、今よくみるとこれって茶味もどきかなと思うのです。

茶味って本当はもっといきいきとした躍動感があったものにちがいない、古色蒼然としたものを茶味があると有難がるのは、本来からすると間違っているかもと思うのです。現代における茶味のある焼き物、それって?ということになるとまだよくわからないけど、茶味ってただたんに年代がついているということでないことだけはたしかです。

茶味ってほんとは新しくてどきどきして、オリジナリテーがあってというと、なんだか茶味という言葉とは対極にある感じになってしまう、でも其の中で、時代の波に洗われてもなお残った芯のある美しさ、それが茶味として評価されるのかも。

茶味のある道具が欲しいと願って、多少の勉強もしたけれど、自分の美しいという感性を磨いておかないと、茶味もどきにふりまわされるだけかもと思ってしまう。

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茶味  2

先生の家に通っていらっしゃる人で、来た其の日からこの人茶味のある人だと思えた人、その人は戸大工さんで、仕事でお茶もしってないと戸も作れないということでいらしたのでした。この方に戸を作ってもらったことがあるのですが、その部屋は東に向き、日当たりが良すぎる、障子で秋田杉を使ったのですが、日当たりが良すぎて障子が狂うやもしれず、障子に使った木は全部同じ方向を向いていた木を使用してあります。狂うことはないと思いますが、また仰って下さいと言われてより25年、まったく狂いはありません。仕事ぶりが徹底していて、よそ目から見ると、なんということもない障子なのですが、長い月日のことを考えての仕事振り、じつは我が家は商家で取引の関係でいろんな戸大工さんに頼んだ経験があります。本当にきっちりしたよい仕事振りは、其の方が一番でした。にもかかわらず外の 方より高いとは決していえませんでした。

その人は戸大工さんでしたので、お茶の練習にいらっしゃる折にはきちんと風呂に入り、さっぱりとカッターシャツを着、いつも白足袋を履いていらっしゃいました。見るからに楽しそうでした。点前はなぜ?などの質問などはなさらず、手順どおり先生に習った通りに練習を。戸大工さんでしたので、指物関係の道具には目をこらし、色々なものを作ってもらいました。習ってのことですからと決して高い値段をいわれず、じつに丁寧な仕事ぶり、茶会でアイデアをだしてこうならないか、あ~ならないかとの私の無理な注文にも根気よく付き合ってくださり、仕事はできますが、アイデアなんていうのは言ってもらわないとということで、私の無茶な注文にもじっくりと付き合ってくださったものでした。典型的な職人さんだと思います。

この人が脳梗塞をおこし、手に力がはいらなくなり、15才からの修行は無にきしてしまいました。それから、やがて20年、見事桃の栽培農家として評判になりました。桃を宝石のごとく取り扱い、それはそれはおいしい桃を作られる人として、手間のかけかたは半端じゃないとのこと、取り扱ってる農協の人はもう少し高くいっても良いのにとか、少しの傷、ゆがみまでB級にすることはなかろうと言ったりしています。

鬼さんのおっしゃる「匠」なんだと思います。何をしてもゆるがせにせず、精神をこめてひたすら仕事に邁進、できるだけのことを誠実にやり遂げる人

こんな人はお稽古に来られてそこに座っただけで茶味を感じさせます。点前は決して上手ではなくとも、そしてお茶に関しての知識、薀蓄がなくても茶味を感じさせます。本当の職人さんが持ってる、この道一筋の仕事にたいしての精進が、そしてその仕事にたいしての集中力が、そしてその仕事に対しての自信が裏打ちになって、それが茶味になって現れると思います。

そうすると茶味というのは、持って生まれた人間性が、何かの道一筋ということで、磨かれて出来上がってきたものではないかと思うのです。勿論茶道という道で磨かれる人もいるでしょうが、茶道の道は仕事の道からみると、あんがいあやふや、そもそも道になってない人も多いわけで、点前手順がいくら上手になっても、何十年やってても茶味の感じさせない人もいるわけで、仕事のように必死にならずともなんとなく続けられるわけで、心を自分でたてないと茶味の道にはいたらぬように思います。これをセンスあるというのかもしれませんが、大枠は精神に帰するのではないかなとも思ったりします。

この道一筋のもの作りの方々の話は、うかがうとそりゃ面白く、ご本人は茶味などとは露さらさら思ってもいらっしゃらなく、そんなこというと笑われそうですが、茶味なんて本人が思ってもいらっしゃらない人にかえってあるということを感じます。逆説的にいえば、茶味を追求なんていうときは絶対茶味なんて身につかず、自然放下の境涯にいたったときに本当に身につくかもと考えるのです。

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茶味 1

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今秋のお茶

今秋は茶箱で「和敬」のお稽古風景

当地高岡は八月の七夕、そんなわけで今秋の掛け物は、高岡市にある曹洞宗永平寺派、国泰寺派本山の国泰寺の前の管長であった、稲葉心田老師の短冊、赤で真砂がまいてある短冊、瑞星とあるのですが、その下に象形文字、これはなにかはよくはわからない、牛?竹の釣り花生けにむくげと菖蒲の葉、

和敬は座敷で実施すると考えれた点前のようで、茶箱では、お茶を出すのに古袱紗にのせて出すのですが、私がいただいたのは外の点前のお茶、和敬の点前は小袱紗にはのせないでお出しします。茶碗二つをかさねて茶箱に仕組むのですが、その内側の茶碗の中に棗をしくみますので、小さなかさね易い茶碗がのぞましい、今秋の茶碗、大樋長左衛門先代の小さめの馬たらい、其の中に開発文七の筒のようなちっちゃい茶碗、拝見もなし、

茶箱の点前はさらさらといきますので、夏の暑い日には良い点前なのでしょうが、じっくりとした感じはないので、お稽古が終わってもなんか遣り残したような不満感は残ります。瓶掛けのなかには灰ではなく、小さな石をしきつめてありました。鉄瓶が小さく、稽古に使えばいつもお湯を足さなければならず、瓶掛けには電器が使われています。良い鉄瓶なのに大丈夫?と私ははらはらしています。

茶味

まえに先生と話し合ったことがあるのですが、「茶味のあるひとって長い間の稽古というか、習練で身につくと思いますか?もし身につくとすれば、何年ぐらいかかりますか?」という話で、「茶味のある人というのは、どうも本人が持っているもので、折角お稽古に通っていらっしゃるのに、どう教えてあげようもないようなものです。お稽古で身につくものではないと思いますね」という話、何年も何年もかよっていらして、点前手順はとってもきれいになさるかたがいらっしゃるのですが、稽古が手馴れていくだけで、空洞に向かって話をしているような気持ちになるかたがいらっしゃる、とっても疲れてしまう、これはなんなんでしょうと話されたことがあります。物静かな人で、特別うるさいわけではない、手順は上手、だけど流れていくだけ、

自分の点前の稽古は熱心になさるのだけど、終わればさっさと帰る、何気ない会話の中に手順とは違うお茶に関する話もあろうものを、少しも耳を傾ける気もなく、人の点前を拝見する気もない、みていると間違わないで点前をすることにのみ神経が集中しているのではないだろうか、お茶の稽古というのは点前の稽古ではあろうけど、点前なんて瑣末なものです、なれれば誰でもできる、でも茶味というのは、本人が意識しなければ掬えないものではないでしょうかという話を何度もしました。

たとえば、先生が通っていらっしゃる教場、昔からやってらして通うこと、50年、60年というかたが多いとのこと、歳をとって稽古はされないけど座ってお茶を一服いただいていくかたが、三分の二くらいもいらっしゃるとのこと、これを歳をとって稽古が嫌になられたのですねととるか、あるいはきちんとした気持ちで通うことができるほどの間は通い続ける、お茶の手順よりももっと教えてもらう中味が濃いと思いますね、ととるかで教えてもらう中味は随分違う、これを大事なことですというふうに言わないでも、それをどう掬い取るかどうかで、お茶の稽古でなにを学んだかということがあるのでしょうね。でもそれって教えることできると思います?言葉で教えられることって、実は非常に少ないと思います、というような話をなさるわけです。

折角稽古に通っているのだから、茶味というものを身に着けたいと思うけど、言葉で教えてもらえるのは、瑣末とまではいわないけど、手順だけ、一番教えていただきたいこと、学びたいことは言葉の表面だけでは、とてもわからないこと、奥にひそんでいて、それは教えてもらうのではなく、自分で会得して行く世界である、

会得していく世界というのは、じつはその人の気構えというか、資質に関係していると思うのです。つまりは習いたいことは、そのさきから既に持っている資質、習わないですでに持っているひともあり、なんぼお茶を習っていても、形はいかにもお茶であってもお茶になってない人もいる

茶味というものを身につけたい、それなのに初めからすでにお茶であるというひともいて、まったく身につかない人もいる、多分50年近くお弟子さんがきてらして、茶味を身につけた人って少ないですね、それはなかなかむずかしいように見えますが、実は手順のような覚えるものではなく、ある人にとtってはとっても簡単なものなんですね。乗り越えるのが大変な人、乗り越えられない人、乗り越えるべきものがあるとも気がつかない人、色々ですねといわれました。

茶味って、それを勉強したいのに、習えないものとすればどうすれば、あるいは習わなくても生得のものとすれば、お茶で何をならう?

そもそも茶味ってなんなのだ、これを考えていきたいと思います。

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茶室  8

私の茶室

利休の待庵は究極の狭さの二畳、わび、さびの美意識を具現化したものといえます。鬼さんによれば、侘びは随他意の意識であり、寂びというのは随自意の意識であり、意識が分裂しているという指摘がありましたが、そこは主客一如ということで乗り越えられるのではと思います。わび、さびを目的に、

ところで「笈の小文」を唐突にもってきたようで、どうも文脈からしておかしいとありましたが、「笈の小文」は貞享4年10月25日~貞享5年4月23日まで故郷の伊賀に旅行したおりの芭蕉の旅行記なのですが、芭蕉の死後、大津の門人川井乙州が編んだものです、その序文に

 百骸九竅の中に物有*、かりに名付て風羅坊*といふ。誠にうすものゝのかぜに破れやすからん事をいふにやあらむ。かれ狂句を好こと久し。 終に生涯のはかりごとゝなす。ある時は倦で放擲せん事をおもひ*、ある時はすゝむで人にかたむ事をほこり*、是非胸中にたゝかふて*、是が為に身安からず。しばらく身を立むことをねがへども*、これが為にさへられ*、暫ク學で愚を曉ン事をおもへども*、是が為に破られ*、つひに無能無藝にして只此一筋に繫る*。西行*の和歌における、宋祇*の連歌における、雪舟*の繪における、利休*の茶における、其貫道する物は一なり。しかも風雅におけるもの、造化にしたがひて四時*を友とす。見る處花にあらずといふ事なし。おもふ所月にあらずといふ事なし。像花にあらざる時は夷狄にひとし*。心花にあらざる時は鳥獣に類ス。夷狄を出、鳥獣を離れて、造化にしたがひ、造化にかへれとなり。

とあります。見るところ花にあらずということなし。おもうところ月にあらずという事なし。利休の茶における、其の貫通する物は一なりとあります。茶ということを問題にしているのに、なぜ俳諧のことをというのはそんなわけです。

わび、さびという美意識は、茶にかぎらず、日本人に中に流れる美意識なんだということだと思うのです。「南方録」では藤原定家の歌の引用から始るわけですから、平安時代から江戸時代の俳諧まで流れる美意識、それならば、現代にも当然続いている美意識に違いない、お茶ってそこには連綿と流れる美意識がず~~っと続いている、それを実践を通して見つめてみたい、

茶室はそれを具現化してくれる空間かもしれない、

さらに近代数寄者の高橋箒庵は、趣味至上主義ともいえる主張をしているわけで、それは芭蕉における軽みといえる境地かもしれないと思ったりします。

茶室ってお茶を点てて喫する、それだけの部屋ですが、連綿と続く美意識を感じつつ、ゆっくりとすわりたい空間です。

ところで私の茶室は、茶室などといえるものではないかもしれません、25年まえに私30代後半、我が家を改築するときにどさくさにまぎれて作ってもらったもの、まったく嫁の大暴走、知識もないものが建てたことがないという大工さんを叱咤して、色々な本を参考に、また公開されている茶室を見学してあ~でもない、こ~でもないと建ててもらったもの、天井は真行草になってますが、へぎいたを網代に編むのも新聞紙で練習してから、姫竹をそのままのせて建てればいいものを、全部、くりぬいてはめ込みにして細工、仕事が終われば、大工さん神経使いすぎで入院の憂き目でした。今思うとまったく知らないものの、暴走なればこその茶室でした。ただ全部こんなの、あんなのと私自身が携わってきましたので、思いいれも一入です。どなたか建てたいというかたがいらっしゃれば、失敗話を色々してあげたい、参考になる話など色々です。

茶室を通してお茶ということを考えています。色々な美意識を具現化された世界、

その歴史、美意識につがる系譜のお茶をたどっていきたいと願っています。

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茶室  7

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今秋のお茶

 今秋は台子の稽古、真台子でていますが、今点てているのは飾りつけからしても行台子です。行の行の稽古風景、真の行を稽古する人もいるので台子は真台子をだしてあります。

 台子の稽古、ほんといくら稽古してもなにやら混じって間違いをしでかしております。なによりも台子は実際の茶事にはあまり使われず、歴史からいえば古い格式ある点前ですが、実際は唐物といいながら、稽古道具、中興名物などとは言葉だけ、天目茶碗も台も稽古用なので、力がなかなかはいらない、

 なんで稽古を続けるのでしょう?と先生に聞きましたら、茶のそもそもの精神ということもありましょうが、実際とは違うけれど、道具に対する気持ちを養うということがあるのではないでしょうか、とのこと

 皆具はもう言う言葉もありませんが、今日は行でしたので、本日初めての道具は杓点てでした。雲華焼の杓点て、石川県の山崎宗元さんのものです。何十年もたちますが、この杓点ては初めて、飾り火箸は金象嵌、水指は田山方南のもの、行でしたらまだ道具の取り合わせはできますが、真の行ならば皆具、面白くないんです。と、いいながら、私あまりよくわかっていないときに買ってしまいました。南鐐の風呂、釜にさらに皆具、おまけに真台子、蝋色に塗って作ってもらいました。ぜんぜん出番がない、ここまできたからにはと火箸もきちんとしたものを、ほんと出番はありません。

 わたしのところの稽古場は普通のお稽古10年以上たったかたで、希望者のみ台子の稽古があります。

高橋箒庵のお茶

近代数寄者の巨人、高橋箒庵は「おらが茶の湯」で以下のように述べています。

近頃世間には、茶の湯といふ事に馬鹿馬鹿しく勿体をつけて、道徳の教訓と結びつけ、忠君愛国の気風を養ひ危険思想防止の効能があると言ひふらし、甚だしきは茶道経国などいふ大袈裟な宣伝をする者もあるようだが、おらが茶の湯はそんなものではない。茶の湯は本来趣味である。趣味として之を楽しめば其れでおらは満足する。無論茶の湯によって世間に様々の好影響を及ぼす事があるかも知らぬ。併しそんな副産物を眼中に入れるのは既に第二義に堕ちるものである。本居宣長が文学を論じて、人或いは文学を以って、道徳のため、或いは宗教のため、或いは実際生活の為だといふ功利的見解を加ふる者もあるが、文学は之を読む人に物の哀れを知らせる為で、それ以外の目的の為にするのは、桜の花を見る者がその桜の木を薪にすることまで考えるのと同じで、薪にするには他に好き木が沢山あるから、桜は唯花を見ればそれでよいのであると喝破したのは流石に彼の第見識である。おらが茶の湯も亦その通りで、茶は茶の趣味を楽しめば、その他是より生ずる副産物を勘定に入れる必要はない。

 茶の湯を趣味以外のものにしてはいけない。たかが趣味ではあろうが、趣味は人間の特性である。趣味なくして人間の生活に潤いもないし楽しくもない。趣味を至高のものとして、趣味以上のものでも趣味以下のものでもな

 近代数寄者の巨人、高橋箒庵は茶の湯は趣味であると喝破、随分豪快な趣味であったと思います。贅沢で豪快な趣味、ある意味での享楽者、祖の時分は税制もゆるかったのか、それはそれは豪快な金銭の使いっぷりであり、道具にたいする貪欲な心、そして目利きであり、文化人

そんな巨人が茶の湯は趣味にすぎないって、

よく考えれば箒庵の足元にも及ばないけど、やはり好きでなんとなく続けている、やはり趣味だけかな~と思いなおしたりしています。趣味でも、その力は侮れないかもと思う、箒庵の足跡をたどれば、そして色々な数寄者の足跡をたどれば、趣味の世界も広い、豪快なものだと感心してしまう。

結局茶は趣味に過ぎない、でもそれだけか、疑問符はとれません。

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茶室  6

利休の遺言

利休は茶聖といわれていますから、その解釈はさまざまあり、実際の利休像からは離れていて理念だけが先行していて、それはそれで勉強のてだてになるんだけど、実像は?と思っていました。利休の遺言というか、末期の消息を読む機会があり、実質的な一面を彷彿とさせる面があり面白いと思いました。

泉国ある程の事
同佐野問しほ魚座ちん銀百匁也
田地は今渡候分もす深井にて候、済候
但、泉州ノ内にても別に給候を書ゆつり候分有之
宋易今ノ家但我死テ十二ヶ月ノ間ハ子持
西本家今小路アケましき候
西之浦すち弥三郎事
こん屋丁地子すこし
才木丁物同すこし中すちの事也
但 紹ニ北となり地子屋ちん石捨のあね也 大かた此分了専時より分也
此外家共 今あるじ宗易代々ニ取之候分を分候也
やうきひ金ノ屏風一双
古渓和尚様進上候也
金ノ二枚屏風 右ノ壱こそは紹安也
奈良屋道珠家質物之代ニ本銭六十貫文
恵輝墨蹟是は今うり候や また覚えす候也
  以上はやわたし候

 古渓和尚様
此書おきニ不入候分一円不可存候也

要するに遺産の処分に対する遺言状であって、問屋、田地、家屋、地子銭、家賃にかんすること、名物の屏風や墨蹟のことに及び,相当勘定も細かい、自分の死後も十二ヶ月は子供の所有であるといい、屏風の一枚は古渓和尚に、一枚は紹安にと
しかもこの書置きにはいらぬ部分は全く自分の知るところではない、このことだけでも書置きをのこしておくといって花押を残している

この書置きをひとつみても利休は一筋縄のひとではない
単なる芸術家でもないし、単なる宗教家でもない、またもちろんたんなる政治家でもない。あくまでも現実に根ざし、いきぬかんとした人間そのものである、茶道の道は現実生活に基礎をおくものである

現実生活に根ざしたお茶、それが利休のお茶

現実生活に根ざそうとすると、現実って刻々かわっていくのですね。利休その人に現在のお茶のもとがある、あれもこれも、みんな現実とすると、みんなあらかじめ包含していたってことになるのかもしれない、みんな利休を祖とした歴史?そういうことになるのかな。

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茶室  5

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今週のお茶、

まだ梅雨はあけませんが、今日は暑かった、庭ではセミが鳴いており、これからのお茶の稽古はもっぱら涼しい、さらさらが目標です。

茶箱の点前になりました。今週は鉄瓶で今夏初めての稽古、写真は卯の花の点前の稽古風景、茶箱では一番簡単な点前のはずですが、もう昨年のことはすっかり忘れ、いちいち点前手順を直される人ばかり、あんまり涼しいとはいえませんでした。私たちの稽古をしてます流派、茶箱の点前は、卯の花、和敬、雪、月、花、それに茶籠の点前もあり、都合6通り、つまるところ一つの点前は一年に一度くらい、いつまでたってもうろ覚えです。

鉄瓶は寒雉のナス型、手に金であたかも紐をまいたような象嵌、つまみはごまの実に虫食いがはいっています。茶箱用の茶碗、小服茶碗、わたしがいただいたのは安南手、その他、開発文七などなど、いずれもちいっちゃいので、上手においしく点てるにはコツが必要、振り出しには約束の金平糖、昔はおいしいエキゾチックなお菓子だったのでしょうが、いまはあんまり人気がないお菓子になってしまいました。しばらくは鉄瓶の点前の練習です。

「笈の小文」

茶の湯なる「一境浄土世界」の創造は「西行の和歌における、宗祗の連歌における、雪舟の絵における、利休の茶における其の貫通する物は一なり」{笈の小文)という文があります。

利休の茶は、伝統的な日本の美意識の系譜につらなっているというわけです。不足を侘びる気持ちのわび、こうなると不足そのものに沈潜して、わびという足りない否定的な世界から、たりない其の世界に沈潜し、むしろ足りない世界を不自由に思うのではなく、足りない世界に知足安分の境地を見出す

つまりは、花をのみ待つらむ人に雪間の草の春をみせばや、という世界をいってるということだとも言われています。花という完全なる世界、円満具足の世界をのみが世界ではないという、時間の流れの中に美が存在する、あるいは、完璧ではない世界が持つ美しさ、完璧ではないゆえに、完璧がもってる美しさとは異質な美しさを見る姿勢であると思います。

雪舟の絵は、墨絵ですから色はありません、しかし、枯れた墨色の世界は色がないゆえに、あらゆる色を包含しているともいえるわけです、見る人のこころに浮かぶ色、見ている世界のいろではなく、想像の中での色、あるいは刻々とかわっていく時間のなかでの色を、ある人には現出しているわけです。そして、色のない余白には、余白であるがゆえにある人には、さまざまなものが見え、広い大きい世界を想像させることもできるわけ

そして、利休のお茶とも一筋の道でつながっていると考えれば、利休の究極の二畳の待庵は、究極の狭さであるけれど、またじつは其の中に浄土の世界を現出させている、ひとつの宇宙を創造したともいえるわけです。

さびというのは、おいさびから出た言葉だと思います。若々しい華やか、元気という美しさから沈潜した枯淡の美しさ

こんな美しさを茶の湯の美しさとしたものならば、合理的とはまったく異質な世界、

こんな美しさ、俳句につらなる美しさが伝統的な一につらなるものだと勉強したのは20歳ぐらい、お茶を実践していくにつけて、其の美しさを自分のものにしたいと、お茶につらなる美の系譜をひきよせたいと20代からづっと願っていたのですが、観念から前にすすまないのです。

でもこういう文を読むと、お茶も哲学?今とは随分違うのですね。哲学と考えると実践と考えとはどう結びつくのですか?茶の湯って、観念じゃないよねとまたどうどうめぐりです。

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茶室  4

現代の茶室

・・・・・会館には折角だからと茶室だ作られていることが多く、また最近茶室を作られるかたはお茶を教えていらっしゃるとか、お茶を実際にしていらっやる人、そんな茶室は作られた人が色々勉強されたあととか、最近では茶室の知識もさまざま手にいれやすいとか、という事情もあり、それはよく考えられて動きやすい、使いやすい、あるいは炉の切り方には8炉あるわけですが、あちこちから入り方を工夫すれば、色々な炉の切り方の勉強もできるとかの工夫が一杯されていて、それはそれですばらしいと思います。

ただそれはお茶の勉強のためにはとっても有効なのですが、そういう茶室にはいると、なんだかしっくりとした感じがしない、勉強室にすわったようなきちんと感はあるのですが、今では使われなくなった昔の茶室にすわったようなゆったり感、夢の跡から受ける、ひっそりとした輝き、じつはそれこそがお茶が持つ香気と考えるのですが、そういうものがあんまり感じられない

私たちの稽古場は、8畳の部屋です。稽古と考えると、一人で小間で点てる稽古だけではなく、五人で組になって稽古する花月というやりかたもあるわけで、稽古場とすれば8畳はどうしてもいるわけで、稽古と考えれば小間は考えられないといわれます。稽古場は稽古場で茶室とはいえませんね、とは先生の言葉、

茶室というのは、やはり稽古場の延長ではなく、そこが真剣の場ではないかなと思うのです。するとやはり、稽古の延長に茶会があるのではないんだろうなと思うのです。

現代の茶室は使いやすい、用の美ではあっても、本来の茶室とはちと違うのかなと思うのは私だけ。工夫すればするほどなんだかお茶とは離れていくように感じてしまいます。何をどうすればいいのかはよくわからないけど、茶室を建てたのでしょうが、またたしかに茶室に見えるけれど、いつも違和感を感じてしまいます。

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茶室  3

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今週のお茶、

簾をかけて夏の設え、流し点て、水指は朝鮮青磁、裏をひっくりかえしてみましたら、釉薬がちじんで景色になってました。流し点て、運びの水指ですので、手になじむまるっこいちっちゃめの水指、もちろん水指に焼かれたものではないと思います青磁の釉薬がこげてたりして、景色になってました。

夏のお茶はさらさらと涼しげに点てるのが肝要、流し点てもお客との距離も近しげに、涼しくありたい、

そんなわけで、夏はもっぱら薄茶が多いです。草の点前が多く、道具もかろやかなもので設えたい、しかも夏はこのあと、鉄瓶の点前がきますので、毎週かわります。鉄瓶に茶箱、これって私たちの流派、なんと6通り習っております。茶箱ではなく、盆を使って点てるやりかたもありますので、毎週ひとつづつあげていても、ついには一回もしない点前もあるわけで、何年やっていてもうろ覚えになりやすい、道具のあれこれ、草のもので洒落たものが多く、楽しみな季節でもあります。

数寄者の茶室

どこの県でもそうだと思うのですが、昔の旧家、これが県の持ち物、あるいは市の持ち物になっていて、旧家の数寄者が建てられた茶室、しかも建築の粋をこらした小間の茶室、これが貸し出されているのです。小間の茶室ですので、最近の大寄せでは使えないらしく、あたら茶室がそう使われているわけではありません。ためにお借りすると、とっても喜ばれるのです。こんな茶室をお借りして茶会をなんどもしてみました。もちろん、私の持ち込んだ道具ともいえないような道具でする茶会で、其の茶室に申し訳ありませんね、こんなものを持ち込み、しかも、その茶室にふさわしいとはとてもいえない私たちが使わせていただいてという気持ちでいっぱいですが、これがなんともいえない、気持ちのいい空間なんです。

県内でお借りできるところは、ほとんど使わせてもらいました。そして何度も贅沢な空間を独り占めしている経験から、茶室をたとえば、・・・・会館といわれるような、現代の茶会に使われるように設計され、作られた茶室とは、空気感というか、重さというか、かもす雰囲気が全然違うと感じるのです。・・・・・会館には小間の茶室が作られていて、寄り付き、水屋、それはよく考えられて便利にできているのですが、数寄者といわれる人が作られ、その茶室でかって数寄者といわれる人たちが、気持ちを交換しあい、あるいは魂をぶつけあった空間、その空気が余韻として残っているのか、・・・・会館の茶室とは全然違うと感じます。

数寄者といわれる人たちは、茶室になにを求めていらしたのだろうか?数寄者といわれる人たちは、実業の世界で成功なさったかたで、実業の世界をお茶という実業をこえた世界で、何を表現したかったのかな、何を求めてらしたのかな、

今夢の跡ともいうべき、茶室にはなお余韻が残っていると感じ、粗末な道具でも道具を設え、茶会を実施すると、いきいきと茶室が底光すると感じるのです。

数寄者といわれる人たちは、実業に成功なさったあとで、その財力をいかして膨大な道具を蒐集され、そしてそれを茶室で輝かされたのでしょう、実業にいそしんで其の果てになにを見ようとなさったのかな、実業に忙しく、そんな茶室はそんなにも使われたものではないのではないか、実のはてに何を見たいと切望されたのか、実業の成功の果てにはなにがあったのか、

色々な立派な茶室を見たり、使わせてもらったりしながら、興味はつきません。

茶室って、やはり夢の跡なのでしょうか・

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茶室  2

草庵茶室

草庵茶室の極といえば、妙喜庵待庵、国宝の茶室二度だけ拝見したことがあります。

「侘び茶」の決定といわれている二畳の待庵、私にはまだまだ及びもつきませんが、紹介を

ニ畳敷きの茶室は殊に度々用ひられているのである。これは、膝を入るるに足れば事足るといふ侘びの本旨を発揮せるものであって、四畳半茶室ともなれば「一向の草庵ともいいかたき心」(南房録)のものであり、「用ひても用ひても小座敷ならでは茶の湯の本心は得がたきこと」とし、「心の至る所は草の小座敷にしくことなし」といひ「三畳敷をしつらへたるさへ道の妨かなと後悔」し、台子の「法式を階子のして今少し高き所にものぼりたき志ありて」「書院結構の式より曲をやつし露地の一境浄土世界を打ち開き一宇草庵二畳敷にわびすまして薪水のために修行し一椀の茶に真味あること」を悟った自覚、茶の湯なる「一境浄土世界」の創造である。

其の簡約されたる姿は、其の内容の単純狭隘といふことではなくて、寧ろ複雑深遠なる内容をば、できるだけ純粋化し凝縮して形象化せるものであり、しかもそこに見らるる洗練の美は、「わび」「さび」が持つ制約性の極地を示すと共に、立体的にも平面的にも、これに一分を増すことも減ずることも許されない。

精神的な意味の濃い草庵茶室、噛み砕いてみようとするのですが、どうにも歯がたたない、というわけで、学生時代の講義の中味を拾って書いてみました。

草庵の茶室って、見たところ、二畳という大きさの制約もさることながら、作りが一見粗末、珠光のいう「ひえ枯れる」世界であり、「南房録」に「紹鴎の侘び茶の湯の心は新古今集の中、定家朝臣の歌に
      見渡せば花も紅葉もなかりけり 
                   浦のとま屋の秋の夕暮れ
この歌の心にてこそあれと被申しと也 花紅葉は則書院台子の結構にたとへたり其の花も紅葉もつくつくと詠め来りて見れば無一物の境界浦のとま屋なり 花紅葉を知らぬ人の初めよりとま屋には住まれぬ所 詠め詠めてこそとま屋のさひ住居たる所は見立たれ 是茶の本心なりといわれしなり」

ここに注意すべきは「浦のとま屋」の境に至るには、一応「花紅葉」の経験を経て後至るべきであるとしていることである。

草庵の茶室って粗末ではあるけれど、あらゆる結構、豊満な美しさを内包して、外の見えた世界では「冷え枯れる」世界であること、シンプルではあるがあらゆる贅沢さというか、華やかさを内部に秘めた、一見単純ではあるけれど実に複雑な中味をゆったり内包している世界、二重構造になってる世界ですよといわれていることです。

茶室というのは、膨張して贅沢な世界を味わいつくし、そして、そのうえにあらゆる虚飾をそぎ落とし、最後に残ったもう絶対削れない、最低限の世界に知足する世界、「一境浄土世界」、本来の茶室ってそういうものだろうということなのです。

精神論に偏って、どうにも消化しきれず、講義そのまんまになってしまいました。まだまだ勉強中です。
   

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会記

Dscf0032_2 先日の「夏越の茶会」の会記です。

会記というのは、その茶会に使われる道具のあれこれ、花、、お菓子、お茶にいたるまでが書かれていて、待合であれこれと想像して楽しんだりするもの、道具のあれこれが、誰それの作品、あるいは、全体を眺めて取り合わせ、季節のあしらいなど、心楽しく眺めるものです。

取り出される道具が書かれている、そんなふうにも考えていました。

名物 赤楽茶碗 銘「早船」 楽長次郎の茶碗には、有名な千利休の添え状があります。

此暁三人御出、きとくにて候、とかく思案候ニ色々申シ被下候而も、下調候、我等物を切候て、大黒を紹安にとらせ可申候、はや船をハ松賀嶋殿へ参度候、又又とかく越中サマ御心へ行候ハてハいやにて候、此理を古織と御談合候て、今日中に御済あるべく候、明日松殿ハ下向にて候、何候とも原舟事そうさなく候、是もむつかしく候、越中殿へ無心申候て右如申候、はや舟をハ飛もし参候、大くろを紹安に可被遺候事乍迷惑其の文ニすまし可申候、己上かしく、十九日
                    両三人まいる

三斎がこの茶碗を所望したが、利休は蒲生氏郷に与えたといういきさつを添え状に書いてあります。

この茶碗は「畠山記念館」のものですが、たまたま、石川県立美術館で開館20周年を記念して展観されたものを拝見いたしました。

そのときに美術館の学芸員のかたに資料をいっぱい駆使して、この添え状にでている人々の立場、年齢、その時の社会的地位を加味すれば、この茶碗が三斎にはこなかったはずですね、三斎はまだ十代であった、蒲生氏郷が松賀嶋城主であった年代を考えれば、というように、単語のひとつを手がかりに考えることを教えていただきました。

会記というと、とかく道具のあれこれに幻惑されて、というか、うわ~、こんな道具が出てるんだなどというようなことばっかりに目がいって、其の中味というか、茶席につらなる人の息使い、人間が無きがごとしの扱いになってる現状、

道具と人とは不可分で結びつき、道具が生き生きと主張するのは、ひたすら道具そのものにありといううよりも、その場に居合わせた、あるいは席主の思い、そしてその歴史が道具を輝かせている、

道具というのは思いの産物ではなかろうかと考えた次第

であるから、道具の歴史が珍重され、またさしたるものでなくても、席主の思いが作者の思いとかぶさってでてくれば、それはそこでは一級のものになるやもしれずと思うのです。

会記というのは、道具のあれこれではなく、その道具を囲んだ人の息遣いを感じる手立て、そうではないかと思います。

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茶会  4

一つの方向

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今週の稽古場です。軸、徳川光圀「起きて半畳、寝て一畳、米三合」とあります。末広籠の落としの水指、葉蓋に青磁の平茶碗、洗い茶巾、たっぷりと水を使い、涼しげな夏の点前です。こんな点前は時季ですので、あちこちでなさっていらっしゃることでしょう。

点前の形は珍しいものではないと思います。ただ私の先生は、毎週設えがかわるのは勿論ですが、その設えで毎日、家族のために茶を点てていらっしゃるのです。家族のために、お茶を点てていらっしゃる人はいらっしゃるとは思います。先生の家では、弟子のために設えがかわる、道具のあれこれをかえる、花を生ける、軸を架け替えるというよりも、むしろ、毎日の家族のためにのほうが先にきているのではと思うのです。今は風呂ですので、昨年よりは電器になってしまいましたが、炉は家族のためでもなんでも必ず炭です。

先生の息子さんが、親に似て道具好き、自分が飲みたいお茶のための道具をあれこれ寄せられたもので、その道具を設えてお茶を楽しむ、それが先なんです。それらの道具、弟子の私たちが拝見いたしますが、それ以上どこにも出ることはありません。息子さんはお茶とは関係なく、ただ数寄というだけです。そしてそれらの道具、設えで飲むお茶を生活の一部として楽しんでいる、一客一亭、それが親と子での毎朝の小さな茶会というものであろうかと思うのです。ポットで慌しくではなく、きちんと火を熾し、花も生け、菓子もきちんと主菓子、干菓子と用意し手順にそってお茶を点て、喫す。

その小さな茶会のあまりを、弟子たる私たちが享受している、そんな感じです。

数寄としての道具が主です、箱書きあることもありますが、趣味のかった道具はおもしろいものです。

先生によれば、息子へのご飯の支度みたいなものですね、設えとりあわせ、こんな風にしたのかと息子さんから、これが結構シビアで、男ってすすむのが早いですねと言われますし、親子といえども値段は聞いたことがないと仰います、私が道具を拝見するのが好きなので、息子さんは、私が道具や設えについて感想を申すのを先生から聞いて楽しんでいらっしゃる様子、真剣に拝見、そんなわけで、息子さんとは直接席をご一緒することはありませんが、ちょっとした勝負という気持ちでおります。いつだって先生は息子の購ったもの、たいしたものじゃないでしょう、と言われるけど、購った人の人間性がすけてみえて、いっつも面白いと思っています。

茶会の一つの方向かもと思っています。ただの日常、それが、お茶のまったく関係のない日常からみれば、精神的な高見に達したかなという日常、このお茶、簡単そうでじつはもっとも私にはできそうにもない茶会の形です。

家族でお茶という価値観を共有するには、長い間の習練が必要ですし、なにより親子でそんな価値観に達するなんて到底できそうにもありません。息子さんは親のやってらっしゃることは毛嫌いしてらしたはずなのに、長い、長い時間のはてに親の持ってる美意識を理解してらしたようです。

これを茶会といえるかどうかわかりませんが、ある形の茶会、内向きの茶会ではまことに結構なものであると考えます。

この頃のはやりの大寄せ茶会とはあまりにも違いすぎるお茶、これ、私はできそうにもないけど、あこがれる茶会なのです。

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茶会  3

茶会  私の場合

これまで茶事を何十回実行してきたか、あまり覚えてはいません。一期一会ということを信じ、会記も残していなければ、写真さえも撮ったことはほとんどないのです。最近お客さまが、ネットに載せたり、記録にと写真を撮られることがあり、ようやく写真だけは少々撮るようになりました。あくまでもその茶事はそこでの真剣であり、お客さまとの気持ちの交換、そしてそこで醸成された気分だけが、その時のお茶であるという気持ちは今も変わらずです。

私の茶会はそんな茶です。

茶事の実施は何ヶ月、あるいは、ぼんやりといつかしてみよう、そういう思いですが、実はその思いのときにはもうほとんどは実施したも同然です。虚夢というものかもしれませんが、それを実現したのが茶事ということになると思います。

正客、連客をえらび、準備に日を費やし、ささやかな道具の選定、設定、当日は待合から席入り、炭点前、懐石、濃茶、薄茶、この流れを一人で実施いたします。一人での茶会ってものすごく体力がいります。道具のしまいつけまでいって、そしてお客様からの心しみる礼状を何日かたっていただき、達成感とある種のむなしさを味わって、終わりますが、体力がいること、年々大変になってき、四月に「炉の名残」の茶事を実施したあとは、膝をいため医者通いまでしました。茶事って優雅なものと思われているかもしれませんが、実際は気力、体力の充実が必要なわけで、できるうちに続けたい、そんなふうな執着する思いは茶事の実施で何かが見えてくるに違いないという思いがあるからなのです。

私の茶室は4.5畳の小間ですから、たくさんの人をお呼びできるわけではありません。でも一期一会の真剣なら当然と、同じもので何回も人をお呼びしたことはありません。ささやかな道具ですが、その時に5人くらいでのお茶の場に饗されただけです。

こんなお茶を続けていて何かをつかみたいと思っていますが、あるかたからそれは、というより、お茶というのはてんでの自分のお茶ということであって、お茶そのものなのか?といわれたことがあります。

特殊な自分なりのお茶、それが普遍性を持っているのか、お茶の本質に迫っているのか、自分という世界にこもっているだけではないのか、という感想であったと思います。茶人というのは、自分であるということを押し付けているだけなのか、さもなければ流派によりかかった思考停止の人達のことなのかということを言われました。痛烈な感想でした。

そして考え続けています。

しかし、至る道があるとするならば、自分を磨く、自分なりの道を進んでいくしかないのでは、と思うのです。いくら考えていても、考えの中からは見えてこないのではと思うのです。実践を通してでなければ、見えてこないのでは?

お客さまにとっては、随分迷惑かもしれません。お茶というものの普遍性のかけらでもつかめるのでは、つかみたい、なぜ執着するのか、その答えを探し続ける、そして拙い茶事を実施し続けるのです。

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茶会  2

メールで現代では「大寄せの茶会」でない茶会ってあります?といただきました。

茶というのは、一客一亭がもてなしの基礎と思います。現実ではそんなことはとてもできそうなことではありません。ただ精神的なバックボーンではという意味でです。大寄せというのは、亭主は一人ですが客は多いだけではなく亭主にとっても、客同士でも見知らぬ人の集まり、客は見知らぬだけではなく、熟達者、初心者、全くの門外漢とばらばら

この中で茶会を実施するのには、亭主の力量が求められます。

ところがたくさんを効率的に捌く必要があり、門外漢の人でも一見してわかるというような思いからか、これってお茶なんですか?と驚く設えがとても多いと思います。パフーマンスも極まれりというか、お茶の木が中国から輸入され、「喫茶養生記」ではお茶というのは薬として飲用されるようになった時代性まで無視、その格好は時代が随分古く、お茶などあったのですか?と驚く風体で点てていらっしゃるとか、謡曲の世界を追体験しようとして、舞台のような設え、謡というのは異次元の世界、魂の世界を題材にしていたりするのに、舞台だけを設えてこと足れり

お茶の世界が散漫として拡散、こんなパフオーマンスの世界を見聞きすることも多いです。

本来一客一亭、もてなしの心を一人一人に敷衍した茶会であってほしい

大寄せであっても、こういう気持ちがいきていれば、大寄せとなんとなくがっかりすることは毛頭ありません。

現代では「大寄せの茶会」以外ではありますか?という話、そういう世界は個人的に楽しんでいらっしゃる世界、いらっしゃるとは思いますが、非常に少なくなったと道具を作っていらっしゃるある人の感想でした。ために道具も個人的に楽しむ、趣味的なものよりも、大きい部屋でどなたに説明しても、そうでしたかと納得のできる方向の道具が喜ばれ、面白い道具は昔からみると手にいれやすいですよとは道具屋の弁、茶人人口を考えれば、大寄せに向かうしかないのかもしれません。

ただ、それが本来のもてなしから逸脱して、パフオーマンスに向かったりするのはいかがなものかと思う人が多いのも事実です。

ましてや席主と正客に座られた人との個人的なやりとりになっていたり、正客譲り合戦などは、どうみても諸葛孔明の「三顧の礼」とは程遠く、門外漢の人をあきれさせていることなどもあったりします。

もてなしの原点にたてば、茶会というのは、大寄せという名まえでくくるべきではないと思います。本来器量が求められる大寄せ、できそうにもなく、ただ色んな主催者のおやりになる茶会を楽しませてもらっているだけです。

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茶会  1

夏越の茶会

Dscf0028_1 6月25日、撫子さんの席主、「夏越の茶会」が行われまして出席いたしました。夏越の祓いは形代に半年間の穢れをのせて川に流したり、茅野輪をくぐり、穢れをはらい再生する、胎内くぐりとおんなじ考え方、半年間の穢れを祓い、きたる暑気に備えようとするわけで、神社の大事な行事です。異形のもの、穢れにもっとも弱いのは子供、そこで子供に・・・・・丸、つまりおまるのまるを名まえにつけて、なるべくたたりがこないようにと願って名前をつけたのでしょう、そういえば「枕草子」にあわれな犬、翁丸がでてきます。子供と同じように・・・丸と名づけたのでしょうか、そこで祓いです.。掛け物は社の図、その社にお参りして祓いをしていただくという気持ちの高まりです。その前には釣り花生けに涼しげな季節の花々が

Dscf0021_1 Dscf0022_1

木地の水指には、八坂神社のお守りが、小さな茅の輪にくくられています。水指のまわりにはりんとした幣が、清浄さをあらわしています。

大きな茅の輪は、席主が前日、住まいの近くの神明宮でお祓いをうけていらしたという立派なものでした。一茶に「母の分も一つはくぐるちのわかな」という句もあります。参列者の半年の穢れを祓い、夏に向かってほしいという席主の思いが伝わりました。もちろん私も茅野輪をくぐり、一度死に、そして再生するという思いを強くしてきました。

Dscf0023 Dscf0026_1        お菓子は約束の「水月」おいしかったです。

そして偶然にも私の前には、とくさんの「麦や平茶碗」がきました。おいしくお茶をいただいてきました。

「夏越の茶会」はまことに時期に応じた、そしてお道具の取り合わせは、社、祓い、水をテーマに取り合わせられ、本当に気持ちのいい、そして亭主の長年の習練を十分に感じられるものであり、なによりも祓いという神事が、きちんと八坂神社、産土神の神明宮でのお祓いをうけられたものであり、神事がそのまま参列者に及ぶように 設えてあったこと、掛け物の社にそのままお参りした気持ちになったことなど、 本当にすがすがしく、後半年を元気におくれそうという予感で嬉しかったのです。

大寄せの茶会ですが、参列者に一人一人むいているような茶会でした。祓いというのは、都での行事、平安文学のあちこちに出てくる民間信仰の形と思いますが、その行事は連綿と続き、一茶の時代にも現代にもあります。

茶会には色々な形があります。夏越の茶会などは神事を行ったあとの神社の振舞い茶だったと思います。席主が長い間京都まで通われ、研鑽を積んでらした成果、みやこぶりを田舎で体験させてもらいました。とてもいい茶会でした。 

大寄せの茶会でしたが、きちんと個人、個人に気持ちがむけられていました。そして時代からいえば、随分昔の行事ですが、今でも連綿と続いていること、お茶にふさわしいお客さまをもてなす、喜ばせるという気持ちのこもった茶会であったと思いました。                              

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写しについて 2

先日洋画の世界で芸術選奨をいただかれた作品が盗作であるということで、賞がとりけしになるという騒ぎがありました。テレビや週刊誌でしか見てませんが、もとのオリジナルのイタリアの作家さんの絵からみると、深みもあるし、出来がいいのではと思いました。ただ、作品のイメージをわかせる想像力がなかった、人のイメージの上に自分の技術を「かさねたということで、それは誰が見ても盗作なんだろうと思います。

これは写しというものではないの

ところでお茶の世界では写しというのは実に堂々と世を渡っています。「写し」というのは習練の一方法とするならば、どんな世界でもあるやりかたではあろうと思います。ただそれが「写し」として堂々と世にあるというのは、どこの世界でもというわけにはいきませんでしょう。何々写しというものを盗作なんて、誰も思ってはいないと思います。これはお茶の世界だけ?お茶の世界に使われるものは、芸術作品ではない?不思議に思います。

今古色蒼然としたどうどうとあるもの、これらは利休の時代には、いきいきとした最先端のものではなかったのか、それなのに昔のものばかりをよしとし、あたらしいもの、作者さんの創造をこめたものをなぜに評価してくれない、という嘆きを聞くにつけ、写し、つまりは古きを訪ねるばかりのありようっていったいなんなのだ、と先ごろの絵画の世界の騒ぎを思うにつけ、不思議さがつのるばかりです。

もちろんお茶で使うものというのは、道具ですから、いつかは割れたりかけたり、傷んでいくものであって、そういうオリジナルは使うものではなく、保存するのが文化なのでしょうから、写しというのはすばらしいやりかたであるとは思っています。また現代の茶人人口を考えれば、写しとして広くオリジナルではないがオリジナルに近いものとして見られる、あるいは使えるわけで、その効用は申すまでもないことです。

「写し」と盗作の違いって?あるいは「写し」の位置って?

美術館の学芸員のかたたちは、なんとなく歯切れが悪そうでした。オリジナルを持っていらっしゃるのに、かってにあちこちで「写し」と名乗る、オリジナルを持っていらっしゃるかたには断りもなく、またそれに対してなんらの規制もなく、個人個人がそれぞれ目を鍛えて、オリジナルのものが持つ光を自分で感じ取れるように、頑張ってとしかいえないもどかしさがあるようでした。

それにしても今回の絵の場合、もとのオリジナルよりも数段よかったと思うのです。お茶の世界の作品でもそんなのもあるのかしら?

よかったら意見お聞かせ下さい。

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写しについて 1

茶会にいくと、道具で・・・・・・写しというものが出てくることがあります。写しですから、当然本歌があるわけで、本歌はどこか目につかないところにあり、その本歌を模して、形だけではなく、その趣というか、本歌の持ってる力、香気さ、をもうつしてあるものだと思っていました。その写しを通して本歌の有様を想像し、本歌のもってる力に近づきたいとの思いで、その写しに対峙しておりました。

一昨年石川県立美術館開館20周年記念「畠山記念館名品展」が開かれました。すばらしい垂涎の名品がならび、眼福を楽しんできました。

その中に、長次郎七種にあげられた赤茶碗のうち、現存する唯一の赤茶碗がありました。その茶碗には利休の書状も添えられており、茶碗のすばらしさは申すまでもなく、その茶碗の持ってる物語もまことにおもしろいもので、ためつすがめつ何回も眺め、目跡があるということで、椅子もおかりして、上から覗いてみたりもしたものです。

その茶碗の写しというものが、さるかたの所蔵品ということで、写真が公開されていました。その茶碗にも箱書きなどはものものしくついており、そうなのかと思っておりました。写しと本歌を写真を通してではあったけれど、拝見することができ、さて写しというのはどんなものだろうと考え込んでしまいました。

その茶碗の場合、歴史がはっきりしておりまして、写しが作られた時代はさる大名のもの、天下に名だたる名椀、それをまずは拝見できたものだろうか、茶碗の特徴は景色がどうなってるのか、目跡がいくつあるとか、というようなことは世に流布していたかもしれません。拝見もできないものを憧れというか、近づきたいという思いで作られたものかもしれません。

勉強のため美術館にいき、学芸員のかたに教えていただきました。さらにその茶碗の所蔵者である美術館にも問い合わせ教えていただきました。

写しというのは、たとえば焼き物を志すかたにとってはまことに有効なやりかたで、習練にはもってこいの勉強のしかたですということ、ただし、これがそれを写したといわれると本歌を持っているものにとってはそうですかといわざるをえないのだということなどを聞きました。

写しというものが、本歌に憧れ、本歌の力、香気まで写してあるものもあれば、これはいかがなものかというものまで様々で、本歌の力、オリジナルのものが持つ力強さ、あるいは創造されたものがもつ力というか、香気は目を鍛えることで、受け取れるものがあるということを学びました。

何々写しといわれただけで、その本歌の持ってる力があるものと、話だけで納得していたのは大いに間違いであるとの指摘、良いものを見ることで鍛えられますよとの両美術館の学芸員のかたの話、

箱書きや何々写しなどというような周りの装飾で、中味をそのままはかっていたのではいけません、目から鱗がおちた思いでした。写しといわないで、オリジナルといわれたほうがすっきりするのにというものも良くみます。

写しというのは、習練の方法ですといわれたこと、それがいつのまにか固定した価値を生むこともなってるということもある現状、はじめから素のままの作品に対峙したい、それが大事ということを学んだのでした。

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夏のお茶 3

着物について

 この日は夏のお召しに絽の九寸名古屋帯、この帯が前と後ろの柄をなかなかあわせられず、(ただたんに痩せよという問題なのですが)、ようやくどうにかして出かけるときは、もう暑い。

席にはいり、涼しそうな設えにまずは心の涼しさを、実際には座ってからは、深く静に息をするとどうにか涼しくなることを経験上知っているので息を静に整える、点前は静にゆったりしたほうが見た目の問題もさることながら、実際も涼しい、

着物を夏に着てみると、動きは制限されるというか、静かな動きが自然と体得できます。点前の順番とは関係なく、点前の自然な流れ、点前にともなう空気の流れがゆるゆるとしたものになって、点前の人だけでなくお客さんとの空気の流れが自然に落着いたものになると感じています。

仕事が忙しく、とりあえず時間を作りかけつけていた長い日々、それからみると今は時間がゆったり流れます。これが経験だけではなく、着物の効用に大いに関係していると思うのです。袂を建水におとして、そっと袖を搾ったこと、にじるたんびに前のあわせがぐちゃぐちゃになり、点前どころではなかった日々、今もそのきらいなきにしもあらずですが、馴れていくというのは便利なもので、着付けのぐちゃぐちゃも個性になってしまえばなんということもない。きれいな動きを会得するのにやはり着物はかかせないものです。ただ、今からの暑い夏、金時の火事見舞いなんていうような暑苦しい顔をしていたのでは、迷惑ですから、本当の暑さには着物はしばらく休みです。でも着物って、着ている本人は暑さこらえてなんだけど、見た目は実に涼しそうなんですね。絽の目もそうなら、柄の墨描きのあざみに少し紅が挿してあるのなど、見た目は涼しげです。ただ本人は動き方、息の仕方も工夫している一種のやせ我慢です。

それと私の場合、着物を着るのはあたふたとした現実の世界から、結界をこえてもう一つの世界に足を踏み入れる手段になってます。お茶をつづけていると、行儀がよくなり、普段もお茶の世界をそのまま表せるなどという人もいますが、私にとってはもう一つの世界への入り口ってことになってます。

お茶が普段の世界そのものになる、それはまだまだできそうにもありません。いつかできるのかな、それよりお茶って別の世界なのかな、など疑問は色々です。

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夏のお茶 2

Dscf0022 「夏のお茶 1」の道具です。

今回は「貴人清次の濃茶と薄茶」の稽古でした。桑の小卓に古唐津の水指、下には平建水がはいります。古唐津のこの水指、多分水指に作られたものではないものが、いつかの茶人が転用したものと思われます。細水指にも見えるのですが、黒い釉薬にヒシャクでさらに釉薬をかけたのでしょう、たら~~っと黄色がかった黄土色の部分が景色になっていて、ちょうどいいところで釉薬がとまって、見所になっていると思います。口部分、多分紐をかけて持ち歩いたのでしょう、紐かけれるようになってます。

上には桑の中次ぎの棗、ご貴人ですので、貴人台を使っています。文化財の審議委員をながいことなさり、鑑定もなさり、さらに書家でもあった田山方南の茶碗で、形は天目のような形、外は黒く、見込みは白なのですが、花の形に白がくりぬかれたようになってまして、そこは黒い花のがらってところ

貴人清次、稽古しても風天庵にはお供をつれた貴人がいらっしゃるとも思えず、ただ稽古の形です。わたくし今の先生のところに、36年ぐらい通っていまして、月に4回の稽古はほとんど休んだことはありません。稽古にいくのが生活になってまして、入院中までも病院から抜け出していったこともあります。長い月日ですから、私の事情も色々でしたが稽古を休む気にはなりませんでした。関係のない人からみると、なぜそこまで?といわれますが、自分でも説明できません。

白洲正子さんの本を読んでいまして、稽古というのは、型を会得するそのためだけ、型も会得できないでなんで創造ができよう、というような部分を何回もみました。それは「能」についてなのですが、お茶についても型の会得なんだと思います。体に型がきちんとしみこめば、そこから何かがみえてくるかもしれないと思っています。

毎週の稽古、私の稽古場ではそれが全てです。稽古というのは、発表のための準備なんじゃと言われるかたもいらっしゃいますが、私の先生では準備ではなく、年来の稽古、それを積み重ねることで何かが見えてくる、稽古がすべてですといわれています。私もその考え方はもっともと思い、気持ちは楽なのでずっと稽古は続いているというわけです。

毎週の稽古、何代にもわたった家元が稽古方式をいろいろ編み出され、実際には稽古だけにしかつかわないという稽古の仕方は色々ありますが、それは根のところでいっしょであるものが型の違いとなってでてきているわけですが、型を会得するということで、型の会得のはてに何かを感じたい、見たいと思いつつ稽古をつづけています。

稽古の形ですので、これらの道具では季節を特にイメージできるわけではありません。稽古って地味なものです。ただ楽しいと思っています。

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夏のお茶 1

Dscf0027 私が通っています先生の家の稽古場、蹲です。

水が竹の樋からしたたっていまして、お客の稽古のときに目にうつります。緑したたるもみじが一杯で、涼しい景色です。

そしていつも樋にしたたる水の音が、ぽちょぽちょ、小さくざわざわと聞こえていまして本当に涼しいです。本来はここで手を洗い、心を洗って部屋にはいるのですが、なにいつものこととて、部屋の手前にあります手洗い場であらって部屋にはいっています。

視覚としての涼しさもさることながら、聴覚としての涼しさも味わえます。涼しさは演出ではありますが、実際にも涼しい、ただかそけき涼しさというもので、もっと暑くなりますと戸はしめきり、クーラーの世話になることは申すまでもありません。かそけき、楚々とした涼しさ、というものです。

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まったくへたっぴーな写真で申し訳ありません。

床の間、大きな茗荷の絵、それに画賛してあるのですがまだはっきりと読めきれていません。大寄せの茶会には出てこないような軸かもしれません。

茗荷の絵の前にあるのは、じつに涼しげなガラスのちょっと背のある花生けに、このあおい葉、じつはこれ茗荷の葉です。それにピンクの撫子、茗荷をメインにだして、季節感をだしています。茗荷の実と葉の組み合わせ、掛け物に花や実が描かれている場合、それにあわせる花はちょっとその人の技量がためされていると思います。軸に花があり、さらに花生けに全く違う花がわんさかでは、暑苦しいと感じるばかりですし、軸に描かれている内容を殺ぐことになるかもしれないし、そうかといって、花が色々ある季節、花がなんにもないというのはさびしい、茗荷の実の掛け物に、茗荷の葉の組み合わせ、こんな工夫はすぐ察知したい、透き通ったガラスに緑の大きい葉、涼しいと感じ、部屋にはいり、気持ちはすっと落着きました。

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この写真も写り悪く、よくはわからないかもしれませんが、青磁の器、まわりに麦がまるく描かれています。麦秋にふさわしい、麦秋って夏ですものね。お菓子にどいてもらいまして写真、主菓子器です。

これら今週の稽古場風景です。私たちの先生って本当に内向きの人で、よそに写真をだすなどと思ってもいらっしゃいませんでしたが、。私の勉強のためといって承知していただいています。

毎週の稽古場で、とくに力がはいっているとか、見せたいとかはないのですが、季節の移り変わりが見事に道具で演出されていると思います。部屋にはいり、夏になりましたね、でも涼しさ、さわやかさを届けていただきありがとうございます、という気持ちです~~っと心も涼しくなるのです。そして茗荷を画題にするなんて、面白い発想ですね。そして画賛に目をこらしたのですが、今週は読めきれませんでした。

かそけき季節のうつりかわり、かそけき涼しさ、かそけき心配り

こういう空気が楽しくて、毎週通っています。

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ある数字から・・・

日展といえば、正式名称「日本美術展覧会」一般から作品を募る公募展としては、国内の最高権威とされていると思います。日本画、洋画、彫刻、工芸美術、書の五部門があります。

2002~04年、石川県統計情報室「石川100の指標」から抜粋として、人口100万人あたりの都道府県別「日展」入選者数というのが先日の「読売新聞」にでていました。

1  石川     303.4
2  京都     196.1
3  富山     183.2
15 長野      59.1
16 山梨      56.2
17 新潟      56.0
19 山形      48.6
34 静岡      30.4
37 福島      25.9
40 宮城      21.5
41 岩手      20.6
43 青森      17.0
47 秋田      10.2
   全国平均   51.0

とありました。石川県は加賀百万石の地、加賀藩は百万石といわれる大藩でしたが、外様大名、幕府に謀反の意志がまったくないことを表したいというわけで、文化にひたすら力をそそいだといわれています。「細工所」といわれるところで、加賀染め、九谷焼、加賀象嵌、加賀宝生といわれるように謡曲、そのまわりの音曲にも力がそそがれていましたし、もちろんお茶にも力が注がれていました。、その伝統は今でも受け継がれ、加賀に住む人は何か、終生の習いものをしていらっしゃる人はとても多く、日展の裾野はとても広いと思います。

わが富山県も京都についでの堂々の三位、

日展がすべてとか、一番のとかはいえないかもしれないけど、まわりには長い習練のあとに、日展に入選なさっていらっしゃる方、あるいは志していらっしゃるかたがとても多いのです。

私の知り合いの方々、とても謙虚で、よくものを知っていらっしゃるというか、本質を究めていらっしゃるかたが多いです。すごく幸運なことで、物作りに携わっていらっしゃるかたに、勿論物つくりは私はできませんが、色々教えていただくことが多く、そしてその教えてもらえることが実はお茶の本質といっしょですねと思うことがよくあります。

道を究める、あるいは志していらっしゃる人がたくさんいらっしゃる地に住んでいる利点をいかして色々を教えてもらっています。魅力的な人、話などをまた紹介していきたいと思っています。先日からの長谷川塑人さんもそのうちの一人でした。

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虚を実に・・・

Dscf0011 Dscf0013           

Dscf0014 この三枚の皿の写真、前の記事に引きつづいて長谷川塑人さんの作品です。

実は全部に料理が盛られているのは、塑人さんの個展がある道具屋で開かれ、最終日に打ち上げパーテーが開かれました。そのパーテーに呼ばれまして、その時に撮らせてもらった写真です。

料理立派な調理人によるものではありませんが、材料は作った人が皆丹精された味は一級品、筍なんて今まで味わったこともないほどのやわらかさと、しっかりした味、サトイモなんて10センチもあろうかという一畝に一個か二個しかとれないというもので、料理は材料にあるのだと、そこで料理をした人に失礼なことを何度も口走ってしまいました。

これら料理が盛られていると、そのまましっくりとして家庭料理がならんでいるとしかみえません。でもこれらの皿、最初の筍が盛られているのなんて直径48センチもあるのです。二枚目、三枚目も40センチはあろうかというものばかり、

現代ではどこぞの会館にどっしりと飾られているのが当たり前の飾り皿、そんなのに料理を盛ろうというような発想は現代ではなかなかないと思います。じっさい、前の記事にあった皿は実際、伝統工芸展、日展で、入賞したものとしてガラスケース越しに見たものです。

芸術はすべからく「虚夢」の世界と鬼さんも仰いました。そんな芸術作品に実の世界のしかも日常の食という実のい世界を盛る、なんとも豪快で贅沢のきわみと感激しつつ、料理もおいしくおおいにいただいてきたのでした。

飾り皿と決めてしまい、ただならべるだけ、鑑賞するだけと思っていた大皿、考えてみれば、大分前の日本ではたくさんの人が膝をつきあわせる、一皿をみんなでつついていただくというのはごく当たり前にあった世界なのでした。実という世界から浮き上がってしまった虚という世界は、じつは力が弱まってきているのではと思ったのです。

この道具屋に前に茶事を呼ばれたことがありました。さすが道具屋さんの茶事、道具には目をみはったのですが、懐石になりましたら、中国古陶磁、あるいは高麗のものなどに、値段をきいたらたぶんえ~~っというようなものだと思いますが、そんな鉢類に、ざっくりと料理が盛られて湯気があがってというような料理が次々運ばれてきたのでした。それが管窯のものなどではない、多分古くはあろうけど日常雑器として焼かれたものなのでしょう、じつにしっくりとおいしそうで、本来のそれらの焼き物の味がそのまんまでていると思ったのでした。

お茶をつづけていると、実の世界をないがしろにしてしまい、門外漢の人をして敷居が高いと思わせてしまう部分が多いにあると思います。

作家さんが作られた作品、おそれいってただ眺める、遠巻きにして眺めているだけ、これでは折角の作品の力が発揮できない、虚の世界を実の世界に、虚と実の世界の行き来、これはお茶の世界ではとっても大切ではないかと大皿でいただいた豪快な料理の味とともに考えたことでした。

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エネルギー

Dscf0008 このかたは九谷を代表する作家さんで、色絵の名手であります、長谷川塑人さんです。(もちろん写真のことなどは、本人さんに断ってあります)

只今、色紙に塑人さんの作られたイメージ、妖精の絵を書いてらっしゃるところです。

この妖精は若いときに勉強してうけとったギリシア神話の女神、さらにその後勉強した観音のイメージ、さらにその後に世界を深ませていったときに出会った、東南アジアの風、台風の神、まからをかさねて作り上げたイメージが現在の氏の描かれる妖精なのです。

Dscf0010 このおおきな皿、直径40センチあまりには、その妖精が輪になって飛翔する姿が描かれています。伝統の九谷の色の赤とは少しちがって、じつに軽やかな妖精がとびかっています。この妖精は天と地の間を飛翔するのですが、氏によれば天と地のあいだに満ちているエネルギーを具象化したものだとのこと、豊穣の神なのです。

エネルギーという実際には見えないものを、見える形としてあらわす、表現する、いってみるならば抽象の世界を具象化してみせたということではないでしょうか。そのエネルギーというのは、軽やかなものであり、またいつも動いているものであり、豊穣なものであり、イメージとしては神の姿ではあるけれど、女性の姿をしているんだということのようです。

世の中では実際の姿しかみえていず、みえてない世界、感じている世界を表現する、これはある意味、虚の世界を実の世界としてあらわすということになるのではないかとおもうのです。

Dscf0012 この皿も口径40センチ以上ある皿で、地龍紋といわれていたと思います。さきほどの皿も、こちらの皿も、展覧会で賞をいただかれた立派な皿です。

地にあるエネルギーを具象化して、さらにデザイン化されて発表されたもので、高岡での「日本伝統工芸展」でこのさらの姉妹と思われる皿が、賛助出品されていました。氏は現在71歳、新しいイメージをつぎつぎ発表なさるエネルギーには本当感心します。

妖精が天と地の間のエネルギーをイメージしたものなら、地中のエネルギーを蚯蚓?で具象化されたわけで、いま、虚の世界をつかまえ、それを実の世界にのせる、それを発表なさることに力をそそいでいらっしゃるのだと思ったのです。

ところで、非常に興味ある話をお聞きしたのです。

妖精を描いていらっしゃるのですが、その妖精の表情が、一枚一枚、違うのは当然としても、描けば描くほど、妖精の顔つきがかわいい子供から、成長していろっぽい女性にかわって行くという話しはとても面白いものでした。実際みせていただいたいくつもの妖精、初期のころはかわいい子供なのですが、私がおめにかかった時に描いていらっしゃるのは、なんとも妖艶になっていってるのです。

これ作者が意図してなっていくものではないんだそうで、「中国の焼き物に多い、龍の絵、皇帝のものには五本爪、そのしたに使うことが許された四本爪、更に庶民の三本爪の龍かかわらず、時代とともにだんだん長くなってきている、なぜかと疑問に思っていたけど、描き続けるていくと替わっていく、長くなっていく理由がわかりましたね」と仰り、さらに「その変化というのは、ず~~っと描き続けないとなっていかないものだと思いますよ」とのこと、「顔つきは作者が意図してかわっていくもの、あるいは成長していくものではなく、筆の先から生まれていくものだと思いますよ」と仰ったのです。描き続けることによってしかできない変化ですとのこと。エネルギーが満ちていくかのごとくだそうです。

虚としての世界を伝統的な技法にのせて表現する

実としての辛抱、技術の習得にのせて虚夢をあらわす、虚実皮膜の間ということば、近松の芸道論にかぎらず、芸術家のかたはいつも考えていらっしゃるのかと、70歳をこえても瑞々しい感性で表現なさってることに圧倒されました。

お茶とは関係のない世界のかたに、習うことはとっても多く、大変得した気分なのです。

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虚実皮膜の間

Dscf0018_3 この茶碗はこのブログに訪ねてくださってる石川県小松市にお住まいの陶芸作家の徳村達さんの「刷毛目引っ掻き」茶碗です。

氏のページはhttp://www2.nsknet.or.jp/~tttoku/

とくさんの工房をたずねましたおり、刷毛目引っ掻きの鉢を見せていただき、そのイメージを茶碗にできないだろうかと相談、特注したものです。刷毛目の釉薬がどっぷりかかり、その釉薬の景色がまるで朝露をあらわしているようです。見込みの中に、蓮の絵が描かれています。引っ掻きの材料は内緒とのことでしたが、どうも野菜らしい。昨年の夏、朝茶事を実施、お客さまに披露したものです。

平茶碗においしそうにお茶が点ってませんか?お茶はやはりこのブログにきてくださってる撫子さんちの、シルク入り抹茶「機の音」です。

お茶を点てるということにかんして、腑に落ちた!という経験をしたことがあります。

学生時代の恩師が生存中に入院なさったことがあり、見舞いに訪ねました。入院中の無聊を慰めるためか、お茶道具が持ち込まれていました。「折角来てくれたんだから、一緒にお茶をのみましょう、点ててくれませんか」「喜んで」というわけで、病院内での簡単なお茶、「同じお茶なのにどうしてこんなに味が違うの?何かコツでもあるの」「虚実皮膜の間です」まるで禅問答ですが、ふたりはたと手をうち爆笑、わかりあったのでした。

「虚実皮膜の間」というのは近松門左衛門の芸道論で、学生時代この先生から習った言葉なのです。舞台の花、演技の真髄というのは、虚と実とのあるかなきかの間にこそ、真実がある、虚、嘘にかたよれば、リアルさにかけ、実にかたよればざらついた現実のみで、舞台上の美しさはあらわれないというようなことであったと思います。

この言葉をお茶のことに使いましたのは、いわくいいがたしということを言いたかったのと同時に、茶碗にたいして茶筅を摺るのではなく、そうかといってただまわすのではなく・・・・というような意味をこめて咄嗟に先生に言ったものでした。

学生を終わってから何十年、そのときに教えたことを本来の意味とは多少違うけど、とっさに切り替えして使ったということで、先生は大いに喜んで下さったものです。

そこでお茶を点てるということで、腑におちた!と思ったのです。

お茶を点てるときには、道具のあれこれに気をとられ、さらに点前手順をまちがえないように、必死にこころ配り、でも結局はおいしいお茶を点てるのに腐心しているんだという当たり前のことを深く気がついた、お茶ってということで腑に落ちた!と感じたのです。

今、お茶をおいしく点てるということに心をこめています。お湯、お茶、茶筅のふりかたなどなど、稽古に通い続けていると、お茶を点てるその瞬間は結構惰性のまんまやってるな~と思うこともあり、お茶を何年もなぜ続けているか、今一度考えなおせばおいしいお茶をいただくためだけにすぎない、全く当たり前のことだったのです。今はお茶を点てる、そのことに気持ちを集中しています。

深く納得させてくださった先生を招いて茶事を実施したい、病院に迎えにきますのでということで話をきめ、連客さんにも事情を話、先生から習ったことがどんなふうにあらわせるか見ていただきたいと準備していたのですが、茶事の一週間前に自宅にもどられていたときに亡くなられたんです。驚きましたが、お茶ということを直接教えていただいたわけではないけれど、しっかりお茶ということを教えてもらったな~の思いが一杯です。そしてお茶というのは、どんな人からも習えるのだと思ったのでした。恩師は恩師なのでした。

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風天2

Dscf0007 庵主自作の茶杓です。銘は「風天」

苦竹です。茶杓ならびに筒、教えていただいて初めて作りました茶杓、まよわず「風天」となずけました。茶杓は見所、70なんていいますが、もちろん初めての自作茶杓、そんなに見所があるとも思えませんが、我が家での茶事に使いまして、お客様にお世辞でなかなかのできといってもらいました。

お客さまとして茶会によばれたとしましょう。茶室にはいりますと、まずは目につく床の間の拝見からはじまります。床の間には軸がかけられていることでしょう。軸はその日の茶会のテーマ、席主の思いなどをあらわしていますので、さてどんな趣向でという楽しい気持ちをたかぶらせながら、軸を拝見するわけです。

花もいけられているかもしれません。花がなければ、きちんとした茶事を実施、後入りのあとに花はいけられるでしょう。読めない文言かもしれませんし、俳句の画賛とか、いろいろな軸があります。なんにしても、テーマをあらわしているので、心をいれて拝見します。

さて粛々とお茶はすすみます。おいしくお茶をいただいて、客、正客jから道具の拝見を請われ、それならばと道具の拝見、茶入れと茶杓、茶入れがはいっている袋、あるいは薄茶の場合は棗と茶杓の拝見です。

つまり茶会の締めくくりで一番あとに拝見をといわれ、客のまえにならぶもので最後のものは茶杓なんです。

一番最初はお軸で最後は茶杓です。

茶杓って竹でできたお茶を掬う道具ですが、またその茶会をしめくくる道具でもあります。茶杓って侮れません。竹っぺらで作られたスプーン様のものですが、茶会を締めくくる大事な役割をになっています。

亭主の茶にたいする思い、その日の一会にたいしてのテーマの具現と「銘」はなかなか味のあるものです。

さてそこで、私が始めての自作茶杓に「風天」となずけたのは、ひそかに願っている私の茶が天を吹き渡るさわやかな風をイメージする茶でありたいと思っていることを表したいと思ったからです。

かろやかなお茶になるかどうか心もとないのですが、そんな決意ですすみたいと願っています。

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庵主 蜆子と申します

ブログ初挑戦、庵主蜆子と申します。

「風天庵」はブログ上の茶室、現実には庵主はお茶を35年ほど続けています。茶室のまわりの出来事、人、物などを通してお茶にたいする思いをつづっていきたいと思っています。もとより待合ですので、かたぐるしいお茶、お茶なんては思っていませんで、気楽にお茶を飲んでいっていただければと思います。

風天の名の由来は、ただ風が空を吹き渡るように、さわやかで、こだわらない、かつおおらかでありたいという庵主の願いをこめて選んだ庵名です。お茶の稽古は流派にのっとってはいますが、めざしたいお茶はこだわらないということです。ふうてんの寅さんにあこがれているわけではありませんが、しばられない、軽い気持ちのお茶でありたい、そんなわけで「風天庵」となずけました。

庵主名、蜆子はしじみこと申します。本名から変形していった名ですが